*[検証]頭文字D、『唐沢俊一検証blog』感想家に罵倒される

大河さんのレスがあったので、追記があります。


  • その1.

大河(tiger_ichikawa)さんの「せめて、オタクらしく」補論・その1 - 唐沢俊一検証blogについての感想が10月12日夜8時半からツイートされていた。まぁ、それはいいのだけれど、感想の内容は『唐沢俊一検証blog』とはあんまり即してはおらず、16個連続したツイートで5つ目から終わりまで私について書かれていて大変恐縮してしまった。だからたぶん、大河さんは、私のこと、唐沢俊一さんや岡田斗司夫さんと同一だといっているだろうね。
以下、大河さんの連続ツイートを引用

唐沢俊一検証blog』更新チェック。唐沢が得意気顔で語ったとされる「オタク的価値観」に興味と関心を覚える。僕がそもそもオタキングやら唐沢やらをリスペクトできない理由の一つに「オタクとはかくあるべき」「オタクとはこうだ」を(自分らが自称第一世代だからと)(続く)
posted at 20:39:35
(続き)やたらと上から目線で決め付けて、語っては自己陶酔に浸る部分に嫌悪感を覚えるからだ。そういう意味では伊藤剛氏もOLD PINK氏も、どちらも散々な目にあわれたわけで両者を一始めとする、「自称オタク第一世代によるパワハラ被害者」に対しては(続く)
posted at 20:39:45
(続き)本当に同情申し上げるものである。というのも、僕がそもそも「オタクの帰属性」みたいなものがオタクでありながらとことん嫌いであるという、まぁ厄介な性格だからであるが「ウルトラファンなら全てのウルトラを愛さなければ」だの「昭和ライダー平成ライダーも」だの(続く)
posted at 20:39:56
(続き)ある種のナショナリズムに近い(しかもそれらは概ね、偏ったバイアスで支配されている)「オタクとはこうあるべき」という概念や価値観は、苦笑するだけで近寄らないようにしているのだ。例えば、僕がここで検証blogの感想を述べていることに対していきなり礼節も挨拶もないまま(続く)
posted at 20:40:13
(続き)無意味で無意義な論争を吹っかけてきた、頭でっかちな馬鹿(こう呼んでいてばかりではまるで唐沢と同じになってしまうので、ここでは仮に「D」と名づけよう)がいたのだが僕は最初から徹頭徹尾徹底して「僕の感想は、新橋の焼き鳥屋で野球好きのサラリーマンが(続く)
posted at 20:40:25
(続き)テレビの野球中継を見ながら、好き勝手なことを述べているのと同じだ」と主張していたし「唐沢問題に関して『唐沢糾弾派』と『唐沢擁護派』しか存在をゆるされないのもおかしいだろう。(続く)
posted at 20:41:39
(続き)僕みたいな野次馬が存在するのだって、許されてよいはずだ」と、散々主張を続けていた(続く)
posted at 20:41:57
(続き)しかしそのDという男は、僕のツイートを勝手にまとめてブログで思想論や哲学を持ち出して必死に「何か」を語りだした。「オタクのシニカル理性批判」とか銘打って(僕なんかの野次なんかのためにわざわざ)大澤真幸だのスローターダイクだのまで持ち出して(続く)
posted at 20:42:21
(続き)俺の野次を批評した気になってご満悦だった。それはいいさ。笑ってみてればいい。ところがそのブログのコメント欄で(多分唐沢検証関係のお仲間さんが)「プロ野球のファンにありがちな監督批判と似ていると思ってました」と書き込まれた。(続く)
posted at 20:42:38
(続き)もちろん、そもそもそのまんまなのだからそれが正解である。そしたらDはなんと「ドンピシャです。メタ認識とか小賢しいこと言わないでそのセンで話せばよかったか…」なるコメント返し。これには大爆笑した(笑)(続く)
posted at 20:42:53
(続き)たかが野次、戯言だよと、本人の僕が散々主張してきたのにそれを全無視しておいてイデオロギーだのメタ知識だの、覚えたての小賢しい小知恵で必死に論じておいて「実はただの戯言で野次でしかない」という結論を、第三者に指摘されたら「そうだったのか!」(続く)
posted at 20:43:06
(続き)これはもう、出来の悪い落語のようなものではないか。「オタク」というあやふやなカテゴリが、しかしはっきりと存在性を持って社会で機能するときそこでオタクに帰属する人はどうしても「オタク定義」を(無意識に、自分のスタンスに(続く)
posted at 20:43:17
(続き)都合のよいように)でっちあげてしまいがちになってしまう。それはオタキングしかり、今回の唐沢しかり、Dしかり。確かにある種の世代やカテゴリを、総論としてまとめたり論として語ることは大事だ。(続く)
posted at 20:43:27
(続き)しかし、そこで一番大事なのは「どれだけ既存の哲学書や思想書を読んでいるか」ではなく「オタクを包んでいる外の膨大なセカイ」と、オタクというカテゴリと、個人との三点観測ではないだろうか? 僕は確かにオタクであろう。(続く)
posted at 20:43:37
(続き)しかし「オタクであるならこうであれ」「これこそ真のオタク」的な、求道的精神論には興味はない。オタクを因数分解する気もないし、そういう行為に興味がない。そういう行為に執心するのは、唐沢や岡田、Dなどといった(続く)
posted at 20:43:47
(続き)「自分がオタクであることに、誇りとコンプレックスを同時に持ち合わせる者」が自己不安を沈静化するための儀式として、また自己正当化の相対化としてアジテーションするのだろうと思う。
posted at 20:43:57

