「1958年組」クロニクル

-栄光の1958年生まれの軌跡

  • はじめに

いちおう1958年生まれの年代記ということなのだけれど、大雑把に58年生まれと58年度生まれ両方をフォロー。つまり57年度の早生まれおよび翌'59年の早生まれも含みます。しりあがり寿はじっさいは1957年12月31日生まれだそうだけれど、戸籍の日付に従いました。
制作意図として唐沢俊一(や岡田斗司夫)らによって語られる同時代史的な話を相対化することがあったのだけれど、これだけの濃い面子では二人の存在感も薄くなって本題から外れてしまったようです。こういうふうに集合体のようにまとめることで、個人が語るエピソードだと看過してしまう要素や、逆に活躍する場は違えどシンクロする部位が散見するのが興味深いです(もちろん私の意向というかバイアスは思いっきりかかっていますが)。対比できるポイントとして、オタクな精神性を比較するにはみうらじゅんを、演劇についての同時代性としては宮本亜門を、札幌時代については小西康陽などのエピソード配置しました。対比させる意図でサエキけんぞうさんほか意地の悪い記述になってしまいました。申し訳ないです。
ミュージシャンが多いのは、私の偏向。それと、脳内的にはアクティヴなんだろうけれど、物書きの経歴は地味で採用しにくかった。また、これは58年生まれに特徴的ってわけではないけれど、大別すると、10代からキャリアをスタートさせるタイプ、20代の活動が一際輝いているタイプ、それ以後実力を発揮してピークを迎えるタイプの三種に分けられそう。一応おことわりしておくと、作業中に大雑把に区切ったものにつけた「10代前半」とか「20代後半」といったキャプションと厳密には一致していません。假屋崎さんみたいに―あるいは唐沢さんみたいに―、大学時代そうとう停滞しているケースもあるので。
また、作製過程で以下述べる偏見も形成されました。
1.ドラマーのスタートラインはかなり早い(古田たかし、そうる透。但し宮田繁男池畑潤二なんかもいるので、ただの先入観)。
2.お茶(宮本亜門)やお花(假屋崎省吾)をやっている人間はメンタルな問題を抱えている。
3.小学校時関西に引っ越した者はイジメられ性格が歪む(あくまでも先入観ですので……)。
4.宮本亜門は、唐沢俊一岡田斗司夫とは種類が違うが、虚言癖がある(本人流にいうとイタリア人気質)。
必ず典拠となる資料を別に当たるようにしましたが、それでもwikipediaにはかなりお世話になりました。唐沢俊一については、ベーシックに「karasawafan@ウィキ」の記事を典拠としました。
間違いは多いと思います。もしお気づきの点が御座いましたらご叱責ください。

0〜10歳期

1962年(3〜4歳)

  • 時期不特定

根本敬(6月28日生・東洋大学文学部中退・マンガ家、サブカル・ライター)、喘息になり大学時代まで発作に苦しむ。「幼稚園では集団行動に何かと支障をきたす。しばしば脱走する。」*1
田口ゆかり(早生まれ'59年3月18日生、女優)、船上生活一家の大黒柱でアル中の大工の父親、棟上式で転落しブロック塀に頭を激突させて即死。
1964年(5〜6歳)

  • 2月

1日、藤山直美(12月28日生・女優)、坂本九主演のミュージカル『見上げてごらん夜の星を』大阪公演(大阪梅田コマ劇場)にて初舞台を踏む。*2

  • 時期不特定

岡田斗司夫(7月1日生・大阪電気通信大学除籍・評論家)、通っていた遠里幼稚園を自らの意思で退園。
みうらじゅん(2月1日生・武蔵美造形学部卒・マンガ家、サブカル・ライター)、スクラップブッキング人生開始。初期は怪獣だったが、小4から仏像スクラップに着手する。
東野圭吾(2月4日生・大阪府立大学工学部電気工学科・小説家)、TVで見た『空の大怪獣ラドン』のラスト・シーンに号泣する。12月20日公開の『三大怪獣 地球最大の決戦』登場したキングギドラの勇姿を課題「冬休みの思い出」に描く(が、クラスの誰もが「三つ首に尻尾が二つ、巨大な翼を持ち、口から光線を吐いている」怪獣を描いていた)。自称「標準的怪獣少年」。

1966年(7〜8歳)

  • 3月

7日保積ペペ(4月21日生・俳優)主演のTVドラマ『丸出だめ夫』放送開始。翌年2月27日まで。たぶん当時最も知られた58年生まれ。

  • 12月

24日、堀川りょう(2月1日生・声優)出演(少年役)の大映『酔いどれ波止場』(井上昭監督)公開。勝新太郎と共演。
1967年(8〜9歳)

  • 4月

16日、特撮TVドラマ『キャプテンウルトラ』放送開始*3。<おかしなヘルメットをかぶったおっさんが、安物のロボットとヘンテコな子分を連れて、出来の悪いぬいぐるみと戦っている>のにがっかりした東野圭吾、翌日学校に行くと皆も無口になっていた。
1968年(9〜10歳)

原田真二(12月5日生・ミュージシャン)ペルテス病に罹る。<入院・自宅静養後、小学校六年で完治するまで、母親に背負われ登校する日々を送る>(ペルテス病原田真二 - Wikipedia)。

  • 時期不特定

サエキけんぞう(7月28日生・徳島大学歯学部卒・ミュージシャン、音楽評論家)のクラスに安藤優子(11月19日生・上智大学国際学部卒・ニュースキャスター)が転校してくる(「幼稚園のときから」説もあり*4)。姉・兄の影響でマセガキになり洋楽に親しむ。3人共同でビートルズ『ホワイト・アルバム』を買い、玉石混交な構成にしばらく悩む(すぐに「石」も好むようになるが)。GSの好みはカップスやスパイダースで、「君たち、パワーハウスって知ってるかい?」なんていうイヤなコドモだった。また、この時期ものすごいイジメに遭っており、以後ひねたサブカルでありつつもクラスのみんなから支持されるスタンスを目指すことになる。*5
古田たかし(7月6日生・ミュージシャン)、友達のナカミゾ君の家にあったドラムを叩かせてもらい、演奏に目覚める。朝は『おはよう子供ショー』が定番の小5だったが、それが兄の影響で『ヤング720』に変わる。「タイガース」の瞳みのるに憧れる。*6
大月隆寛(早生まれ'59年3月5日生、早稲田大学法学部卒・民俗学者、評論家)、メキシコ五輪の影響で、神戸の少年サッカー・スクールに通いだす。サッカー熱はしばらく続き、中学時代もクラブはサッカー部だった。
宮台真司(早生まれ'59年3月3日生、東京大学大学院博士後期課程修了・評論家)、小4から急に成長。それまで体が小さいのに頭がデカくて水頭症を疑われていた。
1969年(10〜11歳)

  • 3月

サエキけんぞう、「ローリング・ストーンズ」のシングル「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」をジャケ買いする。真ん中でフォークとグラスを持つブライアン・ジョーンズを中心人物のミック・ジャガーだと判断し、後列右でヘンなポーズをしている本物のほうは「このカッコ悪い人は、ベースの人かなんかだろう」と決めつけていた。jumping jack flash - Google 検索

  • 時期不特定

札幌の親許を離れ恵比寿の叔母の家での変則的な生活をしていた小西康陽(早生まれ'59年2月3日生、青学経営学部卒・ミュージシャン、音楽評論家)、土曜午後3時〜のフジテレビ『ビートポップス』(大橋巨泉司会)にて洋楽の存在を知り、ビートルズ「オブラディ・オブラダ」やゾンビーズ「ふたりのシーズン」、ドアーズ「タッチ・ミー」などのシングルを買い始める<そしてある日、ゾンビーズの「ふたりのシーズン」はチャートの一意に輝いた。深いエコー、印象的なベースとため息のリフ、ハモンドの暗い音色と、「イッツ・ザ・タイム・オブ・ザ・シーズン・ファー・ラヴィング」という、まさにビューティフルなフレイズ。青くサイケデリックな照明の中でダンサーたちが無表情に踊るのを見て、ぼくの中でロックのあるイメージができあがってしまった。そして僕は音楽にのめり込むようになった。>*7。タイガースではトッポのファン。
サエキけんぞう永井豪のマンガ(『ハレンチ学園』『あばしり一家』)に影響され「スカートめくり」を繰り返す。安藤優子のスカートもめくったとのこと*8。<ただ安藤、実はそんなに色気がないんですよ。フランス人形みたいな顔してましたけど*9>批評性のあるセクハラといったところか。
大月隆寛、比較的穏やかな神戸・御影からより「関西」な西宮・仁川に転居。「東京もん」気質が抜けず、高校を出るまで関西の厳しさの中で育つ*10
喜国雅彦(10月17日生・マンガ家)、ポプラ社の少年探偵団で江戸川乱歩に目覚めていたのだが、ある日友人の家で見たことのない乱歩本に遭遇。友人は「おばあちゃんが誕生日に買ってきてくれたのだが、表紙が怖くて開けない」というので借りてくる。タイトルは『陰獣』。『月光の囁き』なはじまり。
山田五郎(12月5日生・上智大学文学部卒・評論家、タレント)、東京から大阪に引っ越す。「東京もん」ということでイジメられ、インドア・ライフをきっかけにサブカル路線を歩くことになる。タイガースではトッポにファン。
宮台真司、父親の転勤で小学校を6つかえる(仙台→埼玉→京都×3→三鷹)。こうも引っ越しが多いと引っ越し慣れしてしまい、教室に入った瞬間にクラスの構図を飲み込む狡すっからさを習得。

10代前半(中学生期)

1970年(11〜12歳)

  • 3月

14日、大阪万博開催(9月13日まで)
みうらじゅん、「万博は一生やってるもんだと思っていた」「パビリオンよりもスタンプラリーに熱中した」「実はたいして好きじゃなかった。体育会系のニオイ」「軍団でやってる感じがして嫌だった」*11
岡田斗司夫、1970年には革命が起きて貧困や差別問題は解消するつもりでいたので、万博のスケールがさほどでもないことに落胆する。パビリオンはリコー館がお気に入り。*12
東野圭吾、万博へは20回以上通う。行き返りの地下鉄で出会う外国人にやたら話かけ握手してもらうのがマイ・ブームに。印象に残っているのは「愛とヌード」のワコール・リッカーミシン館。
小室哲哉(11月27日生、早大社会科学部除籍・ミュージシャン)、父と1泊2日で万博へ。冨田勲が指揮する「マルチスクリーンに12チャンネルステレオを駆使したオリジナル曲」に衝撃を受ける。
宮本亜門(1月4日生、玉川大学文学部中退・演出家)、卒業文集に羽織袴でお茶をたてている将来の自画像を描く。普段から「お手前のふくさのたたみ方がちょっとね……」とかいう子供だったので、浮きまくり内向的になる。

