羽仁進の映画『彼女と彼』(1963年)について

主題歌「まだ生まれない子供」(「見えない子ども」)をたまたま聴いて良かったので、羽仁進の映画『彼女と彼』を再度観賞したらこれも良かった。

まえは物語より「ロケ地が百合丘団地」というところに注目し観ていたみたいだ。この頃の「団地映画」というジャンルを考えると久松静児『喜劇 駅前団地』、若松孝二の『壁の中の秘事』、千葉泰樹と筧正典による『団地・七つの大罪』といったラインナップが念頭にのぼるが、その中でもいい線いってるんじゃないかな。ムービー・ウォーカーのあらすじだとなんだか味気ないように思ったので、メモ代わりに自分なりにあらすじを記しておく。だから、以下はネタバレ注意ということで…

羽仁進の映画『彼女と彼』(1963年)あらすじ
石川直子(左幸子)と石川英一(岡田英次)の夫婦は百合丘団地に住む。ともに20代の終り。

当時の百合丘団地全景

造成中だからこういう「空き地」がけっこうあって、子どもらの遊び場となっていた。しかし左手前の建物、窓廻りに亀裂の補修跡が凄いね。

買い物帰りの直子(左幸子)が登る階段と造成中の「空き地」
直子は満洲からの引き揚げ者で天涯孤独の身の上という設定。団地の主婦連からは若干異端視されている。本人の振舞いも、バタ屋部落にそう抵抗なく入っていったり、団地の子どもたちとバタ屋部落の子どもたちの争いを仲裁したりと異端的。またこういったよその子どもたちとの同じ目線での交流が、団地の主婦連のサークル活動を描いた子連れのママさんコーラスのシーンと対比される。
石川英一は「そろそろ子どもをつくらないと…」と思い、直子にそう提案する。直子も子どもは好きなのだろうが、夫の提案への反応は曖昧で微妙にはぐらかす。
そのへんの屈託が、主題歌「まだ生まれない子供」の歌詞やメロディに託されもし、また英一の学生時代の仲間で今はバタ屋を営んでいる伊古奈(山下菊二)の養女・盲目の少女*1(五十嵐まりこ)への共感にもつながっているように、物語は構成されている。

英一のアルバムにあった学生時代のセツルメント運動の写真
伊古名がどうしてバタ屋に「おちぶれた」のか説明はないが、英一の昔話に、学生時代共にセツルメント運動*2にかかわっていたというエピソードが語られており、そういったボランティア活動の延長としてバタ屋家業を選択したこをうかがわせる。伊古名と5年ぶりに再会した直子は、多少恐れながらも伊古名との交流をはじめるが、夫の英一は直子から伊古名のことを聞いても彼に会いにはいかない。彼の仕事上の活躍ぶりを映す8ミリのシーンなど、彼の存在は会社と団地を軸とした現在性を基調として「俺が50歳になったら子どもはいくつか?」といった人生設計を拡張した象徴性をもっている。冒頭のバタ屋部落の火事騒動でも、直子の火事への関心に比べて圧倒的に無関心だ。

伊古名の歌う歌♫おいらこども ちいさいときから みすてられ なげだされ おいらはみなしご〜♪
山下菊二自身による作詞作曲?かなり構成が決まった曲のようなので武満徹が作曲したように感じるが…

8ミリを観賞する石川直子(左幸子)