引用文中「D」と仮名となっているのが私で、「コメントを書き込んだお仲間さん」というのが2011-09-20 - もうれつ先生のもうれつ道場でのNTTさんのこと。

まず基本的な話からですが、
1.<僕は最初から徹頭徹尾徹底して「僕の感想は、新橋の焼き鳥屋で野球好きのサラリーマンがテレビの野球中継を見ながら、好き勝手なことを述べているのと同じだ」と主張していた>というけれど、大河さんの感想が始まったのは今年の5月21日、私が大河さんの感想にツッコミを入れ始めたのが7月22日、大河さんが上のような主旨の発言をしたのは9月16日のiyonoさんへのツイート<@iyono 僕は野球でいえば、居酒屋で中継を見ながら酒を煽っているサラリーマンのような立ち位置でいたいのです(「いるのです」とは少し違います)>が初めて。つまり3ヶ月半くらい経っての発言であり、<最初から徹頭徹尾徹底して>とはずいぶん違うと思う。で、その間は<僕が『唐沢俊一検証blog』に対して呟いている「感想」を「評論」と、勝手に決めつけ銘打って、批判する人がいる>だの<唐沢俊一検証blog』の感想については、かねてからTwitterで書き続けているし、素直に感心している時もあれば、同感できないときは酷評もしている。それだけ>だの<僕が僕の思いつきや感想を呟くのは自由ですよね?>だの、あげくには<静観し傍観する。そういう外野>といった表現で自らのスタンスを述べているが、要するに「感想を言うのは自由だろう?」と言っているに過ぎなく、居酒屋のサラリーマンの比喩とは異なる。
2.<「唐沢問題に関して『唐沢糾弾派』と『唐沢擁護派』しか存在をゆるされないのもおかしいだろう。僕みたいな野次馬が存在するのだって、許されてよいはずだ」と、散々主張を続けていた>とのことだが、私は再三にわたって大河さんが感想を言うことは自由だと同意している。ただ、それと一緒に「感想の感想」もあってしかるべき旨主張しているけれど。しかも、大河さん自身だって当初から「感想の感想」を認める発言をされており、ならば上記のような蒸し返しは意味が無いと思う。また、私は大河さんを『唐沢擁護派』と認識していないし、自分が『唐沢糾弾派』とも思っていない。単に理屈や実情や文脈がおかしい発言についてツッコンでいるだけであり、それはトンデモない一行知識さんと[失神と失禁] - もうれつ先生のもうれつ道場で小競り合いがあったことでも分かると思う。だから大河さんが私との対立構造を相変わらず『唐沢糾弾派』vs『唐沢擁護派』としているのが不可解です。
3.<無意味で無意義な論争を吹っかけてきた、頭でっかちな馬鹿>というのだが