  • 10〜12月の間ある日

教室で『ミュージック・ライフ』を読んでいたサエキけんぞう、ジミヘンの死亡記事に驚愕し「ジミ・ヘンドリックスが死んだんだって」と隣の女子に知らせるが、そこは小学6年生の教室、佐伯君のいつもの奇妙な独り言として処理される。

  • 時期不特定

そうる透(5月5日生・ミュージシャン)12歳で米軍キャンプやキャバレーのハコバンをこなすビッグ・バンドのドラマーとしてキャリアをスタート。
唐沢俊一(5月22日生・サブカルライター、評論家)、夏休みの読書感想文でジェローム・K・ジェロームの『ボートの三人男』獅子文六の『てんやわんや』『朝鮮童話集』などを取り上げる。
宮本亜門、中1の週末は夜行に乗って京都、奈良に出かけ仏像巡礼する。
1971年(12〜13歳)

  • 3月

小西康陽、家族と閉幕後の万国博覧会会場に出かける。その朝、『ヤング720』<今週の歌>で尾崎紀世彦また逢う日まで」を聴き魅了される。また同日タクシーで移動中、ポール・マッカートニービートルズから脱退したニュースを聞く。*13

  • 4月

坪内祐三(5月8日生・早稲田大学文学部卒・評論家)、世田谷区立松沢中学校に入学。和田哲郎<琴桃川凛>(早生まれ59年日付不明・ミュージシャン)と松本百合子(日付不明・翻訳家)も同学年にいた。
山田五郎、灘中学受験に失敗。公立中学では非行に走って補導されたり、誰とも接触せず引き籠ったり。
岩崎宏美(11月12日生・歌手)、成城学園中学校に入学。松田トシに師事、歌唱指導を受ける。また「水谷八重子の部屋子となり新橋演舞場に通った」というので、劇場前の喫茶店須川」の息子・宮本亜門とすれ違っている確率は高い*14

  • 8月

21日、ミッシェル・ポルナレフシェリーに口づけ」で本邦本格デビュー。オリコン6位(11月22日)。姫野カオルコ(8月27日生・青学文学部卒・小説家)、惚れる。

  • 10月

森昌子(10月13日生・歌手)、オーディション番組『スター誕生!』にて初代グランドチャンピオンとなる。ホリプロと契約が決定。

  • 11月

2日、13歳の古田たかしがドラマーとして参加したバンド「ゲッセマネ」、日大江古田祭に参加。『ニュー・ミュージック・マガジン』にて吉岡忍がレポート。<集まった300人の学生をもっともわかせたのはゲッセマネだ。13歳だとかいうチビのドラマーは、全身でドラムをぶったたき、ちょっとしたスターだった。>*15

  • 時期不特定

田口ゆかり、地元羽田の4つ上の高校生と原っぱの土管で初体験。小6で妊娠。堕胎2か月後に祖母が事故で亡くなり天涯孤独となる(実母は父死亡以前に失踪していた)。
唐沢俊一星新一『妄想銀行』を読み衝撃を受ける。友人とガリ版刷り同人誌を制作、読書委員の権限を使い学校図書館に星作品を置こうと運動する。
岡田斗司夫、姉の影響でフォーク・ソングを好きになる。ギターを持って好きな女の子の家の隣の資材置き場となっている空き地に行き、土管にしゃがんで「禁じられた遊び」を爪弾く日々。岡田版「マンション・オン・ザ・ヒル」。
宮本亜門、年の後半より太りだす。ウエストが100センチになって制服が入らなくなる。58年組三大デブは岡田斗司夫坪内祐三(牛乳を一日30本近くのんで100キロ近かった)、宮本亜門ということになるか*16
1972年(13〜14歳)

  • 2月

20日保積ぺぺ出演のTVドラマ『飛び出せ!青春』(村野武範主演)放送開始。14歳だが高校生役。翌年2月18日まで。

  • 4月

3日、よしだたくろう「結婚しようよ」、オリコン3位記録。
みうらじゅん「すっごい嫌いだった」*17
東野圭吾、3年8組に入るが、そこは他校の生徒にも恐れられる不良クラスで、教室は2区画に分かれ後ろのほうは教師も介入できない無法地帯だった。東野は不良ではなく一般生徒に属したが、そうはいっても賭け麻雀に明け暮れたりの毎日。賭けの清算はまま物品による返済となり、麻雀のBGMだったビートルズのLPが清算代償として貨幣のように流通した*18。翌73年本格化するビートルズ・ブームの萌芽か?

  • 7月

1日、森昌子、徳間音工からシングル「せんせい」でデビュー。オリコン3位。
19日、桜田淳子(4月14日生・歌手)、『スター誕生!』秋田予選で牧葉ユミ「見知らぬ世界」を歌い番組史上高得点で合格、決勝大会へのキップを得る。

サエキけんぞう、渋谷VANのバーゲンに出かけ、会場に流れる「はっぴいえんど」の「風をあつめて」に啓示を受ける。また、時期不特定だが中学時代に「はっぴいえんど」のコンサートを観賞。

  • 9月

17日、桜田淳子、『スター誕生!』決勝大会にて最優秀賞受賞。サン・ミュージックと契約が決定。

  • 時期不特定

山田五郎、朝礼では一番前が定位置のチビッ子だったのが成長期に突入する。
原田真二、ギターを弾き始めフォーク・グループを結成。

ハイティーン期

1973年(14〜15歳)

  • 2月

25日、桜田淳子、ビクターよりシングル「天使も夢見る」でデビュー。オリコン12位(4月16日)、売上12万枚。

  • 3月

原田真二エルビス・プレスリーの『アロハ・フロム・ハワイ』を観てコンサートの楽しさを知る。YouTube
25日、石川さゆり(1月30日生・歌手)、コロムビアより「かくれんぼ」でデビュー。アイドル路線。堀威夫の狙いとしては、石川さゆり森昌子桜田淳子で「(ホリプロ)花の三人娘」とユニット露出させる意図があったのだが、ジュンペエがサン・ミュージックに攫われたので山口百恵を獲得し桜田淳子のポジションに置いた。けれども森・桜田・山口の「スタ誕三人娘」のほうがポピュラリティを得てしまい、石川さゆりはワリを喰ってしまう*19

  • 4月

みうらじゅん、仏像好きが嵩じて入学することになった東山中学を卒業し、引き続き仏教系男子校・東山高校入学。
宮本亜門、玉川学園高等部に入学。1年間の期限付きで4人部屋の男子寮生活を始める。デブなうえ「笑っちゃうくらいまわりと違う」性格なためブキミがられる存在。

  • 4〜5月

東野圭吾、大の読書嫌いだったが魔がさして長姉の持ち帰った『アルキメデスは手を汚さない』(小峰元)を手に取る。1週間かけて読破し自分には読書能力があることに気がつく。続いて次姉の松本清張高校殺人事件』を3日で読み切って松本清張ブーム到来。

  • 夏休み

みうらじゅん、仲間2人と隠岐島ユースホステルへ旅行。ユースのマドンナ、オリーブやヘルパーのヒゲゴジラと出会い、青春を謳歌する。『色即ぜねれいしょん』に詳しい*20

  • 8月

25日、桜田淳子、3rdシングル「私の青い鳥」リリース。オリコン18位(10月1日)、売上16万枚。サブカル的には「ワザトラ淳子」の完成。

  • 9月

月刊誌『相撲』を購読していた東大関大受ファンの坪内祐三、修学旅行の次の日、貴乃花ファンの友人Nと振り替え休校を利用して秋場所九日目の国技館に行く。大受のファンになったのは、Nと相撲を取るとき彼が貴乃花役で自分が大受役だったのと、体型が自分とそっくりだったから*21(ただし大受はこの日から休場していた)。

  • 12月

22日『燃えよドラゴン』公開。みうらじゅん、これをきっかけに通信空手講座を受講。東野圭吾は当初馬鹿にしていたが、翌年正月に友達に誘われ梅田花月近くの映画館に行く。上映前売店で販売していたヌンチャクを「誰がこんなもん買うねん」と冷笑。一時間半後肩をいからせ口を尖らせ横滑りしながら売店に走る。

  • 時期不特定

宮本亜門、1日飴玉一個というような食生活を2か月続け一気に痩せる。また、男子寮の誰もいなくなった食堂の大鏡を使い、去年7月に日生劇場で見た中国上海舞劇団『白毛女』のポーズ*22にチャレンジ、容易に出来たことで自分の踊りに根拠のない自信をつける。さらに12月15日より公開の映画『ゴッドスペル』(デイヴィッド・グリーン監督)に感動*23したことで、ミュージカルへの傾倒に拍車がかかる。
唐沢俊一、この時期までに蔵書が1000冊を超える。
サエキけんぞう、中学生の分際でミュージシャン御用達の店・渋谷「ギャルソン」に出かける。「はちみつぱい」の駒沢裕城に生意気な口をきいたせいで、南佳孝も加わっての説教を喰らう。また修学旅行のアトラクションに「少年ホームランズ」というグループを結成。。
1974年(15〜16歳)

  • 1月

みうらじゅん、冬休みを利用して東京視察中盲腸が破裂、新幹線にて京都に帰り着くと腹膜炎→腸閉塞と悪化しており地元の相馬病院に2ヶ月入院。ベッド生活に慣れて尿瓶を手放せなくなり、看護婦によって目につく尿瓶をすべて隠蔽されたりする。「シビンちゃん」の愛称がつけられる。
東野圭吾推理小説熱が嵩じて自作を始める。処女作は7月14日完成。高校を舞台にした本格モノで原稿用紙約300枚、タイトル『アンドロイドは警告する』。しかも「あとがき」つきだとか。

  • 2月

原田真二、来日したエルトン・ジョンのライヴ・パフォーマンス(おそらく2月8日広島郵便貯金ホールでのもの)や音楽性に魅了される。ピアノを弾きはじめる。

  • 3月

岡田斗司夫、友達フカダくん自主製作の8mmカンフー映画に村娘役で参加。
22日みうらじゅん家出する。いわゆる「ライブ・イン・金沢」事件。アコースティック・ギターのハード・ケースを下げ数日分の下着類を鞄に入れ、首にはハーモニカ・ホルダーをブラ下げたスタイル(ラジカセ持参)で大雪の金沢へ。兼六園までタクシーに乗り誰もいない公園のベンチでオリジナル3曲をパフォーマンス。高級ホテルに投宿し新曲「金沢」制作。実家の自分宛に葉書を書いて投函。翌日帰宅。

