議論「日本における一般公衆の被曝限度規制の根拠 」

菊池誠さん高嶌英弘さんを中心とした、日本における一般公衆の被曝限度規制の根拠についてのツイッター議論。togetterでいくつか(その1その2その3その4その5など)まとめができてますが、発端部など欠けているようでもあり、便乗してブログの方でも経緯・やりとりを記録しました。

・発端は下記BuzzFeed記事を、書き手石戸諭さんがツイートしたことから(以下敬称は略します)。
科学者がいま、福島の若い世代に伝えたいこと「福島に生まれたことを後悔する必要はどこにもない」
ツイッターやりとり(ツイートURLは略し、連続ツイートはおおむね枠内にまとめました。高嶌さんはおおむね菊池さん宛てのツイートで構成されていますが、菊池さんのは、それが高嶌さん宛てのツイートの内容に関連する要素があるので、拡散する意味もあるだろう繰り返しの多い宛て無しのツイートを含みます。)
石戸諭

福島は危ない。3年後、5年後がといってきた人たちは、積極的に取り上げてきたメディアはこうした不安をどう思うのだろう。データを積み上げた早野さんとの違いは明らかだ→【 #成人の日 】「福島に生まれたことを後悔する必要はどこにもない」


想田和弘

素朴な疑問。福島県での被曝のリスクが他の地域と変わらないのであれば、国はなぜ避難を勧める基準として事故後に設定した「年間20ミリシーベルト」を撤回し、「年間1ミリ」に基準を戻さないのでしょうか?


菊池誠

戻す?もともと「年間1ミリ」なんていう基準はないし、そんな低い基準で「避難」なんか常識で考えておかしい。「1ミリ」の意味をこの人はまったく理解していないのではないかな
公衆被曝の限度を「年間1ミリシーベルト」に定めた法律なんかないんだけど。何度これを言えばいいのかな
ICRPも「年間1ミリシーベルト以上は避難させろ」なんてばかなことは言っていません。それどころか、事故収束後の汚染地域での目安として20ミリシーベルトという数字を挙げています(これも避難基準ではありません。意味をツイッターで説明するのは厄介ですが、避難しろという意味ではない)
年間1ミリシーベルトというのは安全と危険の境目じゃないよ。放射線防護上のひとつの目安。強いて言うなら、逆に「それ以下は気にしない」という程度の目安。たとえば食品の基準は年間1ミリシーベルトを目安に作られてる
ちなみに「避難を勧める基準」というのは政府にはない。「避難指示の基準」は運用としてはあって、年間20ミリシーベルト。この指示が効力をもつ根拠は原子力災害対策特別措置法の20の2らしい(あまりよくわかってない)
ICRPの参考レベルの「低いほうから選ぶ」は誤解されてるんじゃないかな。参考レベルとは、それを超えそうな人から重点的に対策するために設定するものなので、初めからやみくもに低く設定しても意味がない。超える人を対策し、達成されたら更に参考レベルを下げて繰り返す。現実的な数値に設定だよ
しかし、いずれにしても日本ではICRPのいう参考レベルは設定されていない。現存被曝状況に対するICRP勧告に即した対策は取られていない。そもそも年間20ミリシーベルトで強制避難というのも、ICRPの考えかたとは違うわけです。ICRP勧告では「20ミリ以上で避難」とはしていません
ICRP勧告と日本の法令や基準との齟齬は、マニアックっちゃあマニアックだけど、頭に入れておいていいと思います。日本の避難基準などはICRP勧告に即しているわけではありません。数値はたしかにICRP勧告から拾ってきてるけど
ICRP2007勧告を日本の法令に取り入れる作業は止まったままです
ICRP勧告は世界標準なんだけど、日本ではICRP勧告通りには対策が行われていないわけです。特にICRP111的な対応は日本の行政にはできないのじゃないかと思います
日本の行政は「この数字から上は強制避難」と決めてしまう。それが年間20ミリシーベルトICRP勧告は20ミリシーベルトで避難なんてことは言ってなくて、どういう人を重点的に対策するかの目安として、20という数を出している。20より上でも「対策しながら暮らす」選択肢を提供してる
年間1ミリシーベルト規制は原子力発電所放射線施設などの敷地境界での管理基準。「漏れないように管理しなさい」という意味です
除染はねえ、仮に裁判所が「◯年までに年間1ミリシーベルト以下まで除染しなさい」と命じたとしても、できないものはできないからな。努力することはできても


想田和弘

はあ?詭弁を使わないように。追加の被曝を年間1ミリシーベルト以下に抑えるという法的な基準があるでしょうに。ICRPの勧告に基づいた基準ですよ。もし早野氏が言うように福島県での被曝量が他の地域と変わらないのであれば、なぜ1ミリではなく20ミリを避難基準にするのか。疑問に思わないの?