唐沢俊一検証blog評論』更新チェック。唐沢が個人的心象に過ぎないものを定説かのごとく記す箇所を検証しているので、「検証と銘打つにしては弱い」とするのは疑問。「杜撰なデータ」を「確定的データ」とする行為は充分「ガセ」に当たるのでは?今回も残念。

くらいの揶揄がそれを指すなら、それは「小心者」ってことなんじゃないの?で、じゃあ「小心者」を認めればそれで済むかっていうとそういう話じゃなくて、そういうふうに自分を弱者にして他人の発言を捻じ曲げるな、ということだ。
4.<ところがそのブログのコメント欄で(多分唐沢検証関係のお仲間さんが)「プロ野球のファンにありがちな監督批判と似ていると思ってました」と書き込まれた。もちろん、そもそもそのまんまなのだからそれが正解である><たかが野次、戯言だよと、本人の僕が散々主張してきたのにそれを全無視しておいてイデオロギーだのメタ知識だの、覚えたての小賢しい小知恵で必死に論じておいて「実はただの戯言で野次でしかない」という結論を、第三者に指摘されたら「そうだったのか!」これはもう、出来の悪い落語のようなものではないか>とのことだが、大河さんは何か根本的に誤解されている。まず上にも記したが「野次馬的スタンスの表明」はだいぶたってからであり、<本人の僕が散々主張してきたのに>というような一貫したものではない、という虚偽。
次に、ならば『唐沢俊一検証blog』への感想が「プロ野球のファンにありがちな監督批判」と同次元というのはOKなのか?という問題。こっちのほうが私にとっては重要で、要するに<新橋の焼き鳥屋で野球好きのサラリーマンがテレビの野球中継を見ながら、好き勝手なことを述べている>だの<僕は野球でいえば、居酒屋で中継を見ながら酒を煽っているサラリーマンのような立ち位置>といったスタンスは、検証サイドで批判されてきた唐沢俊一岡田斗司夫のいい加減な言動と同じだってことでしょ?唐沢批評についての感想や批評の内容が、批判された唐沢の話と同次元であるのはどうかと思うので、そういうことに文句を言っているということを分かっていただきたい。私が「オタクのシニカル理性」を援用して考えているのはこういった事柄です。
5.<唐沢や岡田、Dなどといった「自分がオタクであることに、誇りとコンプレックスを同時に持ち合わせる者」が自己不安を沈静化するための儀式として、また自己正当化の相対化としてアジテーションするのだろうと思う>とのことだが、私は自分をオタクだと思っていないし、オタクだと宣言したこともない。大河さんは勘違いしている。
6.ついでに大河さんのツイートの中で<新橋の焼き鳥屋で野球好きのサラリーマンがテレビの野球中継を見ながら、好き勝手なことを述べている><居酒屋で中継を見ながら酒を煽っているサラリーマンのような>=<検証サイドで批判されてきた唐沢俊一岡田斗司夫の言動>に当たるフレーズを引用しておきます。