  • 4月

岡田斗司夫、今宮高校入学。<事業の成功により家が新築され、コップの水が凍る程強力な業務用エアコンが設置された45畳の部屋が岡田の自室としてあてがわれ、20歳までの3年間で蔵書が1万7千冊以上となる。テレビアニメ『宇宙戦艦ヤマト』を見て衝撃を受け、父親を説得して当時30万円するビデオデッキを購入。ビデオテープは1本だけだったために、幾度も再生して暗記しては上書き録画した。*24
大月隆寛西宮高校入学。ラグビー部に入る。が、愛読書は『別冊マーガレット』。つまり外剛内柔?
坪内祐三、早稲田高校入学。
小室哲哉早稲田実業高等部入学、バンド「哀婉」結成。T-REXプログレなど。
翔(6月8日生・ミュージシャン、タレント「横浜銀蠅」)、柏陽高等学校入学。クラスメイトのJohnny(5月9日生・ミュージシャン)とバンド活動開始。ちなみに同校出身で5歳下の関島岳郎は翔と半年違いの篠田昌己の「コンポステラ」メンバー
15日、池上季実子(早生まれ'59年1月16日生・女優)、NHK少年ドラマシリーズまぼろしのペンフレンド』ヒロイン役でデビュー。

  • 7月

17日、岩崎宏美、『スター誕生』決勝大会にて小坂明子のカバー「あなた」を歌い最優秀賞受賞。

  • 10月

13日、第8回ポプコンにて16歳の八神純子(1月5日・ミュージシャン)、「雨の日のひとりごと」で優秀曲賞を獲得。同大会では根本美鶴代(3月9日生・未唯mie・歌手)と増田恵子の「クッキー」(後の「ピンクレディ」)も東海地区大会決勝まで進んだ。

  • 11月

4日、氷川竜介(日付不明・サブカル評論家)、第2回日本SFショーに行く。田中友幸本多猪四郎らによる当日の座談会「ゴジラの頃」をテープ起こしして同人誌に掲載。
相鉄ジョイナス・フォーク・コンペティション決勝大会に石黒ケイ(3月30日生・ミュージシャン)、3人組グループ「ビーバブ」で出場するも一つ年上の山崎ハコに敗れる。

  • 時期不特定

宮本亜門、ダイエットの影響から肺炎で入院。退院してみると今度はメンタルな問題で登校拒否となり10か月ほど引きこもる。原因は、亜門の周囲から浮いた性格からくるストレスおよび大恋愛という名の独り相撲から。引きこもりの前後あるきっかけからアル中だった父親を突き飛ばし、激高した父に日本刀で切りつけられトイレに逃げ込み『シャイニング』さながらとなる*25
坪内祐三、ひょんなきっかけから父親に四の字固めをかける。坪内家は「普通」とは違うので、その際家族は「折っちゃえ、折っちゃえ」と歓声を上げる。


1975年(16〜17歳)

  • 1月

24日、サエキけんぞう、「シュガー・ベイブ」の新宿厚生年金会館小ホールでのコンサートを見に行く。終演後ロビーに出ると大ホールのリック・ウェイクマンを見終わった福田一郎と遭遇。「小ホールで、今日、シュガー・ベイブっていうのをやってたんです」「そのバンドは今後、日本のロックを背負う存在になるかもしれません!」などと音楽評論の重鎮にアドバイスする。
25日、古田たかしの参加したアルバム『カルメン・マキ&OZ』リリース。売上10万枚と、日本のロックとしては驚異的なヒットとなる。

  • 4月

25日、岩崎宏美、ビクターよりシングル「二重唱(デュエット)」でデビュー。オリコン19位(7月7日)、売上14万枚。

  • 5月

31日、映画『ファントム・オブ・パラダイス』公開。ダウナーな宮本亜門、感銘を受ける。ポール・ウィリアムスの曲を井上陽水の作品と同列に評価する。また、ロンドンカンパニー来日公演『ロッキー・ホラー・ショー』をいたく気に入る。こちらはアッパーな宮本亜門。とはいえどちらの趣向もお下劣。

  • 6月

中西康晴(2月4日生・ミュージシャン)がキーボード・プレイヤーとして参加した「上田正樹サウス・トゥ・サウス」、アルバム『ぼちぼちいこか』でデビュー(アーチスト名義は「上田正樹と有山淳司」)
26日、そうる透が参加したバンド「ダディ竹千代と東京おとぼけキャッツ」、シングル「電気クラゲ」(ビクター)でメジャー・デビュー。

  • 7月

25日、岩崎宏美、2ndシングル「ロマンス」リリース。オリコン1位となる(9月1〜15日)。売上89万枚。最初のピークを迎える。

田中義剛(3月13日・タレント)、亡くなった中学時代の友人を追悼するため衝動的に遭難場所の襟裳岬へ旅立つ。現地で金が尽き飛び込みでアルバイトに入った「荒木牧場」での生活に感激し、将来は牧場をつくろうと決心する。

  • 11月

愛染恭子(2月9日生・女優)、青山涼子名で映画『痴漢地下鉄』(山本晋也監督)に出演しスクリーン・デビュー。

  • 12月

中西康晴の参加した「上田正樹サウス・トゥ・サウス」、ファンキーセットのパフォーマンスをアルバム『この熱い魂を伝えたいんや』でリリース。

  • 時期不特定

高校2年の和田哲郎(琴桃川凛・ギター)、川辺徳行(日付不明、ドラムス、後に「暗黒大陸じゃがらたら」に参加)らと「連続射殺魔」結成(川辺による命名で和田の趣味ではないとのこと)。
阿木譲のカルトなロック雑誌「ロック・マガジン」に高校2年の山崎春美の美文が掲載される。
サエキけんぞう大瀧詠一の深夜放送『ゴーゴーナイアガラ」のヘビーリスナーになる。ペンネームは「コロッケ5円の助」。
大江慎也(9月30日生・ミュージシャン)と池畑潤二(10月20日生・ミュージシャン)、ストーンズやシルバーヘッドをカバーするバンド「薔薇族」を結成。
氷川竜介、竹内博の主催する特撮研究団体「怪獣倶楽部」に参加する。
喜国雅彦、大量に多摩美合格させる実績をもつ美術教師に呼び出され「お前美大入れ」と命ぜられる。このお墨付き以後、普通の授業はサボって美術室で絵を描く日々。
唐沢俊一、自分の読書傾向は特殊らしい、と気がつく。
学校に復帰した宮本亜門、校長に映画『ゴッドスペル』の良さを熱弁する。それが演劇部の同作上演につながり、部員でもない亜門もキャスティングされる。この玉川学園高等部の『ゴッドスペル』は評判となり、河原晶子による紹介記事が『キネマ旬報』に掲載される。
1976年(17〜18歳)

  • 4月

しりあがり寿(1月1日生・マンガ家)、多摩美に入学。
時任三郎(2月4日生・俳優)、大阪芸術大学入学。演劇サークルに属し、バンド活動も始める。
25日「上田正樹サウス・トゥ・サウス」解散後の中西康晴18歳、泉谷しげるのアルバム『家族』に参加。

  • 8月

25日、「スター誕生!」でプロ・デビューのきっかけをつかんだ未唯mieの「ピンクレディー」、1stシングル「ペッパー警部」をあまり期待されぬままリリース。半年後オリコン4位まで上昇するヒットとなる('77年1月24〜31日)。

  • 11月

5日、岩崎宏美、7枚目のシングル「ドリーム」リリース。オリコン4位(11月22〜29日)。この時期におけるソウル・ファンクを咀嚼した歌謡曲のひとつ*26
25日、未唯mieの「ピンクレディー」、2ndシングル「S・O・S」リリース。オリコン1位('77年2月14日)。1週のみの1位だが、3月14日までの5週間、清水健太郎の大ヒット「失恋レストラン」に迫る2位を維持していた。

  • 時期不特定

「連続射殺魔」に浜野純(日付不明、ミュージシャン、ベース)が加入。
唐沢俊一、『宇宙戦艦ヤマト』に出逢う。所属するサークルが札幌TVに「ヤマト再放送嘆願書」を送る。
小西康陽郷ひろみのシングル『恋の弱み』にシビれて歌謡曲も積極的に聴くようになる。
1977年(18〜19歳)

  • 1月

1日、石川さゆり、15thシングル「津軽海峡冬景色」リリース。初の大ヒット。オリコン8位(4月25日〜5月2日)、翌'78年1月16日6位。和風化したロッカ・バラード路線。

  • 2月

小室哲哉プログレをメインにした新バンド「イラプション」(ELPの曲名より)結成。大学はエスカレーター式だったので音楽活動に本腰を入れ、コンテスト「EASTWEST'77」に出演。(おそらく)地区大会でベスト・キーボード賞を受賞する*27。翌年脱退。

  • 3月

10日、未唯mieの「ピンクレディー」、3rdシングル「カルメン'77」リリース。オリコン1位(3月28日〜4月25日)。3週目にして1位獲得し5週維持。

  • 4月

江川紹子(8月4日生・ジャーナリスト)、法学部に入って弁護士を目指すつもりだったが早大政経学部入学。
東野圭吾、一浪の末、大阪府立大学工学部に入学。
喜国雅彦祖父江慎(生年月日不明・ブックデザイナー)、多摩美に入学。漫研にてしりあがり寿らと交流。マルセル・パニョル『笑いについて』でギャグについて考察するしりあがりに「お前は絵が下手だからおかしいのに、なに難しい本読んでんだよ」とツッコむ。
大月隆寛早大法学部に入学。高校までの体育会系は返上し演劇研究会に所属する。
原田真二、青学経済学部入学。
姫野カオルコ、一浪する。
坪内祐三、一浪する。
唐沢俊一、一浪して札幌の『宇宙戦艦ヤマト』ファンクラブに参加、札幌のマニアックな書店「リーブルなにわ」に通っている。
小西康陽、一浪する。元はちみつぱいの和田博巳が開いた「和田珈琲店」に通いつめタジ・マハールなどを聴いていた。また「リーブルなにわ」に通い塚本邦雄の本など漁っていた。とうぜん、上階にある「ヤマト関連のレコードが(唐沢俊一らファンの購買運動で)異常に売れて本社コロムビアでも話題に上がったレコード店」にも通っていたろうと考えられるので、二人が通り過ぎている可能性はかなり高い。

  • 5月

宇宙戦艦ヤマト』ファンクラブ「ヤマト・アソシエイション」会長を務めていた氷川竜介、『月刊OUT』6月号(創刊第2号)の特集<君は覚えているか?「ヤマト」のあの熱き血潮を!!>にてライターとしてデビュー。
10日、石川さゆり、16thシングル「能登半島」リリース。オリコン7位(6月27日)。和風化したロッカ・バラード第2弾。