菊池誠

それは日本の法律にはないんですよ。法令を調べてごらんになるといい。政府が国会答弁で「ない」と明言しています。あるのは原子力発電所敷地境界などでの管理基準だけです。それと混同してる人は多いです
ICRP2007勧告が日本の法律に取り入れられてないことは「いちから聞きたい放射線のほんとう」にも書きました。それでも、原発事故後の対策ではICRP2007勧告を参考にしています。たとえば、避難指示の20mSv/yというのは緊急時被曝状況での参照値の下限の数値を借りたもの
もっとも、その20mSv/yはICRP2007から数値を持ってきただけで、ICRP勧告にきちんと即した対応とは言い難いですが(ICRPは20mSv/yで避難しろとは言ってない)
仮にICRP2007勧告が日本の法律に取り入れられていたとしても、1mSv/yは避難の基準にも避難を勧める基準にもならないよ。ICRPは1mSv/yで避難だなどとはひとことも言ってないし、それどころか現存被曝状況では20mSv/yですら避難の基準ではないのですよ
ICRP的には1mSv/yは「計画被曝の限度」だから、日本の法律が原子力施設の境界線量を1mSv/yで規制してるのは整合している。一方で、現存被曝状況での扱いは「これ以上なら段階的に被曝を減らす努力をしましょう」とでもいったところ。もちろん、ALARAの範囲で
以下の参議院での答弁で話は尽きています。施設境界での線量限度規制はあるが、一般公衆の線量限度規制はありません
また、想田さんの最初の話に戻りますが、そもそもICRPも「年間1ミリシーベルト以上で避難を勧める」などとは言っていません。つまり、ICRP完全準拠でも1mSv/yは避難とは関係ない数値なのです
管理されていない放射線源が広がっている状況は「現存被曝状況」と考えられるので、ICRP勧告を参照するなら現存被曝状況を見ればいいのですが、そこでの過剰被曝1mSv/yは参照値の下限、つまり「1mSv/yを超えるときは段階的に被曝低減の対策をしましょう」といった感じの位置づけです
「目的が正しければ、嘘をついてもかまわない」という姿勢が蔓延しているような気がするな。なんにつけ、立場によらず。それはよくないことだよ
「嘘でかためた運動」では仲間を増やせないんだけどな。まともな人はどんどん遠ざかっていくだけで、「嘘でもいい」っていう人しか残らないよ
1.日本の法律には一般公衆の平時の被曝線量限度の規制はない
2.ICRP勧告を完全に取り入れたとしても、現在の福島の状況(現存被曝状況)では年間1mSvが限度ではない
3.ICRPは年間20mSvで避難しろとは言っていない。まして年間1mSvで避難しろと言うことはありえない
福島に暮らしている人たちを「不安なままにしておこう」とするのはいいことではないんだよ。それはひどいストレスだからね。不安を解消しないことが正義だと考えてる人たちは利己的なんだよ。それは自己満足のために人を利用してるんだ
繰り返しで悪いのですが、仮にICRP勧告に完全に準拠したとしても、年間1mSvは避難となんの関係もないし、それをいうと日本が避難基準としている年間20mSvですらICRP勧告では避難と直接結びつけられていません。日本はある意味でより厳しい。それがいいかどうかが問題なのですが
事故直後の緊急避難は別として、事故収束後の現存被曝状況(福島の浜通り中通りの多くの場所がこれにあたる)では安易に「避難せよ」とならないのがICRP2007勧告のだいじな精神なので、そこは勧告を読んでみていただけるといいと思います。日本語版が無料で読めます
現存被曝状況の考えかたについてはICRP publication 111という文書を読んでいただくといいです。下のほうに無料日本語版へのリンクがあります
ICRP 111は日本の法律に実装されていませんが、東電原発事故後の被曝対策の参考にされています。もっともこれは僕が繰り返し「つまみぐい」と言っているところで、表面的な数値が参考にされている程度に留まり、本質的な部分はかなりないがしろにされている印象があります
そういえばICRP勧告も暫く読んでなかったから復習しようと思ってICRP pub 111をざっと読み直したら、自分の理解が少しずつずれてきてることが分かりました。やっぱり時々見直さないといけませんね
しかしまあ、日本では「参考レベル」(定訳はこっちだった)が設定されてるとは言い難いのは確かでしょう。今なら福島県内の殆どの地域で参考レベルを下限の年間1mSvに設定して問題ありませんけどね
年間20mSvは避難指示の基準なんだけど、ほんとうに20mSvに達するところはかなり限られると思う。もともと避難指示が出されていなかったところは年間追加被曝を1mSvを切ってる場所がほとんどのはず


高嶌英弘

最近、一般公衆の被曝限度の規制はわが国では設けられていない、との言説がtwitter上で繰り返し主張されています。
この点は過去にもツイートした記憶があるのですが、原子力規制委員会の発足に伴い法令が一部改正されていますし、原発事故関連の集団訴訟とも関連しますので(とりわけ自主避難の客観的合理性を基礎づける事情として)、以下で改めて一般公衆の被曝限度を定める規制の有無につき確認しましょう。
なお、私は法律の専門家ですが、放射線管理に関連する法令については必ずしも詳しくありませんので、誤解に基づく叙述があるかもしれません。ご質問があれば、ご遠慮なくメンションして頂ければ幸いです。
最初に、関連する現行法令のしくみを確認しましょう。
 法律(国会が制定する法)のレベルでは、「核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律」があります。
同法の目的は、「核原料物質、核燃料物質及び原子炉の利用が平和の目的に限られることを確保する…災害を防止…核燃料物質を防護、公共の安全を図るため…必要な規制を行う…もつて国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全並びに我が国の安全保障に資すること」にあります。
また、同法に基づき、詳細な定義や規制を定める政令として、「核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律施行令」が制定されています。
核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律」及び「核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律施行令」の条文は次の通りです。
核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律
核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律施行令
次に、「核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律」の規定に基づき、政令たる「実用発電用原子炉の設置、運転等に関する規則」が制定されています。
実用発電用原子炉の設置、運転等に関する規則
この規則の第二条第二項第六号では、「周辺監視区域」という用語が定義されています。その文言は次の通りです。
「『周辺監視区域』とは、管理区域の周辺の区域であって、当該区域の外側のいかなる場所においてもその場所における線量が原子力規制委員会の定める線量限度を超えるおそれのないものをいう。」
この定義から分かるように、周辺監視区域とは、一般人の立ち入りが制限される管理区域の周辺に設定される区域であり、周辺監視区域の外側のすべての場所では、「原子力規制委員会の定める線量限度」を超えるおそれがないことが前提にされています。
では、「原子力規制委員会の定める線量限度」はどこに規定されているのでしょうか。「実用発電用原子炉の設置、運転等に関する規則」の中には見当たりません。
これについては、別途、「実用発電用原子炉の設置、運転等に関する規則の規定に基づく線量限度等を定める告示」が存在し、その三条において線量限度が定められています。その文言は次の通りです。
(実用炉規則第二条第二項第六号等の線量限度)
第三条 実用炉規則第二条第二項第六号…の原子力規制委員会の定める線量限度は、次のとおりとする。
一 実効線量については、一年間(四月一日を始期とする一年間をいう。以下同じ。)につき一ミリシーベルト
この告示については、法令データ提供システムでは現物が見られませんので、原子力規制委員会平成28年に作成した資料へのリンクを張っておきます。以下の資料の2頁に上記告示の抜粋が掲載されています。
原子力施設の放射線防護基準について
一般公衆の線量限度に関連する法令はこのほかにも存在しますが、あまり複雑にならないように、とりあえずこれらにとどめておきましょう。
なお、第185回国会で、一般公衆の被曝線量限度の規制に関する質問がなされ、これに対して政府は次のように答弁しています。一般公衆の被曝線量限度の規制が存在しないとの言明はこの答弁を根拠にしているようですので、これも見ておきましょう。
「一般公衆の被ばく線量限度の規制は設けられていない…国際放射線防護委員会…の勧告等を参考に、核原料物質、核燃料物質 及び原子炉の規制に関する法律…等において、内部被ばく及び外部被ばくを考慮して、原子炉施設の周辺監視区域外等における線量限度を年間一ミリシーベルトと規定している」
この答弁は、以下で読めます。

次に検討に移りましょう。ここで検討すべきは、以下の3点だと思われます。
(1)上記の告示三条は法令か(市民や国、地方自治体に対する法的拘束力を有するルールか)。
(2)告示三条が法令だとして、上記の政府答弁が示す法解釈はどのような意味を持つか。
(3)自主避難の客観的合理性を基礎づける上で上記告示三条はどのような意味を持つと考えられるか。