>肩沢(原文ママ)はそもそも、ガセとパクリと政治力でしか仕事を取れない無残な存在なのは明確なのだ
>唐沢は悪道・非道の限りをしているのだから、批判する側は正義であって、正義であれば何をやってもいいのだという考えは、唐沢と批判派を無駄に相対化させてしまうだろう。(正義論っていうのは地震前の『ProdigalSon_JP お気に入り QJ吉田豪氏による唐沢俊一氏へのインタビューを巡って藤岡真氏と伊藤剛氏のやりとり』の補完 - Togetterでも触れられていると思うが、ここでも頑なだった儒学者さんですら、大河さんの言うような「正義観」とはずいぶん違う。)
>「唐沢の解釈には疑問が残る」とズバッとなで切るkensyouhan節は健在
>「検証」というからにはこうでなくちゃ、とでも言うべき太刀裁きには感心させられる。資料性の追求、細かいデータの刷り合わせ。そこから導き出される仮説と立証
どんな些細なミスでも、見逃さず吊るし上げる」検証blog的スタンス
>「唐沢俊一もついて」(原文ママ)は、俺の中では「自称オタク第一世代」をキャッチフレーズにして、広告代理店的虚像で名前を売った「空っぽの王様」というイメージしかない。
>スマートな指摘、迅速なソース元の捜索。言い訳する隙を与えない物証の提示。まさに「検証」。今回は惚れ惚れするレベル。最近、2ちゃんのレスなのかワイドショーなのかって記事が多かっただけに大満足。『孤独のグルメ』風に言うなら「コレですよコレ」
>@iyono 迷惑だとは思っていませんが、様々な方の意見が、僕の意見に対してカスタマイズされて向けられるのは、思考の柔軟化にとって有効だろうと感謝してます
>「世の常識」も「出版界の常識」も統括する上位の「法の是非」が問える場に、唐沢を引きずり出せば良いわけですから。そうなれば、伊藤氏への敗訴以降の問題発言から盗作からなにから、全てお白州で裁かれることになります
(大袈裟)
>いま僕が’なぜか」いつの間にか)かかわっている「唐沢俊一盗作問題」もそうですが、「正義」という大義名分を得たときのネットのヒステリーは、社会に悪印象しか与えないのではないかと……。「我々に賛同するなら正義だが、しなければ悪の烙印を押すぞ」は怖いです
(こういうところが典型的に唐沢や岡田が批判されてる言説と相似なところで、<「正義」という大義名分を得たときのネットのヒステリー>が私のことを指すならば、私は大河さんこそが「正義」を振りかざしているといっているのでイデオロギー対立であるのが正体であり、ゆえに<社会に悪印象しか与えない>は<自分に悪印象しか与えない>ということの粉飾表現。私のことを指さないなら、そんなネットのヒステリーは実体がないので、そもそも虚偽。<「我々に賛同するなら正義だが、しなければ悪の烙印を押すぞ」>も同様、誰もそんなことは言っていない。岡田斗司夫がよくつかう手。)

頭文字D(43) (ヤンマガKCスペシャル)

頭文字D(43) (ヤンマガKCスペシャル)



  • その2.

このエントリについて大河さんの感想がツイートされたので、まとめて引用しておきます。

○10月13日

個人的連絡「Dへ」お前の言ってることは全部「小学生の屁理屈」だ。僕が自分の検証感想が「野球ファンの野次馬であること」を、感想の初めに所信表明しようと、9月になって初めて言及しようと、お前がシニカルだのメタだのを言い出す前に僕が言い切っていたという事実には代わりがない。(続く)
posted at 12:16:42
(続き)人を勝手に使って「アカデミズムっぽい僕」アピールのだしにするのは勝手だけど、他の唐沢関係の人(古賀氏や芦原氏を含む、その他大勢)とは僕は、普通に会話しているし、楽しく付き合わせていただいている。礼儀も挨拶もなく、論議をふっかけてきたのは「お前だけ」なんだよ。(続く)
posted at 12:17:06
(続き)その違いは「見ず知らずの他人に話しかけるときのマナー・礼節」どんなアカデミズムやイデオロギーよりも、実社会ではこれが一番大事なのだ。哲学や思想で他人を批評する前に、その賢い頭で一回「自分を」批評してみなさいな。僕を「小心者」と罵倒するなら、お前は「卑怯な道化師」だ。
posted at 12:17:15
図星を突かれてよっぽど悔しくて「ボクの知的で論理的なブンショーで反論しなくてはいられない衝動」に駆られたんだね。だからわざわざ「私のせいじゃない」とか言うのね(笑)まるで唐沢そのものだ(笑)RT 今回も@tiger_ichikawaについての話になったけれど、私のせいじゃないよ
posted at 12:56:23