  • 6月

10日、未唯mieの「ピンクレディー」、4thシングル「渚のシンドバッド」リリース。オリコン1位(6月27日〜7月11日、8月15日〜9月12日)。サブカル的データを付記すれば、同時期にささきいさお宇宙戦艦ヤマト/真赤なスカーフ」がチャート・インしている(8月8日の20位から10月24日19位の間、かなり上下運動を描きながら何度か14位をマークしている)。また唐沢俊一が80年代の記憶として例に挙げたさだまさし「雨宿り」も同時期ランク・イン。
25日中西康晴、泉谷しげるのバンド「ストリート・ファインティングメン」結成に参加。アルバム『光石の巨人』発表。

  • 7月

元・頭脳警察のパンタ、新しい自分のバンド「パンタ&ハル」結成。新人ギタリスト今剛(2月23日生・ミュージシャン)が参加。
30日、池上季実子が主演の東宝『HOUSE ハウス』(大林宣彦監督)公開。

和田哲郎と入れ替わるように阿木譲の元を離れた山崎春美(日付不明・ミュージシャン、サブカル・ライター)が上京。浜野純、大里俊晴(2月5日・ミュージシャン、音楽評論家)らと「ガセネタ」結成。

  • 9月

1日、石川さゆり、和風化したロッカ・バラード路線第3弾「暖流」リリース。オリコン11位(10月17〜31日)。
5日、未唯mieの「ピンクレディー」、5thシングル「ウォンテッド(指名手配)」リリース。「渚のシンドバッド」からバトンタッチのオリコン1位12週(9月19日〜12月5日)。

  • 10月

1日東映『地獄の天使・赤い爆音』(内藤誠監督)にて森下愛子(4月8日生・女優)、スクリーン・デビュー。
25日、原田真二フォーライフよりシングル「てぃーんず ぶるーす」でデビュー。オリコン6位('78年1月9日)。天才少年の登場。

  • 11月

25日、原田真二、三部作第二弾シングル「キャンディ」リリース。オリコン10位('78年1月13日)。

  • 12月

5日、未唯mieの「ピンクレディー」、6thシングル「UFO」リリース。「ウォンテッド」との間に1週中島みゆき「わかれうた」を挟んでのオリコン1位9週(12月19日〜'78年2月20日)。
20日原田真二、三部作第三弾「シャドー・ボクサー」リリース。オリコン14位('78年2月27日〜3月6日)。

  • 時期不特定

みうらじゅん美大受験の為上京。御茶ノ水の美術研究所(予備校)で4つ上の彼女との出会い。居候先の親戚宅“純の部屋”にて初体験。親戚宅を追い出され西荻窪の4畳アパートに引っ越し。ここに大学2年まで住む。夏、高校時代の友人2人が訪ねてくるが、彼女を見せつけて白けさせ決裂してしまう。ある日、彼女の友達のマンションで行われたパーティに行き、今度は自分の知らない交友関係を見せつけられ孤独感に打ちひしがれる。一人の男が「こんな奴と別れてオレとつき合おうぜ!」と無理矢理キスしたことで逆上し、掴み合いの喧嘩となる。
田口ゆかり、中学もろくに行かずシンナー漬けのスケバン暮らしであったが、洗面器いっぱいの血を吐いて止める。
1978年(19〜20歳)

  • 1月

八神純子、シングル「思い出は美しすぎて」でプロ・デビュー。この日は八神の20歳の誕生日。オリコン25位、売上11万枚。

  • 3月

21日、中原理恵(6月17日生・歌手、女優)、1stシングル「東京ららばい」にて本格デビュー。オリコン9位(6月19〜26日)
25日、森下愛子出演のATG映画『サード』(東陽一監督)公開。永島敏行と共演。
同日、未唯mieの「ピンクレディー」、シングル「サウスポー」リリース。オリコン1位9週(4月3日〜5月29日)だが「UFO」1位脱落の間に5週あり異常なピークは過ぎたともいえる。
30日、山崎春美のバンド「ガセネタ」解散。

  • 4月

坪内祐三、一浪の末、早大文学部に入学。時期は不明だが大学時代ガールフレンドが坪内に電話後、富士山で自殺する。
サエキけんぞう、一浪の末、徳島大学歯学部に入学。大学時代は、寮の自室トイレに30cm大の亀を入れられたり美人局を仕掛けられたりと酷いイジメに遭う。
みうらじゅん、二浪の末、武蔵美に入学。「大学に合格したら、きっと新しい娘、見つけちゃうでしょ」という浪人時代の彼女の予想が的中する。
小西康陽、一浪の末、青学に入学。大学時代は渋谷をホームタウンとして音楽中心の生活をする。音楽サークル「ベター・デイズ」に所属。
姫野カオルコ、青学文学部入学。
唐沢俊一、一浪の末、青学に入学。阿佐ヶ谷の四畳半の下宿に暮らす*28
中村正人(10月1日生、青学文学部英文学科中退・ミュージシャン)、一浪の末、青学に入学。音楽サークル「ベター・デイズ」は敷居が高くて参加せず。
宮田繁男(5月3日生・ミュージシャン)、一浪の末、青学に入学。音楽サークル「ベター・デイズ」に所属。後に部長となる。
岡田斗司夫、一浪の末、大阪電気通信大学に入学。
東野圭吾、大学二年になって理解不能な専門科目が増大する。ここにきて自分は理系人間ではなく似非理系であったことに気付く。以後手の出ない科目は感とカンニングを頼りに。
1日、出渕裕(12月8日生・アニメイター、画家)がメカニック・デザインで参加したTVアニメ『闘将ダイモス』放送開始。出渕の業界デビューとなる。
10日、1stアルバム『Feel Happy』を初登場1位4週連続とヒットさっせた原田真二、4thシングル「タイムトラベル/ジョイ」リリース。オリコン4位(5月1日)。所属事務所を「アミューズ」から「りぼん」に移籍する(結果、「アミューズ」はサザンオールスターズの売り出しに余裕ができた)。
29日、森下愛子出演の松竹『ダブル・クラッチ』(山根成之監督、五木寛之原作)公開。郷ひろみ松坂慶子らと共演。

和久井光司(10月2日生・ミュージシャン、音楽評論家)のバンド、平塚のお祭りにてelvis costelloの「Alison」を演奏。

  • 8月

18〜19日、岡田斗司夫、第17回日本SF大会(ASHINOCON)に参加。武田康廣とともに舞台を盛り上げ「関西芸人」の異名を取る。

  • 9月

5日、八神純子、5枚目のシングル「水色の雨」リリース。オリコン2位、売上58万枚。
小西康陽、夏休み中に髪を切って大胆なイメチェンを図ったつもりで登校すると、ウェストコーストな友人・鈴木智文はニュー・ウェーヴ・バンド「8 1/2」に加入していたり、まわりの女子がみんなハマトラになっていたり。

  • 10月

チャゲ&飛鳥<CHAGEandASKA>(チャゲ1月6日生、飛鳥2月24日生・ミュージシャン)第16回ポプコンにて「流恋情歌」入賞。

  • 11月

久住昌之(7月15日生・法政社会学部卒・マンガ家、サブカル・ライター)のバンド「ドタマチック摩羅バンド」、和光大学学園祭での演奏が目に止まり楳図かずおバンドにスカウトされる。数日後意気揚々とギターを担いで小学館に行くと「まことちゃん」の被り物が用意されており、これをつけて踊ってくれという要望であった。
坪内祐三、所属するミニコミ誌「マイルストーン」の早稲田祭アトラクションの一環で人力車夫になる。中原理恵を乗せ、東海林さだお職務質問され、アコギな目に遭っていた小学生女子らを「あっしはしがねえ車夫ですが…」と助ける。その中の一人に妙に好かれ妙に嫉妬される。

  • 12月

2日森下愛子出演の東映『皮ジャン反抗族』(長谷部安春監督)公開。舘ひろしと共演。

  • 時期不特定

松浦理英子(8月7日生・青学文学部卒・小説家)仏文科在学中に第47回文學界新人賞を受賞。
石黒ケイ、RCVより「恋人時間」でレコード・デビュー。筒美京平プロデュース。
サエキけんぞう、レコーディング・バンドとしての「少年ホームランズ」結成。中学時代の無根拠な自由さを思い出し、これが「ハルメンズ」→「パール兄弟」に繋がるテーマとなる。
小嶋さちほ(12月26日生・ミュージシャン、音楽評論家)、ミニコミ『ロッキン・ドール』を発行してアンダーグラウンドなロック・シーンを紹介。自身もモギ・エミコらとガールズ・バンド「ボーイズ・ボーイズ」を結成。
小室哲哉、「BOW WOW」の弟バンド「ギズモ」結成、翌年脱退。

20代前半

1979年(20〜21歳)

  • 1月

21日、レコーディング・バンド「スピニッヂ・パワー」3枚目のシングル「FUNKY DISCO PRINCESS」リリース。作詞は亜蘭知子(1月14日生)で、2代目ボーカリスト織田哲郎(3月11日生、明大社会学部除籍・ミュージシャン)がメイン・ボーカルを取った曲。
大江慎也池畑潤二、パンク/ニュー・ウェーヴに影響され新バンド「人間クラブ」結成。

  • 2月

24日森下愛子初主演の東映『十代 恵子の場合』公開。

  • 4月

假屋崎省吾(12月17日生・早稲田大学文学部卒・華道家、タレント)二浪の末明治大学に入学。まわりと馴染めず中退する。
28日森下愛子出演のにっかつ『もっとしなやかに、もっとしたたかに』(藤田敏八監督)公開。奥田瑛二と共演。
サエキけんぞうのバンド「少年ホームランズ」、自主製作シングル「俺はぺーぺー」発表。

  • 5月

25日「パンタ&ハル」アルバム『マラッカ』リリース。今剛はこのアルバムでの新人らしからぬテクニカルな音楽性を評価されるが、既に3月に脱退してフュージョン・バンド「パラシュート」結成に参加していた。

  • 8月

「劇団つかこうへい事務所」『広島に原爆を落とす日』公演。かとうかずこ(2月20日愛知淑徳大学中退・女優)が夏枝役で初舞台を踏む。
12〜13日、岡田斗司夫を事務局長として「第4回SFショー開催」(於・大阪郵便貯金会館)。もともと第18回日本SF大会を大阪で開催(DAICON3)するつもりで、「独り決め」状態で会場を予約し広告も打ってしまったのが各関係者から反対にあったもので、次善の策としてサブ的催し物の「SFショー」に格下げされたもの。これは人も集まらず失敗に終わり、岡田らは借金を返すためしばらくバイトに明け暮れる*29
18日森下愛子出演のにっかつ『十八歳、海へ』(藤田敏八監督、中上健次原作)公開。永島敏行、小林薫と共演。
25日、チャゲ&飛鳥、シングル「ひとり咲き」でデビュー*30チャゲ&飛鳥はある時期「おたく」のある部分に支持されていたように思うのだけれど、よく分からない。

