kensyouhan氏に(つる農園パクチー泥棒の町山批判によせて)
三島由紀夫に『美しい星』という小説があって、1980年代くらいまではそんなに重要視される作品でもなかったんですけど、小林信彦先生なんかが推してたりしてるうちそれなりに注目を集めるようになったのか、リリー・フランキー主演で映画化されたりして、けっこうステイタス上がったような塩梅ですよね?優柔不断な人生を歩んできた地方の紳士が、ある日UFOを目撃したことで自分が宇宙人であるとの天啓を受け、その天啓は彼の家族にまで伝搬、それぞれが自分は火星人だったんだ、あたしは金星人だったんだと覚醒、そこに人類滅亡を目的とする未知の惑星からきた(と、UFOを見て覚醒した)男たちがからんだりするといった物語。
たしかにユニークっちゃユニークなんだけど、自分に当てはめて考えると、UFOって1970年代後半の湘南海岸ではけっこう頻繁に観察できてたんですよね。細野晴臣さんなどその手の好き者が噂を聞きつけてよく見に来ていたとかなんとか……。私は別に好き者でもなかったので、というか「好き者」になる以前に、ぼんやり帰り道の夕暮れ、水平線の上空であっちいったりこっちいったりしてる奴を目撃してたので、スピったりする以前に「ああ…また出たか」くらいの感想でした。まぁ、プラズマってヤツですか?つーか、この手の「超常現象」よりスピった印象を持った体験があって、高校生の頃、風の強い夕暮れに自転車で七里ヶ浜を走ってたら、ずっと朽ち果てつつある廃屋かと思ってた洋館の一室に煌々とあかりが灯っており、レオタード姿の少女たちが踊ってたんですね。ハーク・ハーヴェイ監督『恐怖の足跡』に近い光景で度肝抜きましたよ。まぁ在りし日の「パブロバ・バレエ・スクール」だったんですけど。
で、話をUFOのほうに戻すと、ご近所にお住まいのつるの剛士さん、高台のご自宅からの西浜やら富士山やらの絶景をよくSNS投稿なさってるんですけど、UFOがよく観察された1970年代後半の湘南にいたら、いまの5割増しくらいスピったことヌカしてるんじゃないかと想像し、ちょっと嫌な気分になりました(自分で想像しといてナンですねぇ…)。
そのつるのさんのニュースが9月になって一躍話題になりました。
つるの剛士が家庭農園でパクチー盗難被害 犯人の「日本語わからない」一点張りに「悲しくなるよ、ホント」 | 東スポのニュースに関するニュースを掲載
つるのさんについては、さわやかな立ち振る舞いからくる好感度(「ふじさわ観光親善大使」に就任されるくらい)が人気を支え、一方でその好感度と裏腹に、SNSなどの投稿にみられるリベラル的にみて首を傾げる発言に(自分も含め)少なからず批判があります。
もう少し正確に言うと、SNSなどの投稿にみられるリベラル的にみて首を傾げる発言に、デモクラシーを主張する人やリベラリストが嫌いな人が集中する傾向があって、つるのさんの好感度の威光がそういった人々の正統性を保証するかのような塩梅となっていることに大きな批判があります。
前に松任谷由実さんの安倍首相辞任への感傷吐露に対する白井聡さんの批判が炎上しましたが、つるのさんのケースでは町山智浩さんの批判ツイートが炎上したかたちのようです。私のツイートの画像(吉田豪さんがRTしたもの)などがその一例。
「町山智浩は仕事もしないでツイッターに耽り、「変な方向に広がりすぎて」いる、吉田さんなんとか言ってやって下さい」という声も多いのか……。
— もうれつ先生 (@discusao) 2020年9月13日
で、町山発言をRTしながらも五十嵐さんの「例の映画評論家云々」もRTする。その辺の客観的な仲介者的スタンスが「さすが吉田さん」と評価もされている。 pic.twitter.com/b8gsR6XTaX
「さすが吉田さん」と褒める声と、吉田スタンスを批判する声をともにRTする吉田さん。
— もうれつ先生 (@discusao) 2020年9月13日
その吉田スタンス批判への反論ツイートをRTし、尚且つ小田島さんの(たぶん)吉田批判をもRTする吉田さん。
過激な中立主義或いは過激などっちもどっち論ともいえるが、吉田さんの口から差別問題という文脈は出ない。 pic.twitter.com/623NVqpXgA
ツイッターは踏み込んだ話には向かないので踏み込んだ意思表明はしないという吉田さん。久田さんとの対談動画で津原泰水さんについて論評したのは、あれも踏み込ん田話ではなく、「春日太一さんの説得を聞かない町山智浩さん」体のコメントということか?https://t.co/t0Opk7RKU8 pic.twitter.com/HQpXOVTSgM
— もうれつ先生 (@discusao) 2020年9月13日