1.<9月になって初めて言及しようと、お前がシニカルだのメタだのを言い出す前に僕が言い切って>とのこと。「野球ファンの野次馬であること」と「シニカルだのメタだの」のどっちが早いかということを問題にされているなら、私がシニカル理性云々を取り上げだしたのは2010-02-13 - もうれつ先生のもうれつ道場このあたりからなので問題とならないくらい早いですよ。あと比喩が指し示している事柄を曲解されているみたいですが、「野球ファンの野次馬であること」というのは「唐沢俊一岡田斗司夫のいい加減な言説と同次元」と言う批判的な意味なので、他者が提示した「野球ファンの野次馬であること」に飛びついて「それは先に自分が言い切っていた」と言うのは間違いだと思いますよ。
2.<他の唐沢関係の人(古賀氏や芦原氏を含む、その他大勢)とは僕は、普通に会話しているし、楽しく付き合わせていただいている>とのことですが、それが私と大河さんとの問題に何か関連があるのでしょうか?大河さんの私への誹謗の正当性を、古賀氏や芦原氏を含む、その他大勢の方の存在が保証しているということでしょうか?意味不明です。
3.<「見ず知らずの他人に話しかけるときのマナー・礼節」どんなアカデミズムやイデオロギーよりも、実社会ではこれが一番大事なのだ>とのことですが、ブログやツイッターなどで「実社会」のことが語られることはあっても、ブログやツイッターそのものは「実社会」じゃないので、過剰に「マナー・礼節」を強調して拒絶の正当性をしてるようにしか見えません。
4.<だからわざわざ「私のせいじゃない」とか言うのね(笑)>とのことですが、そもそも『唐沢俊一検証blog』感想と断っときながら、その3分の2を私の誹謗で埋めてる大河さんのツイートのせいなので「私のせいじゃない」のは明白ですよ。頭を使ってツイートおねがいします。



次のmiyuraoさん宛てのもので、大河さんは重要な発言をされている

人は感情がある生き物だから、見知らぬ人同士が文字という記号だけで接触をもとうとしたときに一番大事なのは「論理的に正しいか」や「勝ち負け」ではなくまずは「礼節とマナーを守って相手を尊重した挨拶と言葉遣いで初対面が成り立つか」だと思います。匿名だとそれは無理ですRT @miyurao
posted at 13:13:05

「論理的に正しいか」や「勝ち負け」ではなくまずは「礼節とマナー>、って、今この話の流れではどう考えたって「論理的に正しい」がまず優先されるべきなんじゃないかしら?理屈よりも対人関係が優先された集団についての批判は、『唐沢俊一検証blog』で再三なされていますよ。先のツイートでの<どんなアカデミズムやイデオロギーよりも、実社会ではこれ(引用者注:マナー・礼節)が一番大事なのだ>も同じ。

○10月14日

「ブログやツイッターそのものは「実社会」じゃないので」と偉そうに語る人がいるが、それが既にそもそも勘違いである。パソコンもネットも道具でしかない。そこに世界があるように見えるのは勝手だが、どんな道具を使おうとも、人と人が接している以上、礼節やマナーは必須だ。(続く)
posted at 01:30:27
(続き)繰り返すが、パソコンもネットも道具であり「世界だ」と思い込むのは危険なエゴ(あくまで個人の意見だけど)「人と人を繋ぐ道具」であれば電話や手紙があるが「手紙社会」だの「電話ワールド」なんて言葉は普遍的にはどこにもないのと一緒。(続く)
posted at 01:31:32
(続き)「ネット社会なんだから、ネットでは実社会では出来ない無礼も許されるはずだ」なんて愚かな思考は白痴の発想。
posted at 01:31:41