サエキけんぞう、徳島文化センターで行われた「KYRYN」のライブを観賞、公演後楽屋を訪れ坂本龍一小原礼に「焼きソバ老人」のデモ・テープを無理矢理聴かせる。新バンド「ハルメンズ」結成。

  • 9月

とり・みき(2月23日生・マンガ家)明治大学在学中(文学部英文科中退)に投稿した「ぼくの宇宙人」が採用され「週刊少年チャンピオン」にてデビュー。
21日、翔とJohnny、バンド「横浜銀蝿」(正式名「THE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIAL」)結成。

  • 10月

大江慎也池畑潤二、「人間クラブ」を発展させた「ルースターズ」結成。このバンドから大江がリード・ヴォーカルをとるようになる。

  • 時期不特定

小室哲哉、覆面バンド「銀星団」に変名「DIGITAL "CHEAP" SNAKE」で参加*31、翌年脱退。
小嶋さちほ、新しいミニコミ『CHANGE 2000』発行。新しい自分のバンド「ゼルダ」結成。
唐沢俊一、池袋の文芸座などにかかるB級映画館に入り浸る。
斎藤綾子(4月7日生・武蔵美工芸デザイン科卒・小説家)結核に罹り入院。
宮本亜門博品館こけら落としの『シーソー』オーディションのため大学中退。プロを目指す。かの劇団四季コーラスライン』(9月24日〜10月17日)初演のオーディションにも合格。とはいえ、レッスン着の「もっこり」感がイヤだという理由でジャージ&Tシャツ姿で踊り通す不遜さで、荒川勉ら有望な人材を蹴散らして50人のメンバー枠にパスしてしまう。しかも、実はこのときまで踊りを正式に習ったことがなかった。レッスンが始まるとボロが出始め、「ポワント!」と指示されて「え、どこにポイントを置くんですか?」などと大声で聞いたり大恥の連続で引き下がる。あらためて松山バレエ団に踊りを習いにゆく。また、年に1か月間はNYでレッスンを受ける生活を始める('85年まで)。
1980年(21〜22歳)

  • 時期不特定

みうらじゅん糸井重里事務所に入りびたる。クライアントとの打ち合わせ中も自作テープを聞かせ続け、「……みうら、悪いけど音小さくして」「みうら!音止めろ!!」と叱られる。
篠田昌己(12月8日生〜92年12月9日・ミュージシャン)の参加したジャズ・オーケストラ「生活向上委員会大管弦楽団」略して「生向委」、アルバム『This is Music is this!?』にてメジャー・デビュー。

  • 1月

とり・みき週刊少年チャンピオン」にて初の連載マンガ「バラの進さま」開始。8月まで。

  • 2月

福本伸行(12月10日生・マンガ家)、かざま鋭二のアシスタントを辞め、『月刊少年チャンピオン』3月号掲載「よろしく!純情大将」(ふくもと飛火名義)でデビュー。

  • 3月

宮崎美子(12月11日生・熊本大学法学部卒・女優、タレント)、ミノルタ「X-7」のCM(「いまのキミはピカピカに光って」)で大ブレイクする。

  • 4月

假屋崎省吾、早稲田に入学。が、相変わらずキャンパス・ライフには馴染めず。
時任三郎および宮本亜門、ロック・ミュージカル「ヘアー」2か月公演に参加*32。時任はプロ初舞台となり主役のバーガーを演ずる。宮本亜門は初日前日に母親を亡くし、酔っ払いの父の代役で葬儀を執り行いつつ家業の喫茶店を切り回しながらの出演。

  • 6月

小川美潮(早生まれ'59年2月23日生・ミュージシャン)がヴォーカルで参加したバンド「チャクラ」、ビクターよりシングル「福の種」でデビュー。コブシの効いたニューウェーヴ歌謡が注目される。
25日、山下久美子(早生まれ'59年1月26日生・ミュージシャン)、コロムビアよりシングル「バスルームから愛をこめて」でデビュー。

  • 7月

21日、八神純子、9thシングル「パープルタウン」リリース。オリコン2位(10月6日)。巷の空気のように流れていた。

  • 9月

5日、織田哲郎の新バンド「織田哲郎& 9th IMAGE」、シングル「スパーキング・ラブ 胸につのる想い」でデビュー。
21日、陣内孝則(8月12日生)のバンド「ロッカーズ」、『WHO TH eROCKERS』(SEESAW/キャニオン)にてデビュー。 千葉県の妙光山観福寺にて一発録音というのが売り文句だったが、当時も今もカッコいいのか悪いのか微妙だった。
同日、翔&Johnnyの「横浜銀蝿」、シングル「横須賀Baby」アルバム『ぶっちぎり』でデビュー。
25日、チャゲ&飛鳥、3rdシングル「万里の河」リリース。初ヒット、オリコン6位('81年2月2日)
みうらじゅん、雑誌『ガロ』10月号にて「うしの日」が採用されマンガ家デビュー。
篠田昌己が参加する「生向委」、2ndアルバム『DANCE DANCE DANCE』リリース。「生向委」は空中分解(あるいは発展的解散)となる。同時期、篠田はパンク・タンゴ・グループ「パンゴ」にも在籍。

  • 10月

杉浦日向子(11月30日生・日大藝術学部中退・マンガ家)、雑誌『ガロ』11月号にて「虚々実々 通言室乃梅」が採用されマンガ家デビュー。
10日、小嶋さちほのバンド「ゼルダ」、中学生の高橋佐代子をヴォーカルに自主製作シングル「Ashu-Lah」(ジャンク・コネクション)を発表。実験的なお遊びの録音だったが妙に脚光を浴び、初盤1000枚を完売するヒットとなるが、「ネクラ」なイメージも定着してしまう*33
21日、サエキけんぞうのバンド「ハルメンズ」1stアルバム『ハルメンズの近代体操』(ビクター/フライング・ドッグ・レーベル)にてメジャー・デビュー。売上3000枚程度、サエキの印税(作詞分)8万。ニューウェーヴは旬が命なのにレコード会社に鷹揚に構えらてしまい、ヒカシュージューシー・フルーツらに先を越される。おまけに、プロデューサーの鈴木慶一には意志不鮮明な若者と気味悪がられるわ、リリース当日にキーボードの上野耕路がサエキ宅にやってきて「今日アルバムをあらためて聴いてみたけど、君のヴォーカルやっぱり下手だよ」とダメ出しして脱退するわ、ドラムはヒカシューに移籍するわ、ベースは幼稚園の先生になろうとするわ、ふんだりけったり。

  • 11月

とり・みき週刊少年チャンピオン」にて「るんるんカンパニー」開始。82年までの長期連載となる。
25日、大江慎也池畑潤二のバンド「ルースターズ」、同名アルバム(コロムビア)にてメジャー・デビュー。

  • 12月

27日、情報雑誌『ぴあ』投書欄に唐沢俊一の「新怪獣論」が載る。<内容は、「怪獣ファンたちが揃いも揃ってゴジラの復活だけを望んでいるのはいかがなものか」「我々が望むのはまったく新しい怪獣でなくてはいけない」とか。>(「karasawafan@ウィキ」引用)
久住昌之泉晴紀のコンビ「泉昌之」、『ガロ』81年1月号掲載の「夜行」にて衝撃的デビュー。

  • 時期不特定

小室哲哉、後にTMNを結成することになる宇都宮隆木根尚登のバンド「SPEEDWAY」に参加、翌年脱退。5月に交通事故死したバンド仲間の追悼・葬儀のみすぼらしさに嫌悪感を覚え、売れることにこだわるきっかけとなる。
「連続射殺魔」、自主レーベルHIP RECORDより「愛して欲しい/G線上のアリア」でレコード・デビュー。
宮本亜門、六本木の会員制クラブで振付のバイトを始める。1回3万×週3回×4週=36万の収入が活動資金となりNYレッスンに余裕ができる。
1981年(22〜23歳)

  • 1月

12日、翔&Johnnyの『横浜銀蝿』、アルバム『ぶっちぎり2』および2ndシングル「ツッパリHigh School Rock'n Roll(登校編)」リリース。「ツッパリ…」はオリコン3位の初ヒット(3月16日〜1stシングル「横須賀Baby」も返り咲きで12位にランキング)。
30日、『ぴあ』投書欄に唐沢俊一への反論が載る。続いて、東京の唐沢の下宿にカミソリ入りの封書が届いたという。

  • 2月

27日、『ぴあ』投書欄に唐沢俊一の再反論が載る。支離滅裂な内容な上、『機動戦士ガンダム』罵倒に横滑り。以後8月まで「ガンダム論争」の態をなす。

  • 4月

東野圭吾日本電装株式会社(現デンソー)入社。それにともない愛知県刈谷市に転居し寮生活を始める。入社一年目は現場期間で、機械のような単純作業を「沢田研二の歌を古いほうから順に歌ったりしながら」こなす。。
しりあがり寿キリンビール入社。勤務のかたわらマンガを執筆する兼業マンガ家となる。
21日、宮田繁男原由子のバック・バンド「ハラボーズ」に参加。オリコン6位のソロ・アルバム『はらゆうこが語るひととき』でもドラムを叩き、これが初録音となる。

  • 5月

1日、和久井光司のバンド「SCREEN」、自主製作シングル「Decadance」でデビュー。
15日、鴻上尚史(8月2日生・早大法学部卒・作家、劇作家)の主宰する劇団「第三舞台」、『朝日のような夕日をつれて −ゴドーより愛をこめて−』(於:大隈講堂裏テント)で旗揚げ。
23日、かとうかずこ主演の松竹『なんとなくクリスタル』(松原信吾監督)公開。

  • 6月

23日、翔&Johnnyの「横浜銀蝿」、3rdシングル「羯徒毘璐薫'狼琉」リリース。オリコン4位(7月6日、20日)。翌々週7月7日アルバム『仏恥義理蹉䵷怒』発売。

  • 7月

サエキけんぞうのバンド「ハルメンズ」崩壊状態ながら2ndアルバム『ハルメンズの20世紀』発表。

  • 8月

22〜23日、岡田斗司夫らを主体に第20回日本SF大会(DAICON3)開催。DAICON FILMによるオープニング・アニメーションが上映された*34。この年、岡田は結婚。
根本敬、雑誌『ガロ』9月号にて「青春むせび泣き」が採用されマンガ家デビュー。