(上記ツイート訂正:
×あれも踏み込ん田話
○あれも踏み込んだ話)
なんか引用しといて吉田豪さんに辛辣な書き方してるのがちょっとスミマセンなんですが、津原泰水さんの件というのは、百田尚樹『日本国記』に津原さんがいろいろツッコミを入れてた頃、出版元の幻冬舎・見城社長が同社刊行の津原著書実売数を暴露し炎上した件を、久田将義さんと吉田豪さんが対談動画で取り上げたとき、吉田さんが津原さんの性格の厄介さを指摘し、彼が絶対正義なのかどうか判断は保留しとこうと言ったのね(下記動画1:30あたりから)。
吉田さん「津原さんが絶対正義で百田さんの日本国記の問題とかいっぱいあるから、いいぞいいぞになっているけど、ちょっとみんな落ち着いて、っていう感情はありましたね」
でも、この件、津原泰水さんの性格が厄介だからということが実部数暴露の非を相殺する理由になるかというと、ならないと思うんですよ。これって事案についての当否を人柄批判にシフトさせる詐術の典型なんじゃないの?というのが私の吉田批判。で、なんで吉田さんがこういう詐術を使えるかというと、たぶん正義の問題を善悪の問題として捉えてるからじゃないかな?というのが私の想像。
ボキャブラリーの問題(「思想」の問題ではないという意味)だと思うのだが、たぶん「サブカル」の文脈の中で活動する吉田さんは、「正義」の問題を「善悪」の問題としてしか語れないんじゃないかな?と、ずーっと思っている。
— もうれつ先生 (@discusao) 2020年6月14日
でも、「正義」の問題を語らなければならない機会は、来るときは来る。
で、話をつるの批判する町山智浩さんが炎上した方に戻すと、たぶん吉田さんは、ここでも正義の問題を善悪の問題で対応してるのではないかと私は思う。個々人で異なる善悪の問題として対処しているから、自分への批判をも含めた様々な意見をRT出来ているのではないか(自分への批判は多種多様な見解のワン・オブ・ゼムとして処することで相対化・弱毒化されるという意味)。
多様性を貴び正義の暴走を危惧するサブカルは、ややもすれば正義の問題にたどり着けない傾向を持つ。
— もうれつ先生 (@discusao) 2020年9月13日
吉田さんのスタンスはその傾向のひとつの表れだろうし、吉田発言をRTし「いろいろやらかす」町山智浩を按じかつ靍野支持を表明する唐沢なをき兄検証ブログの元ブログ主の主張もそうだろう。 pic.twitter.com/iJCr59GOUR
上記ツイートで唐沢俊一検証blog元管理人のツイートにも言及しているが、これが実は本題です。この検証班氏についての見解は、よく考えてみると去年のこの記事でのコメント欄でのやりとりから似たものを抱いている。
コメント欄で問題となったのは記事前半、というか枕の、山本弘さんの2016年熊本地震に言及した公開日記で「関東大震災から80年以上経った今も、デマを流してあわよくばまた大虐殺を起こしてやろうと狙っている者が大勢いるのだ」との記述に、検証班氏が突っ込んだ部分。
検証班氏の論旨は、大虐殺を起こしてやろうと狙っている凶悪集団を想定するのは誇大妄想的で、実際にいま差別的な言動を取る人たちの多くはネタとして消費しているだけで排斥を本気で考えているわけではない、山本氏の考察は下手をすれば陰謀論に堕するレベルのものであり、あまり極端な言動は辞めて大勢の普通の人間を信じましょう、といったようなものだ。
そしてこの論旨は、たぶん(まだ提出されていない)つるの剛士パクチー事件での(その他の案件も含むか?)町山智浩さんへの検証班氏による批判にもおおむね当てはまる内容ではないかと私は思う。
私は当時コメント欄で検証班氏の論旨のバランスの悪さを指摘した。「いま差別的な言動を取る人たちの多くはネタとして消費しているだけ」というのは差別者側の心情考察としてはおおむね同意できるが、そうはいっても「ネタとして消費している」のは公共の場での流通が適切だと思わる内容ではなくヘイト・スピーチである。差別される側に立ってみれば、少数の凶悪集団による虐殺宣言と大勢の普通の人々によるネタ消費的排斥言説、どっちが恐怖かというとそんなに変わりがない(むしろ後者の方が憎悪の潜在性を深く感じ怖いかも)。「ネタとして消費している」というのはシニカルに没入しているということであり、シニシズムに犯されると人は容易に信念のハードルを下げてしまい、「ネタ」をいつしか真実と見誤るようになる。「ネタとして消費している」というのは「かくかくしかじかであるかのように振る舞っている」ということであり、振る舞いは行動による実体化なので、出発点が信念であろうが虚偽であろうが行動による実体化が信念としての正統化を働きかけてしまう、ということなのかもしれない。