「手紙社会」だの「電話ワールド」なんて言葉は普遍的にはどこにもない>とのことですが、そんな話はしていません。『唐沢俊一検証blog』の感想もそうなんですが、解釈のされ方が得手勝手過ぎですよ。で、今回のツイート全体が<過剰に「マナー・礼節」を強調して拒絶の正当性をして>いる証左です。
「ネット社会なんだから、ネットでは実社会では出来ない無礼も許されるはずだ」>とのことだけれど、私がしたとされるその無礼というのは具体的にどれを指すのでしょうか?大河さんの中で「マナー・礼節」という観念が肥大して、実態とかけ離れつつあるように危惧します。私への罵りかたに拍車がかかったような現状も自覚なさったほうがいいですよ。

おはようございます。どうやら場かな間抜けがさっそく昨夜のツイートに反応してくれたみたいですが「<過剰に「マナー・礼節」を強調して拒絶の正当性をして>いる証左です」僕は「ネットは道具であって社会じゃない」「だからネットだからという理由で、一般社会における礼節を、(続く)
posted at 10:14:18
(続き)無視したり、蔑ろにするエゴを認めない」「認めないから無礼なやつには無礼で対応する」というスタンスです。「拒絶を正当化する」んじゃないんだよ、馬鹿だなぁ。君はどうでもいいから、特異の知識と哲学・視争論で「人には現実社会とは違う、ネット社会というのが確立されていて(続く)
posted at 10:15:56
(続き)そこでは実社会では決して許されないレベルの無礼も許される」を好きなだけ述べていなさい。それこそ「いくらご満悦で論をぶち上げようとも、実社会では何のプラスにもならない戯言」だから(笑)
posted at 10:16:04
「私がシニカル理性云々を取り上げだしたのは2010-02-13 - discussaoの日記このあたりからなので問題とならないくらい早いですよ。」どこの誰とも分からない雑魚のブログなんで読んでねぇし、そのブログは俺に関してかかれたものじゃないだろう?(続く)
posted at 10:28:13
(続き)お前が「シニカルがどうの」自己陶酔の俺理論をを俺に当てはめ始めたときには既に、俺は野次馬宣言してたんだから、先にソレを読まずに勝手に「メタ的」とか、勘違いしたオナニー理屈に俺を当てはめただけだって話だよ。あと「手紙世界」も「電話ワールド」も(続く)
posted at 10:29:02
(続き)普遍的にはないという俺の説を「そんな話はしていない」それ言ったら俺だってそもそもワイマール期のドイツの思潮の話なんかしていない。(続く)
posted at 10:29:35
(続き)「電話社会」や「手紙ワールド」がないのと同じレベルで「ネット社会」なんてものもない。お前の言う「ネットは実社会じゃないから」という理屈で働く無礼は、なんの言い訳にはならないってことの例えだけ。(続く)
posted at 10:33:15
(続き)以上。「D」は以降無視する方向で。こいつきっと面と向かったら何もいえないチキンなんだなと実感。「ネットなんだから」を自己催眠、自己弁護に使って、思想や哲学で理論武装するしか脳がない。崇高な思想や哲学の前に必須な「一般常識」が欠落している。かわいそうな蛆虫だ。
posted at 10:33:24

どこの誰とも分からない雑魚のブログなんで読んでねぇし、そのブログは俺に関してかかれたものじゃないだろう?>とのことですが、「新橋の焼き鳥屋のラリーマン」云々と「シニカルがどうの」のどっちが早いかという大河さんのこだわりにワザワザ付き合っただけで、本題は読めば明らかなように、このブログでの「プロ野球のファンにありがちな監督批判」と大河さんの「新橋の焼き鳥屋のラリーマン」云々はまったく意味が違うので、それを一緒くたにしている大河さんは分かっていない、ということですよ。