  • 9月

12日、愛染恭子の初主演映画『白日夢』(武智鉄二監督)公開。佐藤慶と共演。「本番女優」の誕生。

  • 10月

10日森下愛子出演の東映『とりたての輝き』(浅尾政行監督)公開。

  • 時期不特定

山崎春美、新バンド「タコ」結成。
喜国雅彦、就職活動のつもりで持ち込んだマンガ「ふぉ〜てぃん」が採用され『週刊ヤングジャンプ』でデビュー。しかし順調なステップもここでストップし、これ以後ボツ原稿を厚さ30センチ書き溜めることになる。
1982年(23〜24歳)

  • 3月

13日、大江慎也池畑潤二陣内孝則ら、東映『爆裂都市 BURST CITY』(石井聰亙監督)に出演。大江はこのころからサイッキックTVやトーキング・ヘッズ等聴くようになる。また精神不安定状態に陥り半年ほど活動停止。
21日、宮田繁男がドラムで参加した桑田佳祐の変名ソロ・アルバム『嘉門雄三 & VICTOR WHEELS LIVE!』リリース。オリコン8位。

  • 4月

1日、山下久美子、6thシングル「赤道小町ドキッ」リリース。オリコン2位(6月21〜8日)。忌野清志郎と並ぶステージ・パフォーマンスぶりから「総立ちの久美子」と呼ばれるようになる。
宮崎緑(1月15日生、慶応大学院法学研究科修了・ジャーナリスト、エッセイスト)NHK『ニュースセンター9時』のメイン・キャスターとして木村太郎とパートナーを組む。
坪内祐三、就職活動に失敗し留年。

  • 5月

21日、岩崎宏美、28thシングル「聖母たちのララバイ」リリース。オリコン1位(6月7〜28日)。20代の岩崎宏美のスタイルを確立するが、偏狭な批評家(というか、名を挙げれば平岡正明とか中村とうようらMM誌の諸氏)に「歌謡曲の<おシャンソン>化」の典型として非難される。

  • 8月

14〜15日、第21回日本SF大会(TOKON8)開催。岡田斗司夫DAICON FILM制作による翌年のSF大会プロモート用8mm映画『愛國戰隊大日本』の脚本を手掛ける。
25日、小嶋さちほのバンド「ゼルダ」、アルバム『ZELDA』(フォノグラム)にてメジャー・デビュー。

  • 11月

次原隆二(9月30日生・マンガ家)、『週刊少年ジャンプ』44号から「よろしくメカドック」連載開始('85年31号まで)。

  • 時期不特定

小室哲哉、ダンサブルな音楽を目指して新バンド「小室哲哉&STAY」結成。屋根裏等でライヴを繰り返す。翌年脱退*35。小室の音楽性の高さを認め、ブリティッシュ・ロックへの共通したシンパシーを持っていた従妹の自殺にショックを受ける。
小西康陽、卒業しても就職せず「作曲同好会」を作ってデモ・テープ作りの日々。これが後の「ピチカート・ファイブ」の母体になる。
江川紹子、この年から女性を採用するようになった神奈川新聞に入社*36
田口ゆかり、ビニ本裏本のモデルとして「中森明菜風の容姿と顔射、精飲、中出しなどのプレイで」注目を集めだす*37。『つまみぐい』『夢一夜』など。
根本敬、「幻の名盤解放同盟」設立に参加。
東野圭吾、入社二年目となっても毎日失敗ばかり。転職が頭をよぎり、通信教育で教師の資格を取ろうかとも考えたり。ある日乱歩賞受賞作の本を手に取り応募方法を知る。コクヨの原稿用紙を制限枚数上限の550枚購入し、何のアイデアもないまま書き出す。手詰まりになると新たに事件を起こしてストーリーを進めたので、登場人物はどんどん殺されていき混迷を深める。それでもなんとか年末には規定枚数下限350枚に達した。除夜の鐘を聞きつつ、ここにきてまだ犯人を誰にしようか決めかねつつ年を越す。
1983年(24〜25歳)

  • 1月

東野圭吾、月末脱稿。読み返すと矛盾だらけだが、下書きなし原稿を書きなおす余裕もなくそのまま応募。箸にも棒にも引っかからないだろうと予想し、早速二作目にとりかかる。今度は下書き用紙を用意し、アイデアもリサーチしたうえで始める。この年、結婚する。

  • 3月

19日、八神純子がテーマ曲「ラブ・シュープリーム〜至上の愛」を手掛けたアニメ映画『宇宙戦艦ヤマト 完結編』公開。
とり・みき週刊少年チャンピオン」にて「クルクルくりん」開始。84年までの連載。フジTVにてドラマ化される。
サエキけんぞう、新バンド「パール兄弟」結成。

  • 4月

坪内祐三、やっと早大卒業するが大学院に進むことにする。

  • 5月

5日 久住昌之のユニット「泉昌之」、初の単行本『かっこいいスキヤキ』発行。いきなりカルトな人気を獲得する。

  • 8月

小室哲哉の結成した新バンド「TMネットワーク」、レコード・デビューは決まっていたが“箔付け”ため「コカ・コーラ・フレッシュサウンズ・コンテスト」に出場。グランプリに輝く。
20日、ブルックリン音楽大学で作曲を学び帰国した都志見隆(12月27日生)、よりにもよってテクノ歌謡トリオ「宇宙三銃士スターボー」の転向路線シングル「サマーラブ」の作詞・作曲を担当する*38
20〜21日、第22回日本SF大会(DAICON4)開催。岡田斗司夫DAICON FILM制作による同大会プロモート映画『帰ってきたウルトラマン マットアロー1号発進命令』の脚本を手掛ける*39

  • 9月

shy(10月21日生・ミュージシャン)とジョニー宜野湾(2月11日生・ミュージシャン)のバンド「ハートビーツ」、アルバム『Dance the nightaway』(コロムビア)にてデビュー。

  • 10月

2日、「ただの飲み屋のバイト」になりさがっていた中村正人、25歳の誕生日の翌日に恋人にフラれる。これを転機にミュージシャンの道に邁進する。

  • 11月

杉浦日向子、『漫画サンデー』にて「百日紅」連載開始(88年3月まで)。

  • 12月

31日、翔の『横浜銀蝿』解散。

  • 時期不特定

大学生活に馴染めずにいた假屋崎省吾、生け花に興味を持ち、勅使河原宏が開講した「草月流男子専科」('82.6〜)に入る。
みうらじゅん糸井重里の指導により高円寺から渋谷・同潤会アパート裏のワンルームマンションへ転居し、ラフォーレでブランド服を買い、ボストン型メガネ、テクノカットとイメチェン。
宮本亜門、稽古場の必要性を感じ池尻大橋にジャズ・ダンス・スタジオを開く。
篠田昌己、「じゃがたら」ホーン・セクションに参加するようになる。が、リーダー&ヴォーカルのアケミが精神的失調となりリタイア。下北沢で遭遇したチンドン屋の<根性のカケラもない>レイド・バックした演奏にジャズのシリアスさにはない魅力を感じ、老舗チンドン楽団「長谷川宣伝社」に入団。
1984年(25〜26歳)

  • 4月

21日、小室哲哉の「TMネットワーク」、シングル「金曜日のライオン(Take it to the Lucky)」アルバム「RAINBOW RAINBOW」でデビュー。売れず。

  • 5月

杉浦日向子、『合葬』にて第13回日本漫画家協会賞優秀賞を受賞。
東野圭吾、乱歩賞応募第二作『魔球』が最終候補に選ばれる。結局今回も落ちるのだが、1月末に応募してからすぐ第三作目に取り掛かっており、編集にその旨伝えると「早く仕上がったら応募前に見せてほしい」と言われる。<そんなのはフェアじゃないと思った>ので「いやです」と断る東野圭吾*40

  • 12月

24日、岡田斗司夫、アニメ制作会社「株式会社ガイナックス」設立、代表取締役に。
1985年(26〜27歳)

  • 1月

久住昌之、初の単著『近くへ行きたい。秘境としての近所 舞台は"江ぐち"というラーメン屋』発行。「近くに行きたい」は19年後の唐沢俊一本と同じタイトル(久住本はのちに改題)*41

  • 3月

大江慎也、自己のバンド「ルースターズ」を脱退。体調不良により長期休養する。

  • 7月

しりあがり寿、『エレキな春』にて単行本デビュー。

  • 8月

21日、小西康陽のバンド「ピチカート・ファイヴ」、12インチ・シングル「オードリィ・ヘプバーン・コンプレックス」(テイチク/Nonstandard)にてメジャー・デビュー。デビュー・コンサートは渋谷ライブ・インで、対バンは有近真澄(9月21日生)の「ヴァリエテ」。

  • 9月

東野圭吾、応募第三作目『放課後』にて第31回江戸川乱歩賞受賞。作家デビュー。10万部のヒット。

  • 時期不特定

根本敬、「嵐山光三郎氏の推薦により、マガジンハウスで売り上げ不振にあえぐ『平凡パンチ』に漫画「生きる」の連載開始。*42」。メジャーな媒体なので表現をセーブしていたが、第2部になると気にしなくなり連載終了。シンガーソングライターで不動産屋の川西杏のステージに魅了されバックアップを始める。唐沢俊一に於けるイッセー尾形のポジションということか。
宮本亜門、年の終りより2年間ロンドンでのレッスン生活を始める。

20代後半

1986年(27〜28歳)

  • 3月

東野圭吾、「簡単に会社を辞めて上京なんて」と編集サイドに危ぶまれつつ退職して上京。

  • 4月

坪内祐三修士課程修了。以後しばらくブラブラする。

  • 6月

25日、サエキけんぞうのバンド「パール兄弟」、1stアルバム『未来はパール』でメジャー・デビュー。

  • 8月

14日、久住昌之が結成した新バンド「モダン・ヒップ」、和久井光司のレーベル「BOXレコード」より12インチEP「堂々たるシングル」にてデビュー。

  • 11月

唐沢俊一、池袋西武・スタジオ200でのイッセー尾形公演の前説にて場の雰囲気を悪くする(いわゆる「前説事件」)。このことをを客として来ていた中野翠のコラムでしっかり書かれる。イッセー尾形と決裂する。

  • 12月

1〜7日、小西康陽、札幌に実家にてアルバム用の新曲のための作曲とデモ・テープ作成。

1987年(28〜29歳)

  • 3月

14日、岡田斗司夫の会社「ガイナックス」制作の東宝アニメ映画『王立宇宙軍 オネアミスの翼』(山賀博之)公開。音楽担当に元ハルメンズ上野耕路パール兄弟窪田晴男サエキけんぞう周辺のミュージシャンが参加(メインパーソンは坂本龍一だったのだが)*43
25日、サエキけんぞうのバンド「パール兄弟」、2ndアルバム『パールトロン』リリース。