(1)について
まず、上記告示三条が、たんなる内部規則やガイドラインではなく、市民や国、地方自治体に対する法的拘束力を持つルールである(いわゆる「法令」の一部である)ことは明白です。
「告示」にはいくつか性質の異なるものが混在しており、単なるお知らせである場合も存在します。ネット上には、このことを根拠として、上記告示も法令ではないとする見解があったように思いますが、これは明確な間違いです。
というのは、法令が自ら定めるべき事項を規定せず告示にこれを委任している場合には、告示は、法令の援権によって具体的な事項を定めているわけですから、その援権の範囲内で、当然に行政や市民を拘束する効力を持つことになります。
上記の政府答弁も、「法律…等において、内部被ばく及び外部被ばくを考慮して、原子炉施設の周辺監視区域外等における線量限度を年間一ミリシーベルトと規定している」と述べていますので、上記告示三条が法的効力を持つことを当然の前提としています。
(2)について
次に、告示三条が法令だということを前提としたうえ、上記政府答弁が示す法解釈はどのような意味を持つかが問題となります。
ツイートの中には、政府がそのような規制は無いと答弁しているんだから無いんだ、と述べているものがありますが、これも法的には基本的な間違いです。
というのは、法令の解釈が正当であるかどうかの最終的な判断権限は、最高裁判所だけが有しているからです。政府や個人が答弁でそのような規制はない、と の解釈を示すことは自由ですが、法的には政府答弁であっても主張の正当性はなんら担保されません。
実際に、政府による法令の解釈が最高裁判所の判決で否定された事例は、少なからず存在しています。
従って、政府が無いと答弁しているというだけで規制がないとの結論を導くのは間違いであるということがおわかり頂けると思います(解釈のひとつとして提示するのはもちろん可能ですが)。
私見では、上記告示三条は、当然に公衆の被曝限度を定めた規制であるとの解釈が正当であると考えます。その理由は次の通りです。
確かに同告示の文言には公衆という言葉は出てきませんが、条文の解釈は、法の制定趣旨、目的に沿って行わなければなりません。
先述のように、同告示は、「核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律」及び「実用発電用原子炉の設置、運転等に関する規則」を補足する趣旨で制定されたルールですから、その内容は、これらの法令に従って解釈されなければならないことになります。
そして先述のように「核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律」の制定趣旨は「国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全…に資することを目的とする」(1条)のですから、下位ルールである告示三条もまた、国民の生命、健康を保護するためのルールであると解釈するのが自然です。
付言しますと、少なくとも平成23年時点では、国の行政機関(文科省)自身が、公衆被曝に対する線量限度は1年間で1ミリシーベルトであり、これを定める法令として上記告示三条があることを明記しています(この告示三条は改正前のものですが内容は同じ)。
次の資料をご参照下さい。放射線に関する安全基準等について
この文科省文書は重要なので、以下で少し内容をピックアップしてみましょう。
「現在の国内法令は、ICRP1990 年勧告(Pub.60)に基づいている。右勧告を国内法令に取り入れる際の放射線審議会の意見具申の概要と国内法令への取入れの例は次のとおり。」(1頁)
「?公衆被ばくに対する線量限度 <1990年勧告の基本的考え方>
公衆の被ばくに関する実効線量限度は、1年について1mSvとする…。 」(4頁)
「<取入れにあたっての基本的考え方>
公衆の被ばくに関する限度は、実効線量については年1mSvとし、これを規制体系の中で担保することが適当である。…」(4頁)
「 <国内法令の例>
●実用発電用原子炉の設置、運転等に関する規則(抜粋)
第一条第二項第六号(注:現在の二条二項六号)…
●実用発電用原子炉の設置、運転等に関する規則の規定に基づく線量限度等を定める告示(抜粋) 第三条(抜粋)
実用炉規則第一条第二項第六号の経済産業大臣の定める線量限度は、次のとおりとする。
一 実効線量については、一年間(四月一日を始期とする一年間をいう。以下同じ。)につき一ミリシーベルト」(4頁〜5頁)
このように、国の官庁ですら、同告示三条は公衆の被曝線量限度を定めた法令であると明言しているのです。
この解釈が国会答弁で変更されたのならば、見解の変更に当たるわけですから、当然にその理由を明示する必要があるはずですが、国会答弁ではその理由が何ら示されていないことからすれば、当該解釈の信頼性は低いと評価できます。
以上のことから、結論として、私見では「実用発電用原子炉の設置、運転等に関する規則の規定に基づく線量限度等を定める告示」三条は、一般公衆の被曝限度を定めた法令だと解釈すべきである、ということになります。
(3)について
最後に、自主避難の客観的合理性を基礎づけるうえで、上記告示三条はどのような意味を持つと考えられるかについて、若干言及しておきます。
現在、多くの集団訴訟では、自主避難の客観的合理性が健康被害の可能性を中心に検討されていますが、上記告示三条が一般公衆の被曝限度を定めた法令であるとの前提に立てば、具体的な健康被害のおそれという問題に立ち入る前に、合理性判断に当たって法令違反という点を考慮すべきことは明白です。
その他、現在なお 原子力災害対策特別措置法15条に基づく「原子力緊急事態宣言」が発令中であることに照らしても、自主避難の客観的合理性は担保されると評価できます。
原子力災害対策特別措置法15条4項は、応急対策の必要がなくなったと認めるときには速やかにこれを解除するとしています。このことからすれば、現在なお、「原子力災害の拡大の防止を図るための応急の対策を実施する必要がある」状態が継続していることを、政府自体が認めているわけだからです。
多くの公害事件もまた、生産と消費の分離という社会構造から必然的に生じる問題として、将来の消費者法教育の中の重要事項として扱う必要があると考えております。