ふりだしにもどるでaka_akaさんが
<いや、本当に大河氏の罵倒がとまらない。おまけにdiscussao氏から「唐沢の盗作問題絡みでTwitterで絡まれた」ことになってる。他人に説明するために簡単に書いたにしても違いすぎるだろう。>
と書いてたので、「はて、それはどこだろう?」と探してみたら、他の方へのツイートで出て来ていました。

まず、大道寺さんが俯瞰されているネット論、ネット弁慶のような連中に対する見識は、自分の思う「それ」と、ほぼ同じであり、大変同意を持ったという感想を初めに、書かせていただきます。実はつい最近も、とある作家の盗作問題の絡みで RT 0dama
posted at 17:18:31
とある馬鹿にTwitter上で絡まれて、勝手にブログで発言を引用されていたりするのですが、大道寺さんの男女論・ネット論にも通じるように、「普通の人間が社会で普通に蓄えて、普通に学んでいく常識」に欠けている人が、特にネットでは多いと思います。RT @0dama
posted at 17:19:22

確かに、事情を知らない人が読んだら誤解しそうな書き方。もっと気になったのが<勝手にブログで発言を引用されていたりする>という記述。大河さん、『唐沢俊一検証blog』を読んでいるんですよね?パクリ問題で盗用・引用についての説明ってずいぶんされているんですけれど、上の大河さんの発言って唐沢の盗用・引用についての知識水準とそっくりですよ。例えを出せば、松沢呉一さんとの諍いでの唐沢の以下の発言

 また、貴兄のホームページにおいては、パソコン通信のネット上でのわたくしの発言を無断で引用しておられるようですが、

懐かしい無断引用って考え方。


-Law&Order. - 唐沢俊一検証blog感想
これは1ヶ月ほどまえのものだけれど、大河さんの『唐沢俊一検証blog』読解への疑問を考える上で参考となると思い引用します。

tiger_ichikawa 大河
唐沢俊一検証blog』更新チェック。後だしじゃんけんみたいで気が引けるが、案の定というか予定通りというか、検証氏が僕をテーマに記事にした。「このタイミング」で「その角度」で反応するのが、一番稚拙だろうになぁ……。このツイートへの反応と解釈は各自に任せます。つまり僕は(続く)
(続き)「唐沢を検証する上での、観察対象」と認定された可能性が高いということ(検証氏が書いた記事のメインタイトルが「検証」なのだからね)僕だからこそ分かる、僕にしか分からないレベルで(信じるかどうかは読んだ人次第)明言するなら(続く)
(続き)つまり検証氏は、自己判断で「記事のネタになる」と判断した対象であれば、実際のその対象がどれだけ唐沢本人との関係性があるかないかとは無関係に、「その関係性」は検証せずに(続く)(続き)取上げるスタンスなのだということが確認できた。「検証ウォッチャー:としては「そこ」がまず確認したかったのだ。ドラマ版『ガリレオ(07年)』の(好みで言えば原作版の方が『怪奇大作戦(68年)リスペクトに溢れていて好きだが)湯川の台詞「実に面白い!」であろうか(笑)
9月18日

discusao discussao
今『唐沢俊一検証blog』感想文でこう書くのは相当に問題だとおもう。「自分の情報リテラシーは高い」と宣言してるようなものRT@tiger_ichikawa 僕だからこそ分かる、僕にしか分からないレベルで(信じるかどうかは読んだ人次第)明言するなら
<「私が知っていること」は「誰でもが当然知らなければならないこと」><そういうふうに考える人間がいれば><、その人の情報リテラシーは低いと判断してよい。>http://blog.tatsuru.com/2011/09/16_1350.php
9月18日