  • 4月

1日、小西康陽のバンド「ピチカート・ファイヴ」、CBSソニーに移籍して初アルバム『couples』発表。
8日、小室哲哉のバンド「TMネットワーク」、アニメ「シティハンター」主題歌「Get Wild」リリース。初ランク・イン、オリコン9位(5月25日〜6月1日)。
11日、帰国した宮本亜門、ブディストホールにて自力でミュージカル『アイ・ガット・マーマン』を公演。わずか4日間の公演だったが千秋楽は大入満員となり、芸術祭賞を受賞。再演を繰り返すことになる*44

  • 9月

16日、坪内祐三、父親のコネで雑誌「東京人」編集となる。

  • 12月

年末、唐沢俊一と弟・なをきの「唐沢商会」、雑誌『平凡パンチ』に「鋼鉄人間28号」を発表しデビュー。

  • 時期不特定

江川紹子、翌年の30歳を節目と考え神奈川新聞を退社。フリーとなる。
1988年(29〜30歳)

  • 2月

25日、サエキけんぞうのバンド「パール兄弟」、3rdアルバム『ブルー・キングダム』リリース。批評家の高い支持を得る。80年代版「パール兄弟」のピーク。

  • 4月

9日、元「横浜銀蝿」の翔が司会を担当するTBSの深夜番組「SUPER WEEKEND LIVE 土曜深夜族」第二部「トンガリ編」放送開始(後番組「平成名物TV」後半に継続)。「墓地と基地」「嫌われパンチアウト」「潜在意識」らと絡む。

  • 9月

21日、小西康陽のバンド「ピチカート・ファイヴ」、2代目ヴォーカリスト田島貴男をフィーチャーした『Bellissima!』リリース。

  • 時期不特定

杉浦日向子荒俣宏と結婚。半年後離婚。
小室哲哉、1年間のロンドン生活(まるで宮本亜門と入れ違うかのように)。ユーロビート体験。8月、「キララとウララ」のキララと結婚。
時任三郎、「リゲイン」のCMが大ヒットするが、この頃よりプライベートに比重がかかりパラグライダーに没入*45
宮田繁男、8歳年下の田島貴男のネオGSバンド「オリジナル・ラブ」にドラマーとして参加。
岡田斗司夫の会社「ガイナックス」、アニメ『トップをねらえ!』1〜6話(庵野秀明監督)リリース。『王立』と『トップ』がアニメ制作者としての岡田斗司夫のピークだというのが本人の弁。
1989年(30〜31歳)

  • 4月

7日、サエキけんぞうのバンド「パール兄弟」、4thアルバム『TOYVOX』リリース。

  • 6月

24日、みうらじゅん喜国雅彦のバンド「大島渚」、『三宅裕司いかすバンド天国』に出場。脚光を浴びる。みうら、テクノ・カットでボストン・フレーム、ブランド物の服を着てカフェ・バーに通う無理が限界となり先祖返りする*46

  • 11月

8日、篠田昌己、参加形態ではない自分のバンド(管楽器3人)を結成しライヴを行う。のちの「コンポステラ」と名付けられる。

  • 12月

9日、小室哲哉、1stソロ・アルバム『Digitalian is eating breakfast』発表。シンクラヴィア使用。
1990年(31〜32歳)

  • 2月

唐沢俊一、初の単独著書『ようこそ、カラサワ薬局へ』発行。またこの頃より舞台の仕事(演出、出演、プロデュース、舞台監督など)を始める(叔父から引き継いだ芸能プロダクション「オノプロ」のことだと推察されるが、詳細不明)。

  • 3月

10日、みうらじゅん喜国雅彦のバンド「大島渚」、1stアルバム『大島渚』(エクスプロージョン)発表。

坪内祐三、第一写真集『ナチュリタ』を出版した神蔵美子に取材で出会う。

  • 4月

姫野カオルコ、自力で出版社に売り込んだ『ひと呼んでミツコ』にて作家活動を本格化する。
13日、岡田斗司夫の会社「ガイナックス」孫請け制作のNHKのアニメ『ふしぎの海のナディア』放送開始。同作は「ガイナックス」内クーデター騒動から派生した仕事で、この時期岡田は子供の誕生、宮崎勤事件、『王立』『トップ』で燃え尽きたことなどが重なりモラトリアムの真っ最中。

  • 6月

25日、サエキけんぞうのバンド「パール兄弟」、5thアルバム『六本木島』リリース。

  • 7月

27日、サエキけんぞうのバンド「パール兄弟」から音楽的中核を担ってきた窪田晴男(ギター)脱退。以後脱退・再編が続きバンドの動きは停滞する。

  • 8月

28日、小室哲哉、「TMネットワーク」を「TMN」にリニューアル。

  • 9月

坪内祐三、人事的問題で雑誌「東京人」編集を辞め、再度ぶらぶらしはじめる。結婚する予定であったが破棄し、人妻だった神蔵美子と同棲、結婚する。無職夫婦。

  • 12月

25日、篠田昌己のバンド「コンポステラ」、唯一のスタジオ・アルバム『1の知らせ』でCDデビュー。またこの年篠田のソロ『コンポステラ』もリリース。

30代以後

1991年(32〜33歳)

  • 3月

21日、「個性的なモデル」の林マヤ(2月23日生・タレント、モデル)、ミディ・レコードよりアルバム『MAYA』で歌手デビュー。

  • 6月

中村うさぎ(2月27日生・同志社大学文学部英文科卒・作家)「ゴクドーくん漫遊記」でライトノベル作家としてデビュー。本編13巻となるヒットに。

  • 7月

坪内祐三、雑誌『未来』にて「変死するアメリカ作家」(のち「変死するアメリカ作家たち」)の連載を開始*47。評論家デビューということになるが、神蔵美子の話によれば決して本にかじりつくばかりの生活でもなく、<おどろくほど長い時間テレビの前にいた><朝起きるとまずテレビをつけて、ワイドショーの芸能コメンテイターの知識不足に文句をつけながら、より詳しいゴシップをよくしゃべっていた>*48という。また神蔵が坪内の「韜晦している部分」を批判したりしたことが刺激になったという、坪内本人の述懐もあったという。
27日、みうらじゅん喜国雅彦のバンド「大島渚」、2ndアルバム『アイデン&ティティ』リリース。
1992年(33〜34歳)

  • 6月

30日、桜田淳子、記者会見にて統一教会合同結婚式に参加することを表明。

  • 7月

田口ゆかり、長野県の上山田温泉で芸者を務めていたが覚醒剤所持で逮捕される*49

  • 12月

9日、篠田昌已亡くなる。この年、チンドン屋を音楽として評価したアルバム『東京チンドンVol.1 』を発表していた*50

  • 時期不特定

「と学会」設立。唐沢俊一も参加する。
岡田斗司夫、「ガイナックス」退社。
唐沢俊一、叔父から引き継いだ芸能プロ「オノプロ」を閉じる。
小室哲哉、離婚する。
1993年(34〜35歳)

  • 4月

7日、小西康陽のバンド「ピチカート・ファイヴ」、シングル「スィート・ソウル・レヴュー」発売。初ヒット。オリコン19位(4月26日)。このあたりからやっとバンドで食べていけるようになる。
21日、小室哲哉、「TMN」終了宣言。

  • 5月

根本敬、初の文章本『因果鉄道の夜』発行。

  • 6月

1日、小西康陽のバンド「ピチカート・ファイヴ」、アルバム『ボサ・ノヴァ2001』リリース。オリコン・アルバム・チャート7位。

  • 9月

根本敬、『ガロ』にて「特集・幻の名盤解放同盟 夜、因果者の夜」発表し村崎百郎にスポットを当てる。村崎のメディア初登場となる。

  • 時期不特定

根本敬、TVヴァラエティ『浅草橋ヤング洋品店』の特殊企画にテリー伊藤の抜擢により断続的出演。杉山治夫会長vsミッキー安川に立ち会って杉山会長に一目惚れしたり。良識ある人々を激怒させたコーナー「ヒッピーはヤッピーになれるか」*51の代案「スタイリスト玉ちゃんの秋冬おやじファッションショー」は根本色の濃厚な企画だったが、撮影当初からの危惧された通りオクラ入りとなった*52。TVの倫理観もテリー伊藤も今は昔ということか、あるいはこの頃サブカルにはこういう力があったということか。
1994年(35〜36歳)

  • 時期不特定

しりあがり寿、長年勤めたキリンビールを退社。専業マンガ家となる。

  • 3月

福本伸行、「アカギ 闇に降り立った天才」を『近代麻雀』4月号より連載開始。大ヒットとなる。

  • 9月

20日オウム真理教を取材し頭角をあらわしてきた江川紹子、自宅にて同教団信者の襲撃を受ける*53
1995年(36〜37歳)

  • 2月

唐沢俊一、雑誌『ガロ』連載の「唐沢商会の怪情報」にて松沢呉一(9月18日生、早大法学部卒)についての怪情報を流布*54

  • 3月

30日、マンガ家を引退した杉浦日向子が解説をつとめるNHK『コメディーお江戸でござる』放送開始。

  • 4月

松沢呉一、雑誌『ガロ』連載の「日記」にて唐沢俊一の流布した怪情報について反論および質問をする。

  • 5月

唐沢俊一、雑誌『ガロ』連載の「唐沢商会の怪情報」にて松沢呉一の反論および質問に対して厭味のこもった謝罪をする。

  • 9月

25日、根本敬、『人生解毒波止場』発行。『宝島30』連載をまとめた本で根本本のなかでは特に売れたもの(企画・担当は町山智浩)。ゴミ屋敷のババアなど後年大手マスコミも取り上げることになる事象を先駆的に発掘。こういう先駆性はみうらじゅんと共通。

  • 時期不特定

唐沢俊一、おたく芸人ユニット「オタクアミーゴス」結成(岡田斗司夫眠田直らと)。
江川紹子、「マスコミ沈黙の中、オウム真理教に関わって六年余、戦後最大事件の真実解明の為、沈着冷静な取材活動を行い、遂に教団を追い詰めた勇気と努力」により、柳田邦男、野茂英雄らとともに第43回菊池寛賞受賞*55
1996年(37〜38歳)