菊池誠

「低線量被曝問題には慎重であるべき」という大義名分を掲げて、現に福島に暮らす人たちを不安にさせるのは、倫理的ではないと思うよ。原爆被爆者調査やチェルノブイリ事故などの知見に基づいて「健康被害は見出せない」と予測されるのだから、「人々が安心して暮らす権利」を重視するべきだよ
「現にそこに暮らしている人たちがたくさんいる」という視点を欠いてはいけない。「慎重である」ことがその人たちの利益を損なうのなら、いたずらに慎重であることは倫理的ではない
正義感には溢れているけれども人々に不安を与えることの罪深さには無頓着な人は少なくないように思う。僕なら、「無用な不安を与えること」は倫理的ではないと考えますが(「可能性はゼロではない」はこういう問題では禁句にするべき)
あんまりやりたくないんだけど、ICRP90年勧告が導入された経緯にまでさかのぼるのなら、勧告に「公衆被ばくに対する線量源との適用範囲を、行為の結果受ける線量に限るものと決める」も解釈したほうがいいと思うなあ
「唯一利用できる防護措置が介入のかたちをとるような状況で受ける線量は、適用範囲から除外される」「すでに環境中に存在する自然または人工の放射性物質は、介入によってのみ影響を与えることのできる状況の例である。それゆえ、これらの線源からの線量は、公衆被ばくに関する線量限度の範囲の外」
人工放射性物質であっても、「すでに環境中に存在する」線源からの線量は、公衆被ばくに関する線量限度の範囲外であるというのがICRP1990年勧告の言うところなのですが。90年勧告まで戻りたいのなら、そういうことです。「介入」以外に防護策がないものには公衆被ばく限度は適用されない
考えてみれば当たり前で、管理・制御できない被ばくについては「限度」を決めてもどうしようもないわけですから。ICRP1990年勧告の導入経緯に立ち返るなら、これも考慮しないと。公衆被ばくについての線量限度を適用できる問題については、年間1mSvを限度としている
法令解釈について、政府解釈と違う解釈をする法律家のかたがおられるのは「法解釈」の問題なのでかまわないのですが、そうすると高嶌先生も書いておられるとおり「どちらが正しい解釈かは司法が決める」という話にしかならないんじゃないかな
日本の法律が準拠しているICRP1990年勧告を参照したとしても、今のような状況下(2007年勧告がいう現存被ばく状況)では「1mSv基準」というのは出てこないと思うけどね
水俣病放射線被曝問題を比較するときに忘れてはならないのは、水俣病はそもそも原因不明の症状が現れたのに対し、被曝問題は「原因ははっきりしており、結果もかなり予想がついており」そして症状は出ていない、というところです。ありていにいうと、全然違います

菊池誠(高嶌英弘宛て)

1. はじめまして。ツイート拝見しました。僕のことだと思われるので、いくつか質問させてください。僕はたぶん先生が挙げられた法令・告示のおおかたには目を通したつもりです。その上で、「平時の一般公衆に対する被曝線量の規制は定められていない」と考えるのですが
2. 政府の法か釈と高嶌先生の法解釈が違うとすると、高嶌先生がおっしゃるとおり、司法が決めるしかないということになるでしょうか。現時点で、ふたつの法解釈があるということになりそうです。ただ、実際には問題としているものが違うような気もします
3. 正直、問題が同じか違うかわかりません。それはそれとして、高嶌先生はICRP1990勧告導入時の経緯までさかのぼられましたが、そうだとするとICRP1990勧告の中身にも踏み込んだほうがいいように思います。1990勧告の189節にこうあります
4.「公衆被ばくに対する線量限度の適用範囲を、行為の結果受ける線量に限るものと決める。唯一利用できる防護措置が介入のかたちをとるような状況で受ける線量は、適用範囲から除外される」これは適用範囲が「管理できる放射線」に限られることを意味すると思います
5.また「すでに環境中に存在する自然または人工の放射性物質は、介入によってのみ影響を与えることのできる状況の例である。それゆえ、これらの線源からの線量は、公衆被ばくに関する線量限度の範囲の外である」
6. 要するに「公衆被ばくの限度1mSv」というのは原子力施設や放射線施設の管理のしかたを制限しているものであって、あらゆる状況下での制限ではないように思います。ちなみに僕は管理のための限度として1mSvが決められていることは何度も書いています
7. 少なくとも、僕とその他のかたがたのあいだで今問題になっているのは、「原子力施設や放射線施設の管理のための1mSv」以上の決まりがあるかどうかで(僕はそういう話をしていますし、政府答弁もそういう意図と解釈しています)、それはないのではないかと
8. 考えるのですが、いかがでしょう。もし話をICRP1990勧告まで戻すのであれば、公衆の線量限度1mSvには適用範囲があり、今のような状況(2007勧告でいう現存被曝状況)には適用されないと解釈されるように思います。連投失礼いたしました(菊池誠)

別の話です。「低線量放射線被曝については慎重であるべき」というご意見はもちろんわかるのですが、現に福島に暮らすかたがたには「安心して暮らす権利」があると思います。「慎重」がゆえにその人たちを不安にしてしますのは倫理的ではないと思いますがどうでしょう
安心できる状況下(様々なデータがそれを裏付けています)で安心して暮らすのは「権利」であり、そのような状況下で敢えて不安を与え続けるのは(あるいは安心させないのは)広い意味での人権侵害にあたるのではないかと僕は考えますが、いかがでしょうか(菊池誠)

菊池誠

ICRP1990に準拠したとしても、原発事故で放射性物質が管理不可能な状態で環境にばらまかれてしまった状況は、「公衆被曝に対する線量限度の適用範囲」を外れていると思います。ICRP1990勧告の189節に書いてあるのはそういうことでしょう
高嶌先生はICRP1990勧告導入の経緯まで戻られましたので、僕はそのもとになったICRP1990勧告まで遡りました
問題は要するに「公衆の被曝限度は1mSvのはずなのに、もっとたくさん被曝させてるじゃないか」ということなのですが、ICRP1990勧告まで戻れば「現状は1mSvの被曝限度が適用されない」になると思います。法令も「管理基準」としての1mSvであって、今の状況とは違うと思います
その意味で、たぶん政府答弁と高嶌先生の話は「違う話」をしていて、どちらが間違いというわけではないのかもしれません。「施設の管理基準」として、「公衆の被曝限度1mSv」はあります。それは政府答弁でも明言されている
まあ、そんな感じですよ
高嶌先生が挙げておられた法律や告示などは、全部ではないけどだいたいは読んでいました