要は、差別者側の内面として「ネタとして消費して」いようがいまいが、差別される側にとっては差別されている事実の前ではほぼ関係ないし、「大虐殺を起こしてやろうと狙っている」でも「ヘイトクライムを誘発する恐れがある」でも大差ない(先のシニシズム理論からすれば、後者は容易に前者に転移する)。内面はどうあれ、「大虐殺を起こしてやろうと狙っている」かのように振る舞う人々は存在する。
検証班氏の論旨のバランスの悪さというのは、山本弘さんの記述については厳密性を求めるワリに、差別者側のヘイト・スピーチには心情(ネタとして消費云々を指す)を考察し差別性を矮小化するような構成(すなわち差別者に温情的な構成)になっている点である。差別者の心情を考察するというのは、必要な場合は必要なのかもしれないが、差別者への心情的な考察を論拠に山本弘さんの論旨を陰謀論まがいに扱う検証班氏の考察がその場合なのかというと、違うと思う。
先も述べたように、検証班氏はつるの剛士パクチー事件での町山智浩について直接的言及はしていない(と思う)。自分が知る限り「町山さんがいろいろやらかす」「ぼくはつるのさんを支持します」といった発言が唯一。
町山さんがいろいろやらかすと、ぼくの今後の検証にも影響が出るからやめてほしい。ぼくはつるのさんを支持します。
— kensyouhan (@kensyouhan1) 2020年9月9日
支持はともあれ、今回の件は「町山智浩さんがいろいろやらかしている(「やらかしている」表現から察せられる)不適切な行動のひとつ」という風に読みました。これは正義の問題ではなく、「やらかし」から導かれるように善悪の問題として検証班氏は理解しており、なおかつつるの支持であるという話。
でもつるのさんは「ふじさわ観光親善大使」で、懸案の「つる農園」も藤沢市の用田や三浦市に点在し、どうやら用田の方はなぜか藤沢市農業水産課専任課長補佐の及川聡さんがいつも手入れしてくれているそう(今は違うのかもしれないし、肩書はそうでも単なる友人なのかも知れないが)。
三浦市の農園が出てくる記事https://t.co/seTqHDnNTI
— もうれつ先生 (@discusao) 2020年9月7日
2012年頃から農園指導を受け、藤沢市農業水産課専任課長補佐の及川聡さんがいつも農園を手入れしてくれているらしいです。さすが親善大使。。。https://t.co/hoHw3ssP6Nhttps://t.co/VwbFrSEOkWhttps://t.co/g3dFjk4xYD
つるのさんの当該ツイートにはヘイトまみれの発言が連なってたりする。そしてその発言に無邪気にレスしたりしている。ヘイトまみれなのはレスでありつるのさん本人じゃない、という反論もあろうが、「スクラップ屋の業態が怪しい」だか「スクラップ屋に出入りしている従業員が外国人ばかりで怪しい」だか判別つきにくく、スクラップ屋ならびにスクラップ屋の外国人従業員に対する配慮に欠けたその文章は、適切なものとは言えないだろう。そういう人が「観光親善大使」ってどうよ?ってことでもある。
こんなふうに談笑してるわけだから、ご本人も排外主義者御用達タレントという側面を自覚してるんだろう。 pic.twitter.com/x3dReNWNnh
— もうれつ先生 (@discusao) 2020年9月7日
「うちの畑のパクチーもやられた」
— もうれつ先生 (@discusao) 2020年9月8日
「近くのスクラップ屋の外国人だろう」
(中略)
「やっぱり。。あそこ怪しすぎて困ってます」
↑というやりとりなので、この「怪しい」は「犯人ぽい」というより「スクラップ屋の業態が怪しい」という意味に読める。 pic.twitter.com/bDBhR98WGp
まぁ、この件に関しては下記ツイートが提案型の結論です。藤沢市も観光親善大使としての彼になにがしかの便宜を図ればいいんじゃない?もし泥棒が外国人だとしたら、昨今の状況から困窮してるということは充分推察されるので、公共的な言説としてはこういうのが「正義」だと思うし、そういうところにたどり着けない「観光親善大使」って駄目だと思うんだよね。
ちゅうかぁ、つるのさんも、つる農園で栽培したパクチー、コロナ下で働く外国人実習生に応援の意味でナニすれば良くね?本人も藤沢も好感度上がるし、どうよ?
— もうれつ先生 (@discusao) 2020年9月9日
まぁ、検証班氏は「新しいブログでこの問題(注・山本弘さんの方)について取り上げてみるつもり」とのことなので、もう1年半以上過ぎてしまったけど、「山本弘の長文」くらいのスパンに思って首を長くしていればいいのかなぁと思う今日この頃です。