  • 3月

11日、福本伸行、「賭博黙示録カイジ」を『週刊ヤングマガジン』11号より連載開始。これも大ヒットし、知名度が飛躍的に上がる。

  • 4月

9日、唐沢俊一NIFTY内ロフトプラス1会議室において「最近腹の立ったこと」という書き込みをする。内容は『ガロ』連載の松沢呉一の「日記」を曲解した誹謗中傷*56

  • 6月

しりあがり寿のアシッドなマンガ『真夜中の弥次さん喜多さん(1)』発行。しりあがりのマンガが凄いことになる。

  • 8月

19日、岡田斗司夫がレギュラーのNHKBSマンガ夜話』放送開始。岡田メジャー化といったところか。
川上弘美(4月1日生・お茶の水女子大理学部卒)「蛇を踏む」で第115回芥川賞を受賞。
唐沢俊一NIFTY内ロフトプラス1会議室において、再度松沢呉一への誹謗を松沢の名を出さずに行う。

  • 9月

根本敬、『電波系』(村崎百郎と共著)発行。
2日、松沢呉一、一連の誹謗について唐沢俊一に公開討論を提案。
28日、唐沢俊一、公開討論の提案を拒否。問題は松沢呉一が関わっている『タコシェ』運営について、唐沢が流布しているとされる虚偽の存在に及んでおり、松沢は11月まで反論・提案を繰り返すが、唐沢はこれを拒絶した。
1997年(38〜39歳)

  • 2月

27日、元「横浜銀蝿」の翔、覚醒剤取締法違反にて逮捕。不起訴。

  • 4月

20日坪内祐三、初の単行本『ストリートワイズ』出版。

  • 時期不特定

岡田斗司夫、「株式会社オタキング」設立。
1998年(39〜40歳)

  • 1月

1日、翔のバンド「横浜銀蝿」、再結成。

  • 7月

岡田斗司夫編『国際おたく大学』発行。同書の唐沢俊一サブカルパンドラの箱」により、岡田・唐沢らは伊藤剛に名誉棄損等で提訴される。

  • 11月

久住昌之、弟・卓也とのユニット「Q・B・B」の『中学生日記』発行。翌年、第45回文藝春秋漫画賞受賞。
1999年(40〜41歳)

  • 9月

横浜銀蝿」の翔、覚醒剤取締法違反にて再逮捕。
2000年(41〜42歳)

  • 11月

29日、坪内祐三、暴漢に襲われ内臓破裂他瀕死の重傷で入院。

*1:ª–{ŒhŒöŽ®ƒz[ƒ€ƒy[ƒW

*2:舞台・公演リスト

*3:但し、関西ローカルだと放送開始日が異なるかもしれない

*4:http://www.amazon.co.jp/BAND-LIFE%E2%80%95%E3%83%90%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%9E%E3%83%B320%E4%BA%BA%E3%81%AE%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E4%BA%BA%E7%94%9F%E5%8A%87%E5%A0%B4%E7%8B%AC%E7%99%BD%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%BC%E9%9B%86-%E5%90%89%E7%94%B0-%E8%B1%AA/dp/4862016146

*5:Amazon CAPTCHA

*6:http://bohemian.jp/works/alice/ml004.html

*7:http://www.amazon.co.jp/%E3%81%93%E3%82%8C%E3%81%AF%E6%81%8B%E3%81%A7%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%84%E2%80%95%E5%B0%8F%E8%A5%BF%E5%BA%B7%E9%99%BD%E3%81%AE%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%83%A0-1984%E2%80%901996-%E5%B0%8F%E8%A5%BF-%E5%BA%B7%E9%99%BD/dp/4877281398

*8:http://www.amazon.co.jp/%E3%81%95%E3%82%88%E3%81%AA%E3%82%89-%E3%82%BB%E3%83%96%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%82%BA-%E3%82%B5%E3%82%A8%E3%82%AD-%E3%81%91%E3%82%93%E3%81%9E%E3%81%86/dp/434113132X

*9:注4.参照

*10:大月「はっきり言って俺なんか結構いじめられてたぞ。」ナンシー関「そんな、威張らなくてもわかりますって(笑)。」大月「そうか。小さい時に東京から関西に引っ越した転校生だったからなぁ。(真剣に)あのな、世の中に関西の小学校ほどキビシイ世間はないぞ。」http://www.amazon.co.jp/%E5%9C%B0%E7%8D%84%E3%81%A7%E4%BB%8F-%E5%A4%A7%E6%9C%88-%E9%9A%86%E5%AF%9B/dp/4163515704

*11:注5.参照

*12:注5.参照

*13:プレイリストから新たな音楽を発見する[MUSICSHELF]

*14:岩崎宏美 - Wikipedia

*15:http://www.amazon.co.jp/%E4%B8%80%E4%B9%9D%E4%B8%83%E4%BA%8C%E2%80%95%E3%80%8C%E3%81%AF%E3%81%98%E3%81%BE%E3%82%8A%E3%81%AE%E3%81%8A%E3%82%8F%E3%82%8A%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%80%8C%E3%81%8A%E3%82%8F%E3%82%8A%E3%81%AE%E3%81%AF%E3%81%98%E3%81%BE%E3%82%8A%E3%80%8D-%E6%96%87%E6%98%A5%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%9D%AA%E5%86%85-%E7%A5%90%E4%B8%89/dp/4167679795

*16:坪内祐三は太ると森永卓郎に、痩せるときたろうに似てくるような印象を持っている。

*17:http://www.amazon.co.jp/%E9%A3%B2%E3%81%BF%E5%B1%8B%E3%81%AE%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF-SOFTBANK-BOOKS-%E3%81%BF%E3%81%86%E3%82%89-%E3%81%98%E3%82%85%E3%82%93/dp/4797303689

*18:レッド・ツェッペリン、シカゴ、CCRは<自分一人で聞いてる分にはいいが、皆で楽しむとなると問題があった。>http://www.amazon.co.jp/%E3%81%82%E3%81%AE%E9%A0%83%E3%81%BC%E3%81%8F%E3%82%89%E3%81%AF%E3%82%A2%E3%83%9B%E3%81%A7%E3%81%97%E3%81%9F-%E9%9B%86%E8%8B%B1%E7%A4%BE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%9D%B1%E9%87%8E-%E5%9C%AD%E5%90%BE/dp/4087487857

*19:http://www.tv-naruto.ne.jp/s-take/chronology/1973/1973827.html

*20:http://shikisoku.jp/podcast/

*21:หวนคืนสู่อดีตที่คาสิโนออนไลน์ » จับให้ได้ไล่ไม่ทันกับเว็บดี ๆ

*22:白毛女』のポーズとはこんなもの中国:China:ダンスな切手たち:So-netブログ

*23:GodSpell - All For The Best - YouTube

*24:岡田斗司夫 - Wikipedia

*25:YouTube

*26:岩崎宏美 - ドリーム [Bass] - YouTube

*27:0-3 小室哲哉と音楽の出会い 20 Years After -TMN通史-/ウェブリブログ

*28:青学入ってない説ほか諸説ありますトンデモない一行知識の世界 2 - 唐沢俊一のガセビアについて - 東京で弟と半年間だけいっしょに住んでいたという唐沢俊一。自分としてはむしろ「小西さん、中村さん、姫野さんらと同時期に青学に入っていたほうが面白い」と思います。

*29:第4章(2)

*30:YouTubeん〜…「ホテル・カルフォルニア」を和風に咀嚼したカンジかなぁ?

*31:http://銀星団.net/1st.html

*32:同公演サウンド・トラックより、フィナーレ曲「レッツ・ザ・サンシャイン・イン」The Flesh Failure~Let The Sun Shine in - YouTube

*33:ZELDA/Ashu-Lah - YouTube

*34:DAICON FILM - Wikipedia

*35:0-7 小室・木根・ウツその後 20 Years After -TMN通史-/ウェブリブログ

*36:#193 やりたいことは探して見つけるのではなく、出会うもの。 - 江川 紹子 さん(ジャーナリスト) | mammo.tv

*37:田口ゆかり - Wikipedia

*38:YouTube

*39:DAIKONFILM 帰ってきたウルトラマン「マットアロー発進命令」 1 - YouTube詳細エピソードはhttp://www.amazon.co.jp/%E9%81%BA%E8%A8%80-%E5%B2%A1%E7%94%B0-%E6%96%97%E5%8F%B8%E5%A4%AB/dp/4480864059参照

*40:http://www.amazon.co.jp/%E3%81%9F%E3%81%B6%E3%82%93%E6%9C%80%E5%BE%8C%E3%81%AE%E5%BE%A1%E6%8C%A8%E6%8B%B6-%E6%9D%B1%E9%87%8E-%E5%9C%AD%E5%90%BE/dp/4163688102

*41:http://www.amazon.co.jp/%E8%BF%91%E3%81%8F%E3%81%B8%E8%A1%8C%E3%81%8D%E3%81%9F%E3%81%84%E3%80%82%E7%A7%98%E5%A2%83%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%AE%E8%BF%91%E6%89%80-%E8%88%9E%E5%8F%B0%E3%81%AF-%E6%B1%9F%E3%81%90%E3%81%A1-%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A1%E3%83%B3%E5%B1%8B%E3%80%82-%E4%B9%85%E4%BD%8F-%E6%98%8C%E4%B9%8B/dp/4893610015Amazon CAPTCHA

*42:注1.参照

*43:<アニメがバカにされないためには、それだけの“箔”が必要>と山鹿監督が力説したそうTwitter. It's what's happening.。で、箔にならない窪田晴男の仕事がコレMAD王立宇宙軍オネアミスの翼「ロケット打ち上げシーン音楽:窪田晴男」 - YouTube

*44:MUSICAL I GOT MERMAN - YouTube

*45:Twitter. It's what's happening.

*46:YouTubeあらためてチェックすると、みうらさん、まだ少しオシャレ引きずってるように見える

*47:坪内祐三 - Wikipedia

*48:http://www.amazon.co.jp/%E3%81%9F%E3%81%BE%E3%82%82%E3%81%AE-%E7%A5%9E%E8%94%B5-%E7%BE%8E%E5%AD%90/dp/4480876162

*49:注.36参照

*50:http://www.amazon.co.jp/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E3%83%81%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%B3Vol-1-%E7%AF%A0%E7%94%B0%E6%98%8C%E5%B7%B3/dp/B0028RBF4I

*51:放送までの経緯と反省

*52:http://www.amazon.co.jp/%E4%BA%BA%E7%94%9F%E8%A7%A3%E6%AF%92%E6%B3%A2%E6%AD%A2%E5%A0%B4-%E6%A0%B9%E6%9C%AC-%E6%95%AC/dp/4896915771

*53:江川紹子ホスゲン襲撃事件 - Wikipedia

*54:この件は| shortcut web | column space | 松沢呉一 | 唐沢1b |を参考

*55:菊池賞受賞者一覧|公益財団法人日本文学振興会

*56:この件は| shortcut web | column space | 松沢呉一 | 唐沢1a |を参照。