高嶌英弘

菊池さん、ツイートをありがとうございます。昨年は京都でご講演を賜り、誠に有り難うございます。実は、私は先生の講演の主催者のひとつ「京都消費者契約ネットワーク」の代表を務めさせて頂いており、本来ならもっと早く御礼申し上げるべき立場であるにも関わらず、ご挨拶が遅れて失礼しました。
実は、ご講演頂いた当日、たまたま半年前から地方自治体の研修講師業務が入っており参加できませんでしたが、大変好評であったと聞いております。今後とも宜しくお願い致します。
先に私が指摘させていただいたのは、近年の文科省の見解の根拠です。すなわち、文科省は、告示3条がICRP1990を前提とした一般公衆の被曝線量規制を定める規定であるという見解をとっていたということです。
なお、私個人は、日本の現行法令を解釈する上でICRP1990の内容は参考になるが、これとは一応切り離し、日本の法体系との整合性を考慮した上で独自に解釈すべきであるとの見解です。
菊池さんのご見解をご解説頂き、ありがとうございます。菊池さんのご見解では、告知3条は、「原子力施設や放射線施設の管理のしかたを制限しているものであって、あらゆる状況下での制限ではない」ということですね。その趣旨はよく分かります。
ただ、私見では、先に見ましたように、告示3条の本体である「核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律」では、制定目的として「国民の生命、健康及び財産の保護」が挙げられており、あえてこれと無関係な解釈を行うのは無理があるように思います。
また、わが国の法令では、目の水晶体につき年15ミリ、皮膚につき任意の1平方センチ メートルに対し年50ミリの線量限度が規定されていたと思います。私はこれらも一般公衆の被曝限度を定めていると評価しますが、菊池さんのご見解ではこれらの規制はどのように位置づけられるのでしょうか。
翻って考えてみますと、ICRP1990が一般公衆の被曝限度を示していることは明らかなのですから、これを参考にしたわが国の法令において、一般公衆の被曝限度の規制が存在しないというのはおかしくありませんか。
ただ、先生のご指摘の中で、ICRP1990の想定している一般公衆の被曝限度基準は、放射性物質が環境中に拡散して管理できないような場合の被曝を除外する趣旨である、との点は理解できます。確かに、ICRP1990の189節はそのような趣旨であると読めますね。
ただ、私が読んだ限りでは、ご指摘のICRP1990の189節やS39節は、このような被曝を考慮しなくて良いといっているのではなく、むしろ除染などによって線量を減少させる行為の問題なので、そちらで対応しろといっているに過ぎないように思います。
先述のように、私個人の見解としては、告知3条等はICRP1990を参考にしつつも、わが国の法体系との整合性を考慮したうえ独自に解釈すべきだという立場であり、上記189節などの趣旨の制限を設ける明文がない以上、告知3条は、当然にすべての被曝を考慮した規定であると評価しています。
「司法」といいますと裁判所の組織すべてを意味しますが、法令の最終的な解釈権限を有するのは最高裁判所だけですので、この点は注意して下さい。

菊池誠

いろいろがっかりだわ
法律が準拠しているICRP1990勧告が「既に環境中に存在する放射性物質」による被曝は「年間1mSv限度」の範囲に含まれないと明記しているので、たとえば自主避難問題は1mSv限度の範囲に含まれないことになると思います。1mSv限度があくまでも「そのように施設を管理しなさい」という「管理者のための法律」として取り入れられているだけであることは明らかですし、政府答弁もそのような趣旨でしょう。ICRP1990勧告の趣旨からしても、そうなっているはずです
消費者問題の専門家である法曹家の中にも放射能問題について正しいことを言う人もいれば誤ったことを言う人もいるという話。それ以上でもそれ以下でもないので、発言を個々に見ていくしかないよ
森永ヒ素ミルク事件と放射線問題を一緒にするのも極めて筋の悪い話。繰り返しですが、放射線問題は 1.問題となる放射性物質はわかっており、量も測定されている 2.その程度の量では健康影響が小さいこともわかっている、ものです。人々を不安なままにしておこうとするのは倫理的に間違いだと思う
年間1mSvなんていう低い被曝量で避難を勧めたりしたら、過剰避難による害しか出ないよ
岩上安身の例の「スクープ」は、もちろん彼が放射能について何も学んでいなかったことが直接の原因なのだけれども、「隠れた差別意識」が表に出てきた事件でもあったと思う。あの事件はひとつの象徴として忘れないようにしたい(市民社会フォーラムの講演で取り上げたので、映像アーカイブにあります)
被曝による健康被害が起きるとすれば、それはとてもありふれた病気として現れるので、被曝影響かどうかは統計的にしかわからない。甲状腺癌は例外的に「稀なことが起きる」と考えられてきたけれども、福島での甲状腺検診は「そうはいっても、エコーで調べると見つかる」ことを明らかにしつつある
‪ICRP1990には「公衆の被曝限度」は「行為による」被曝にしか適用されないと明記されている。「行為によらない被曝」は制御できないので限度を設けても仕方ないという常識的な話。実際的な意味がなければ限度を決めたってしょうがないわけ。そうじゃないと机上の空論になっちゃう‬から。「介入」でしか防護できない被曝は適用範囲外だと明記されている。今問題になってるのはこちらのほう
累積100mSv以下でほんとうに健康影響があるかどうかは議論になっているところ
ICRP1990勧告で「公衆の1mSv限度」が「行為による」被曝に限られるのは、管理もできないものを「1mSvにしろ」と言ってもしかたないからですよ。「介入」でしか防護できないものは除外と書いてある。被曝防護を線量限度では決めないと言ってるだけで、防護しないという意味ではない
年間1mSvはリスク的には全く問題のない被曝量なので(だからこそ、1mSvが施設の管理基準なわけですから)、その程度で避難指示が出ないのはむしろ当然です。ちなみにそれとは別に「危機的状況」という点については、今も原子力緊急事態が続いています
ちなみに、山本太郎議員の質問は「我が国の一般公衆の平常時における年間の被曝線量限度(以下「被曝限度」という。)は何ミリシーベルトか」です。このあとに関連質問が続くのですが、この前提質問が否定されているため、続きの答弁はありません
弁は「お尋ねの「我が国の一般公衆の平常時における年間の被曝線量限度」の意味するところが必ずしも明らかでないが、一般公衆の被ばく線量限度の規制は設けられていない。」とまずはそのような規制がないことを明言した上で、「なお、国際放射線防護委員会(以下「ICRP」という。)の勧告等を参考に、核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律(昭和三十二年法律第百六十六号)や、放射性同位元素等による放射線障害の防止に関する法律(昭和三十二年法律第百六十七号)等において、」「内部被ばく及び外部被ばくを考慮して、原子炉施設の周辺監視区域外等における線量限度を年間一ミリシーベルトと規定している。」
となります。施設管理のしかたとして、「周辺監視区域外等における線量限度」を制限しているわけです
「一般公衆の被ばく線量限度の規制は設けられていない」というのは、文字通りの意味だと思いますし、ICRP1990勧告の趣旨からしても、それで整合しているはずです
「一般公衆の被ばく線量限度の規制は設けられていない」が政府答弁だし、僕もそうだと思うのですが、異論があるのはそれはそれでよい。必要なら司法が決める。いっぽう、「もしそういう規制が実はあるのだとしたらどうだというのか」という問題もあるわけ。「規制の有無」でなにが変わるの?
ICRP勧告の「年間1mSv限度」が「行為による被曝」に限られているのはかなり重要なので、これを無視して一律に「年間1mSv限度」が設定されたと考えるのは無理があると思うな。それだと「1mSv超の事態では必ず介入」ということになって、勧告の趣旨に反するよ
あ、1990勧告のことです。2007だと「現存被曝状況」が定義されているから、話は明らか
ICRP1990では自然放射線による被曝を除外する論理が「既に環境に存在する線源による被曝は1mSv限度の適用範囲外」というところなので、日本の法律ではこれが適用されないという高嶌解釈では1mSvの中に自然放射線も含まれることになってしまわないかな。実際、そういう意見なのかな
「1mSv限度」に自然放射線を含むという解釈はまずいと思うけれどもな
1mSv限度の中に「行為によらない被曝」も含むと解釈してしまうと、そうならざるを得ないと思うんだけどね。「行為によらない被曝」の代表が自然放射線なんだけど
「行為によらない被曝」を適用範囲外とするなら、1mSv限度には適用範囲があるというだけの話(一律の線量規制ではない)だし、「行為によらない被曝」を適用除外としないのなら、1mSv限度に自然放射線も含まれることになると思うな。後者はちょっと受け入れがたい
しかし、より現実的な2007勧告があるのに、時代遅れの1990勧告の話をするっていうのはつまらないね
ICRP1990勧告をまた見直すのもめんどくさいから、今日はまあいいや。僕は理解できたと思う。1mSv限度には適用範囲があるので、公衆被曝を一律に1mSv限度とする規制はやっぱりない
消費者問題とか自主避難者救済とか、そういう余計な視点は外して見ないと読み損なうってことなんじゃないの?

