「人間なんてラララ、と歌う」

「ボクはちょっと泣いてんだと思う」(「キリギリス」/COIL)
同曲は井上陽水「傘がない」への言及もあるトリッキーな歌詞

ALL ERASE OK?

ALL ERASE OK?

http://d.hatena.ne.jp/kensyouhan/20090824
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/books/1250880884/l50

『社会派くんが行く!』アスペクトONLINE Vol.91「エンドレスエイトな夏」の5.「五十歳過ぎから始める再婚のススメ」

村崎 (前略)オレは子供の頃に、田舎の漁協の青年団の兄ちゃんたちが拓郎のコピーバンド組んで、港のすぐ横の小屋で夜な夜な演奏するのを観てて何となく好きになった遠回りの拓郎ファンで(笑)、拓郎がパーソナリティーのオールナイトニッポンもず〜っと聴いてたし、アルバムも『ローリング30』くらいまでは全部、ソラで歌えるくらい熱心に聴いていたのよ。オレらの世代にしてみれば、演歌みたいなもんだよね。聴き込んでいつもその意味を考えていた拓郎の歌の歌詞は、単なる歌詞っていうか、情報の乏しい田舎に住んでたオレにとっては倉田百三や阿部次郎や亀井勝一郎加藤諦三(笑)の著作以上に、自分の周囲の身近な恋愛や人生を考える上での「青春論」だったんだよ……(ここで赤面)。あと、同様に佐渡山豊とか。

唐沢 どんな音楽聴いても、最終的には70年代フォークに帰っちゃうよね、われわれの世代は。でも吉田拓郎って、オレたちが子供の頃にはやたらと暴力事件とかで騒がれた印象が強いんだけど。

に、『唐沢俊一検証blog』8月24日エントリ「止マレ!」で

唐沢俊一は「70年代フォーク」に詳しいらしいということなので念のために記録しておこう。後日突っ込まれるような事態にならなければいいんだけど。…それにしても、村崎百郎は拓郎のファンだったのか。「人間なんて」を聴いて鬼畜になったとか。

と突っ込みが入って、同エントリ8月25日唐辛子さんコメント

これって金沢事件の事だと思うけど(暴力事件というとこれしか思いつかない)、ファンが監禁&暴行で騒いだ事件だけど結局そのファンの捏造話で免罪という事になってますな。
事件が起こったのは1973年、唐沢俊一が15歳の時。
>「オレたちが子供の頃にはやたらと暴力事件とかで騒がれた印象」
なんかこれだけ読んでも、唐沢はその15歳の時には吉田拓郎にはまったく興味が無く、事件も最初に新聞などに載った時の印象しか覚えていないって事なんだろうね。「やたらと」って他にどんな話があったっけ? フォーク界のプリンス拓郎ちゃんに。

この唐辛子さんのコメントに対して、私は「布施明殴打事件」(出典元・なぎら健壱の著書『日本フォーク私的大全』)を例に出して「金沢事件だけではない」と注釈した。
すると2ちゃんの【完売御礼】盗作屋・唐沢俊一98【kensyouhan】にて

755 :無名草子さん:2009/08/25(火) 20:58:56
布施明殴打事件」は、なぎらが話をでっかくしちゃった物だね。

実際にはテレビサイズで曲を短くしてくれと指示された拓郎が
「全部歌わないと意味が通らない」という事でディレクターと現場で揉め、
その場にいた布施明がディレクターの言い分が正しいと叱責し
その事をコンサートで拓郎が「布施明の曲は少しは認めていたのにねぇ…」と
ことある毎に笑えるネタにしていた物。
(当時のライブでのMCより)

なぎらけんいちが語った物を真に受けちゃうってのは、
ある意味「笑いって物がわからねえヤツ」って感じかも。

実際、拓郎がけんかっ早いというのは自ら作ったバンカライメージから。
本人は実際にはボロボロのジーンズでハイライトを吸うというのが嫌で
こっそりメンズ雑誌を読み、スーツなども作ってもらっていたが
実際に人前に出る時は、ファンのイメージ通りの服装をしていた。

ふうん・・・。
じつは私がはじめて「布施明殴打事件」を聞いたのは1975年の泉谷しげるライブのMCでだった。布施明が「シクラメンのかほり」を大ヒットさせ、泉谷がシングル「寒い国から来た手紙」を出したあたりのツアーだったはずで、フォーライフ設立とかニューミュージック台頭とかいう流れもあってか、泉谷は昔の話を誇張して蒸し返していました。
そんな個人的な記憶はさておき、上記755さんの(当時のライブでのMC)ってのは誰のMCなんだろう?「当時」ってのが何年か分からないけれど、殴打事件の頃(「結婚しようよ」ヒット前)はなぎらさんデビューしたかしないかだしなぁ・・・。<なぎらけんいちが語った物を真に受けちゃうってのは、ある意味「笑いって物がわからねえヤツ」って感じかも。>ってのも、なぎらさんはホラ吹きであったとしても、それと(なにかと名前を出すけれど)文庫解説者黒沢進が「嫉妬した」と太鼓判を押した名著『日本フォーク私的大全』の資料としての重要性は分けて考えるしかないだろう。あとよしだたくろうってフォークの中でも小奇麗な部類で、「ボロボロのジーンズ」を穿いていた印象は薄い。スーツ着用はフォーライフ・レコード設立前あたりからでは(プライベートでも)?
追記:『日本フォーク私的大全』は文庫化の際加筆がある。探したら出てきたので該当箇所を追記注釈つきで引用する。〕

棒放送局でのこんなエピソードもある。吉田拓郎が初めてテレビの歌番組に出ることになったが、売れっ子の拓郎はスタジオ入りが遅れ、リハーサルも満足にできない状態だった。新人歌手としては、そういうことは異例といえる。それが面白くない先輩歌謡歌手のA・F。ソファにふん反り返って「偉そうに、新人のくせに、今頃来やがって」というようなこといったらしい。
 そこにカチンときた拓郎、つかつかと寄って、うむをいわさず殴り付け、Fが泣いて逃げ惑ったというスゴイ話がある。マネージャーが平身低頭、どうやら上手くその場は納まったらしいのだが、拓郎はそれ以来テレビには出ないと言いだすのである。
 つまり、自分が歌謡界の人間で、しかも自分の意思で忙しくなったのなら「すみません」と謝ったかもしれないが、先ほどのキャンペーン(引用者注・ミニライブを売りにしたレコード店廻りキャンペーンでのトラブル)の話と同じで、そうじゃないと思っているからポカッといったんじゃなかろうか――真実のほどは分からないが・・・・・・
(以下文庫化の際の追加注釈)九五年に放送された『驚きももの木20世紀』(テレビ朝日系)での当事の関係者の話では、そのときの様子がかなり違うものになっていた。僕が当時関係者から聞いた話は、多少脚色があったかもしれないが、前記のとおりである。

もちろん『日本フォーク私的大全』にはくすぐるところも少なからずあるのだが、なぎら個人が体験した事柄・なぎらの視点でしか知りえない情報を主とした本であり基調は真面目だ。引用部が「真に受けちゃ野暮な、笑うところ」か否かは議論するまでもない。
なお2002年頃のテレビ番組で布施・吉田の問題が話題になったそうだが、時間がたてば明快になるような件とも言えず、内田裕也清野徹の小競り合いを思い出してしまう。

布施明~シクラメンのかほりから(小椋佳作品集)

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日本フォーク私的大全 (ちくま文庫)

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