映画のポイントにもなってる石川家の玄関。左手の張り出しに置かれているのが問題のカップ
英一がバタ屋部落の伊古名に会いに行ったのは、ある事件がきっかけで彼を叱責するためだった。
ある日直子は、屑屋(ステイタスとしてバタ屋より上)のトラックの荷台から玄関に飾ってあった麻雀大会のカップを発見し、いつの間にか無くなっていたことに気づく。直子は「伊古名がアパートを訪ねてきて、水を貰いに部屋に入ってきた折りに盗んだのではないか?」という疑念にとらわれる*3。そのことを夫に相談すると、英一は気色ばんでバタ屋部落に赴き伊古名を断罪したのだった。直子は自分の不注意が招いた事件といった捉え方なのか、バタ屋部落に向かう夫に「カップ見た?磨いたらとってもキレイになったのよ」と語りかけたりして消極的に引き留めようと試みている。
伊古名の弁明は―山下菊二の演技力がまったくないこともあって―まったく要領を得ず、彼が盗んだのかそれとも冤罪なのかはっきりしない。伊古名の主張はおおむね「石川、おまえはそんなふうに俺のことを思うのか?奥さん、あなたはそんなふうに僕のことを考えているのか?」といったようなもので、観てる側とすると「盗んでないなら先ずそれを主張すべきで、内面の話は後にしろよ」とじれったくなる。そういった事実認定の議論になるべきところを、団地族とバタ屋部落の階層意識にすりかえて物語は進む*4。もちろん、それがこの映画の訴えたいポイントなのだが。
この事件をきっかけに直子は一時伊古名と距離を取ろうとする。伊古名は一度、石川家の扉の前の階段に座り込み直子に「盗ったんじゃない、拾ったんだ」という旨訴えかけるが、訴えかけ方が上記のごとく曖昧で要領を得ない*5。が、直子は直子で勝手に自問自答しているうちにわけが分からなくなり、いつの間にか二人のテキトーな純粋無垢さ*6が和解に導く。伊古名役の山下菊二は画家で演技は素人以下だが、存在感だけはある。「演技力はないが、説得力だけはある」とするなら、説明はしなくとも観客は勝手に分かってくれるし、プロの演技者・左幸子による石川直子も勝手に自己完結して収まるところに収まる演技をつけてくれる、といったようなことか。

直子と伊古名の仲直り(?)シーン。長閑な団地周辺の光景

石川家はベッドで眠る。突然壁を叩き出して夫に注意される直子。「なんだか山の中にいるようで、誰もいないみたい」
英一の出張中、伊古名も遠出をして何日も留守にしていた。取り残された盲目の少女は肺炎に罹り、直子は自宅に連れ帰って看病する。帰ってきた伊古名もいっしょになり、石川家は直子、伊古名、盲目の少女の一家団欒といった趣きとなる。そこへ出張より英一が帰ってきて激怒。翌日、盲目の少女は病院に搬送され、立ち退きに抵抗して部落跡に一人残る伊古名は愛犬クロとの生活を続ける。
この後一挙にクライマックス。クロが団地の子どもたちにさらわれ、消えたクロを探し回る伊古名と直子。無残なクロの亡骸。盲目の少女と共に忽然と姿を消した伊古名。うつろな直子。


谷川俊太郎武満徹。超有名曲「死んだ男の残したものは」路線といえば言えなくもないか?「死んだ〜」が起伏がはっきりしたメロディ・コード転回なのに比べ、尻切れトンボのような終止形でボサノバ調。歌い出しのメロディもとっつきにくい。あ、シコ・ブアルキの「刺青」に近い魅力ということかなぁ?

彼女と彼 羽仁進 左幸子 山下菊二 RFD-1150 [DVD]

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*1:ハナコ」と呼ばれるシーンがあるがキャスト名は「盲目の少女」

*2:宗教学者や学生が社会事業的に貧民層と共同生活をする隣保事業。

*3:水を貰った後伊古名は消え去り、消え去った直後の玄関シーンにはカップが消えている。玄関シーンの次は木に凭れて涼んでいる伊古名というショット。屑屋は伊古名らしき人物から購入したと説明する。こういった誘導に従えば、伊古名が盗んだという理屈もあり得る。だが、それ以前にクリーニング屋店員が物欲しそうに室内を見廻すシーンがあったりする。すこし不審に感じた直子に「こんなとこに住めればいいなぁ」と答える若い店員。その一言で不審さは流れてしまうが、もちろんこれが実は「物色」である、という可能性への拡張であることも明らかで、この時から伊古名の石川家訪問まで、玄関が映ることはあってもカップのある位置は巧妙にカメラから外れ続け、カップ自身のアリバイはない。

*4:「ねえあなた、伊古名さんどうしてカップなんか盗んだのかな?」「…いつかきみ、伊古名に仕事紹介しろって言ってたよね?考えてみるよ」という石川夫婦のすれ違いの会話なども象徴的。

*5:この弁明時、再び水を所望した伊古名に、直子は先ず自分がコップに注いだ水を飲み、それから自分の飲んだコップをざっとゆすいで水を入れ伊古名に差し出す。

*6:二人の「今日は面白い雲だなぁ」「爆弾みたいだわ」といった会話や、夕陽がきれいと大袈裟に感激する直子、「どこそこの風景を見に」といった理由で遠出をして何日も帰らない伊古名、といった純粋無垢さを指す