ICRP1990勧告の中で、公衆の被曝限度1mSvから自然被曝が除外されることは189節の「公衆被曝に対する線量限度の適用範囲を、行為の結果受ける線量に限る」が根拠になっている。この節には適用範囲と範囲外の例がいくつか挙げてあり、自然被曝は範囲外の例として書かれている
選択肢は189節で示された「適用範囲」が日本の法律でも前提とされているかいないかで、僕はされていると考える。そうでないと線量限度1mSvは自然被曝を含まないことになり受け入れがたい。高嶌説ではこの適用範囲が日本の法律で前提とされないと考えるようだけど、自然被曝はどうする?
(1)線量限度に自然被曝が含まれないと考えるすると、その根拠はこの「線量限度の適用範囲」以外のどこにあるのか (2)自然被曝が含まれると考えるなら、自然被曝だけで年間1mSvを超える場所をどう考えるのか。だいたいこのあたりが問題になるのじゃないかと思います
189節を自然被曝除外の根拠と考えるのなら、線量限度は「行為による被曝」にしか適用されない。一般の人の被曝を一律に規制するような法律はないということで、こちらは政府答弁と整合する。そういうことだと思うよ、僕は
夕べ考えたことをさっきICRP1990勧告に当たって確認したので、ちょっと書きました。日本の法律が2007勧告ではなく1990勧告に基づいていたことは、さまざまな混乱のもとになったと思います
ちなみにICRP1990勧告の190,191節には「年間1mSv」が自然被曝の地域差くらいであることが書かれている。これが線量限度1mSvの根拠のひとつとされている。このあたりの話は2007勧告にも引き継がれている
「線量限度は介入の場合には適用されない」は113節

菊池誠(高嶌英弘宛て)

1.ひとつ確認させてください。高嶌先生はICRP1990年勧告189節の「公衆被曝に対する線量限度の適用範囲を、行為の結果受ける線量に限る」の部分は日本の法律では考慮されていないと解釈されているようなのですが、それでよいでしょうか
2.勧告では、被曝限度に自然被曝が含まれない根拠がこの「適用範囲」にあると考えられます。実際、それはこの節に書かれており「唯一利用できる防護措置が介入のかたちをとるような状況で受ける線量は適用範囲から除外される」の例として自然被曝が挙げられています
3.すると高嶌先生の解釈では「年間1mSvの被曝限度」の中に自然被曝が含まれてしまうように思われるのですが、いかがでしょう。あるいは自然被曝が含まれないと考える別の根拠がどこかにあるでしょうか
4. (1)線量限度に自然被曝が含まれないと考えるなら、その根拠は何か (2)自然被曝が含まれると考えるなら、自然被曝だけで年間1mSvを超える場所はどのように解釈されるのか。いずれか、ご教示いただけるとありがたいです
5.僕は線量限度に自然被曝は含まれないと考えており、そのためにはICRP1990勧告に書かれた「線量限度の適用範囲を、行為の結果受ける線量に限る」という限定が日本の法律でも前提とされていなくてはならないのではないかと考えています

菊池誠

ICRP1990勧告に完全に従うなら、今の状況には「公衆の被曝線量限度1mSv/y」は適用されない。逆に「線量限度の適用範囲」が日本では無効という立場なら、1mSvの線量限度には自然被曝も含まれなくてはならない。僕にはどちらが正しいかは自明に思えるけど、違う解釈もあるかもね
ICRP1990勧告での「公衆の被曝線量限度1mSv/y」は「行為」に対して決められた限度だということを忘れると、妙なことになると思うよ。あくまでも「行為」を規制するための限度であって、状況に対する限度じゃないから。勧告に従うならね。これは勧告の189節だけ読めばわかります


高嶌英弘

菊池さん、良いご質問をありがとうございます。ちょうど、私もこの点をツイートしようと思っていたところです。
このご質問に対する答えは、(1)です。すなわち、告示3条の線量限度に自然被曝は含まれません。これは、何度かご説明した法令の階層構造から、論理的に帰結される当然の結果です。
以下で分かりやすくご説明しましょう。
先にツイートしたとおり、 線量限度を定める「実用発電用原子炉の設置、運転等に関する規則の規定に基づく線量限度等を定める告示」3条は、「核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律」に基づいて制定された下位の法令です。
従ってその内容が、本体である法律の範囲を超えたり、矛盾したりすることは許されません。
そこで「核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律」1条を見ますと、制定目的として「核原料物質、核燃料物質及び原子炉による災害を防止し…国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全…に資すること」が挙げられていますが、自然被曝は出てきません。
言い換えれば、「自然被曝」から国民の生命、健康、財産を保護することは、そもそもこの法律の目的ではないのです。すると、同法の下位法令である上記告示3条における「一年間…一ミリシーベルト」もまた、自然放射線を含まないことは当然の結果です。
このように見ていくと、もうひとつのポイント、すなわち同告示3条が対象とする線量限度には、環境中に放出された放射性物質による被曝も含まれると解釈すべきであることもまた、おわかり頂けるでしょう。
なぜなら同法1条は「核原料物質、核燃料物質及び原子炉による災害を防止し…国民の生命、健康及び財産」を保護するとの目的を挙げており、環境に放出された放射性物質による被曝もここに挙げられた「核燃料物質…による災害」に含まれる以上、同様に扱うべきだからです。
なお、このように解釈する結果、一部の現行法には、ICRP1990が念頭に置いている放射線防護より高い水準が設定されていることになりますが、これは何らおかしいことではありません。
なぜなら、ICRPが勧告する防護水準が被爆を防止するための基準である以上、それ以下なら問題はありますが、これを超える水準を定めるのは、費用対効果等の社会的負担を別とすれば、本来の目的からしてむしろ望ましいことだからです。
そして、その後のICRP勧告を全体としてみれば、ICRP自体も現存被曝状況における目標基準を年1ミリシーベルトとしているのですから、上記のような解釈こそ、むしろICRPの理念に忠実だとい言えるでしょう。
とりわけ日本の経済力や高い技術力に照らせば、被曝軽減作業は世界の一般水準よりも高度なレベルが期待できるのですから、このことを前提とした基準が現行法令に存在しているのは自然です。
なお、私の以下の2つの質問はもしかすると的外れなのかもしれませんが、菊池さんのご見解を拝聴できればありがたいです。いかがでしょうか。

(質問1)また、わが国の法令では、目の水晶体につき年15ミリ、皮膚につき任意の1平方センチ メートルに対し年50ミリの線量限度が規定されていたと思います。私はこれらも一般公衆の被曝限度を定めていると評価しますが、菊池さんのご見解ではこれらの規制はどのように位置づけられるのでしょうか。

(質問2)翻って考えてみますと、ICRP1990が一般公衆の被曝限度を示していることは明らかなのですから、これを参考にしたわが国の法令において、一般公衆の被曝限度の規制が存在しないというのはおかしくありませんか。


菊池誠(高嶌英弘宛て)

こちらも1990勧告にしたがって、「行為による被曝」に対する規制であると考えています
ICRP1990では公衆の被曝線量限度の適用範囲が「行為による」場合に限定されており、防護の方法が介入しかない被曝には適用されないと明記されていますので、日本もこれを踏襲していると考えます。線量限度には適用範囲があるということです
1.ICRP1990は「行為と介入」モデルですので、行為によらない被曝は介入によって防護することが想定されています。必要に応じて介入が行われますが、それにあたっては正当化が原則であるため「線量限度」が適用されないとされます(131節)
2. これは介入による不利益が益を上回らないようにするためで、逆に言うと、介入による防護が必要な場合には介入そのものによる不利益を考慮しなくてはならないということです。これはICRP勧告の「正当化」の原則によりますので
3.「線量限度1mSv」に適用範囲が決められているのはこの正当化の原則に従ったものです。日本の法令に正当化原則が考慮されていないとすれば、それはICRP勧告の精神に合致しません。2007年勧告でもこの正当化原則は維持されています
4.高嶌先生の解釈は(1)「防護手段が介入しかない場合」にも線量限度1mSvが適用される(2)ただし自然被曝は除く、ということかと思いますが、それはICRP1990勧告の精神には(正当化の面で)合致しないように思います
5.ICRP1990勧告では放射能事故による被曝の可能性を「潜在被曝」として扱いますが、実際に起きた場合には介入が必要となる可能性があるため、潜在被曝に線量限度は適用されないものとされています。介入のしかたは事故の状況によります
6. 日本の法令が定める「1mSv限度」はあくまでも「行為による被害」を防止するためであって、原因が行為であるとしても「災害が起きてしまった後」には適用されないと考えます。法令が施設管理の原則を定めたものとすれば、それで辻褄が合うと思います
7. 結論として、施設管理のための基準として「公衆の被曝線量限度1mSv」は明らかに存在するが、施設管理を離れた一般的な規制としての「公衆の被曝線量限度1mSv」は存在しないと考えるのが、ICRP勧告の正当化原理に照らして合理的であると考えます
8.法令が対象とするものが施設管理ですので、管理対象ではない被曝は「1mSv限度」に含まれない、ということです。政府答弁もこのようなことを述べていると思います
9.法令についての政府の解釈が間違っているというのが高嶌先生の解釈ですので、相容れないふたつの解釈があるわけです。僕は法律論に踏み込めないので、どちらが正しいかはここでは置きます。ただし、ICRP勧告の考えに即しているのは政府見解です(とりあえず終)
追記ですが、これは間違えています。1mSvは現存被曝状況での被曝限度ではないので、この高嶌先生の解釈は2007勧告の精神には反します(1990とも相容れませんが)。目標と限度は全く別物です。正当化と最適化を考慮せずに数値だけを比べるのは原則に反します
ICRP1990が割と忠実に実装されていると考えれば政府見解とも矛盾はない一方、政府見解が間違っていると考えると日本の法令はICRP1990より厳しいという結論になる。「厳しいことはいいことか」というと、そうではないというのが正当化と最適化の原則なのだけれども。今日の分はここまで
改めて1. 高嶌先生の解釈はICRP1990から「線量限度」は取り入れられたが、その「適用範囲」は取り入れられていないというものです。そこで問題となる自然被曝については、「該当する法律がそもそも自然被曝を扱っていないので除外」というお話でした
2. すると、法律が何を扱っているのかが適用範囲を決めるわけです。一方、僕の理解では法律は原子力施設や放射線施設の管理のしかたを扱っています。この範囲を逸脱するべきではないでしょう。従って、法律で決められた1mSv限度が自然被曝を含まないなら
3.当然、施設管理に関係のない被曝は線量限度に含まれないと考えるべきではないでしょうか。つまり、政府答弁にあるとおり、「外部の人が年間1mSv以上の被曝をしないように施設を管理しなさい」という法律はあるが、施設管理と関係なく
4.「一般公衆の被曝線量限度を規制する」法律は存在しないのではないでしょうか。施設管理を目的として被曝限度を定めた法律はあるが、施設管理と無関係に人の被曝そのものを一律に規制する法律はない、ということになろうかと思います(とりあえずここまで)

菊池誠

それにつけても、ICRP2007勧告が法令に取り込まれていない状態で事故が起きたのはさまざまなものごとを面倒にしたなあと思う。必要なのはまさに「現存被曝状況」をどうするかだったのに、1990勧告にはそういう概念がない

みーゆ@リケニャ

これはデマに等しい。ICRP勧告のどこにも「追加被曝年間1mSv」では「何も起きない」などとは書かれていない。反対に、ICRP 1990年勧告では「年間 1 mSv」のリスクすらも推定されている。

菊池誠)「追加被曝年間1mSv」というのは自然被曝の地域差程度でしかない。そんな被曝量では何も起きない。起きないからこそ、目安の線量とされているわけ。自然被曝の地域差程度であることは、ICRP1990勧告にも2007勧告にもちゃんと書いてある

これがICRP 1990年勧告で行われている年間 1 mSvのリスク推定の一部
ICRP 90年勧告 「年間 1 mSv」のリスク推定 表C-4a
ICRP 90年勧告 「年間 1 mSv」のリスク推定 表C-2a
ICRP 90年勧告 「年間 1 mSv」のリスクと化学物質のリスク
フォト蔵が不調なのでリロードしないと図が出ないかも。


ゆう

横から失礼します。キクマコ氏はICRP勧告に「追加線量年間1mSvでは何も起きないと書かれている」とは仰っておらず、あくまでそれは自然放射線の地域差程度であり、リスク評価はLNT仮説に基づく目安であるという主張かと思います。


みーゆ@リケニャ

うーん。「起きないからこそ、目安の線量とされている」とまでコメントしているので、その解釈はかなり無理がある気がします。私は。 元の勧告にはない色付けをしてしまっていることは確かですし。

菊池誠

くだらない話の繰り返しで恐縮ですが、1.公衆の被曝が年1mSvを超えないように施設を管理せよと事業者を規制する法律はある 2.公衆の被曝そのものを線量限度で規制する法律はない。政府答弁もそう言っているし、ICRP勧告に照らしてもそれで問題ない。一方、高嶌氏は政府答弁を否定している
元ツイートを読む気がないので、勝手に書きます。ICRP勧告が採用している癌死亡リスクのLNT仮説によれば、累積被曝量100mSvにつきリスクは0.5%増えます。これを文字通りに1mSvに適用するとリスクは0.005%増ですが、もちろんそんな増加は確認のしようがない
そういう小さなリスクを数値で考えるよりは、「年間1mSvは香港に移住すると受ける被曝量くらい」という程度の理解をしておいたほうがいいと思うよ
0.005%のリスク増は数字をあまり文字通りに捉えても仕方ない。LNTをそこまで文字通りに捉えることは想定されていないと思います。そのリスクは検出も検証もできないし、正しいとも間違っているとも言えない。年間1mSvは生涯累積が数10mSvということ
LNTは防護のために採用された仮説なので、どこまで正しいかはわからない。原爆被爆者のデータからは200mSv程度以上ではよく成り立つことがわかっている。ICRPの趣旨にしたがえば、本来はLNTを事後の個人のリスク評価に使ってはいけないことになってるけど、そうは言っても使うよね

もうれつ先生

高嶌さんの話は「政府答弁は、一般公衆の被曝線量限度の規制が存在しないとの言明の根拠になっているが、それは当たらない」というもので、菊池さんの「政府の法解釈と高嶌の法解釈、2つの法解釈がある」といった「仲介者的観測」は変だ何故なら菊池さん自身、国会答弁を根拠に無い論を提示している。
高嶌主旨は「告示三条はたんなるガイドラインではなく、実質的に、公衆の被曝限度を定めた規制である」というところにあり、「日本の法律にはない」と述べた菊池さんは法律論的領域で反論しなければダメだよね。ICRPの話の前に。
菊池さんと高嶌さんの議論のひとつのポイントは、高嶌さんが開設した法律論的解釈に菊池さんのこの指摘がどれだけ食い込めるか?というところ。とはいえ、この指摘は「科学的知見は法律より優位に立つ」という倒錯した認識のようだけれど。
ちなみに2月24日発行予定の伊藤浩志『復興ストレス(仮):失われゆく被災者の言葉』これは安全・安心論に立つ著者による「これからの安全・安心論」の本だが――
本の元となった連載では、
“わが国の平時の公衆被ばくの上限は、ICRP1990年勧告に準拠して年間実効線量1ミリシーベルトと定められている。”
という記述がある(否定的文脈、反語的文脈ではない)。

鍵掛け氏と某氏の会話
A「.。oO( 高嶌先生の連ツイに触発されて「公衆被ばくの線量限度」について少し考えるとことがあった。」

B「公衆被ばくの限度線量に関しては、「理念としては実装されている」が「事業者の手に負えない事態になった時に、政府が対応するプロトコルが実装されていなかった(そんな事態が想定されていなかった)」という表現になる気がしますが…。」

A「2007年勧告が出るまではまぁそういうところはありましたね。でも、2007年勧告ではそんな事態が想定されていたわけで、政府は従来通り取り込みをサボタージュした。あと、公衆被ばくという概念自体を明示的に取り込むのは避けたかったのかなぁとも思います。」

B「わかりませんが、2007年勧告以後も「あれは黒鉛炉の話」ぐらいの認識だったのではないか、という気もします。意識的に「公衆被ばくという概念を避けよう」と判断していたならまだマシで、「安全だ、安全だ」という自己催眠状態なのが一番こわいわけで…。」

A「 まずはpdf公開してるので私の書いたもの読んでください(一部訂正が必要ながら)」

B「 『科学』Vol.86 の物ですね。ざっとですが、読んでみました(Evenote に突っ込んであって、まだ未読でした)。よめと言われたのは国会事故調の報告のあたりですかね? そこらへんを見ると、確かにかなり自覚的にやってたっぽいですね。」

A「無能というより邪悪なイメージ。」

原田裕史

こんな本(川井恵一『放射線関係法規概説』)を開いたりして
排気中又は排水中の放射性同位体の濃度限度の章には「事業所等の境界の外における線量を実効線量で4月1日を始期とする1年間に1mSv/年以下とする。」と書かれてます。
規制は公衆ではなく事業所に掛かる、という話を曲解しているのでしょうか。事業所境界で1mSv/年以下、つまり公衆被曝をそれ以下に抑えるという規制はありますよ。

菊池誠)公衆被曝の限度を「年間1ミリシーベルト」に定めた法律なんかないんだけど。何度これを言えばいいのかな

発電用軽水炉の場合、線量目標値があり、そっちが事実上の規制値だと聞いた事があります。
線量目標値は50μSv/年。実際どうなんでしょう。
文科省:発電用軽水型原子炉施設周辺の線量目標値に関する指針について
この文科省の文書にも「法令により定められている線量当量限度(例えば、周辺監視区域外において、実効線量当量で1ミリシーベルト/年)」と書かれていますね。
何度も間違いを書いたんですか。

菊池誠)公衆被曝の限度を「年間1ミリシーベルト」に定めた法律なんかないんだけど。何度これを言えばいいのかな

日本国の法令では、放射性同位体を取り扱う事業所の境界の被曝、つまり公衆被曝は1mSv/y以下に抑えなければなりません。

復興ストレス:失われゆく被災の言葉

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放射線関係法規概説―医療分野も含めて

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