tiger_ichikawa 大河
唐沢俊一検証blog』感想の追記。僕のコメントを必死にまとめている役一名と検証班氏は僕の意図を「「唐沢俊一をめぐる諸問題は訴訟で決着をつけるべき」というお話らしい」と総括しているが、検証氏も僕のツイートを見て独自に判断したからか、まとめの方だけ見て恣意的なまとめに(続く)
(続き)騙されたからか、僕は徹頭徹尾「【当事者が】法廷に持ち込んで解決すべき」というスタンスで意見を述べております。検証班氏が唐沢に登用されたわけでもなければ、パワハラを受けた事実もないことは存じております(続く)
(続き)もちろん「唐沢の周囲」から贈られてきた恫喝や恐喝に関しては、これは検証班氏が当事者被害者であるという認識も持ち合わせておりますが、(続く)
(続き)「正義でも義憤でもなく、ただ唐沢が楽しいから」であるなら、僕の意見には耳を貸さなくてもよいと思いますよ僕も「唐沢検証blogが面白いから」感想や意見を述べているだけですから(終わり)
9月18日

didcusao discussao
すみません、私は訴訟の「そ」の字も記した事はないので、検証班さん一人の解釈として頂けませんか?RT@tiger_ichikawa 僕のコメントを必死にまとめている役一名と検証班氏は僕の意図を「「唐沢俊一をめぐる諸問題は訴訟で決着をつけるべき」というお話らしい」と総括している
9月18日

tiger_ichikawa 大河
ふと思ったが。過去に検証班氏は自ブログ内で、伊藤氏事件やOldPink氏事件に関して「許せない」的な感情を吐露していたように見受けられた。そりゃまぁ人間の感情なんて、その時次第でコロコロ変わるものなのだろうが、そういった記事や主張を目にした第三者が「あぁこの人は正義感や(続く)
(続き)義憤で、唐沢を検証しているのだろうな」と思っても、それは自然なのではないだろうか?(ちなみに僕は、盗用やパワハラ事件に関しては、やるせなく許せない気持ちを抱いているが、まさに「当事者じゃないから」(続く)
(続き)検証や告発のブログを作ったり、時間を割く真似をいしていない)「唐沢を許せない義憤から」でも「ただただ唐沢を見ているのが楽しいから」でも、どっちでもいいし、都合によって使い分けてもいいんじゃないかなとは思う。(続く)
(続き)「許せないという義憤を感じることも、自分の中では面白さに通じる」という独特のロジックだってかまわない。僕は「そんな検証班氏:」を、ただ「面白い」と思う。
もしも「裁判に持ち込むのが厄介で面倒だから」「自分は裁判の当事者になれないから」という理由で、「だからネットで叩くのだ」という行動原理を正当化してしまうのであれば、それは法治国家システムを根幹から否定しかねないと思うのだけどなぁ。「面白いから検証している」ならまだ健全だけど。
さすがに、自分が「検討」対象にされたからか、気になった部分を後一つだけ。「今更だが、トラブルに巻き込まれるというのは非常に厄介なことなのだな、と思わざるを得ない。訴えなければ「何故訴えないのか?」と言われ」と検証班氏は書いているが、今回の記事の文脈を読む限り(続く)
(続き)ここでの「何故訴えないのか」と突っ込んだ存在とは、僕のこと以外に考えられない(他にも検証氏にそう提言した者がいたとしてこの記述がその人の言葉を指すのでえあるのなら、予めその人の名前か存在を明記するだろう)僕自身は「唐沢に被害を受けた当事者が訴えるべき」考えなのは(続く)
(続き)後出しではあるが明記したが、問題はそこではなく「果たして検証班氏は『トラブルに巻き込まれた立場』なのか?」なのよね。自分で「検証ブログ」なんてものを立ち上げて、何年もそれはそれは面白く血未知な記事をUPし続けておいて(続く)
(続き)いまさら「トラブルに巻き込まれて厄介」とボヤいてしまうのは、少し興ざめかなぁとい技fるをえない。文脈的に「本当に唐沢の被害にあって、それでも訴訟を起こせない人」への配慮の文章とも(続き)
(続く)受け止められるという判断も(かなり好意的な解釈をしないと、この記事だけからは難しいが)出来ないこともないので、一応「あれれ?と思った」レベルにとどめておくことにしよう。
9月18日

discusao discussao
これは『唐沢俊一検証blog』にコメントを入れてくる「擁護派」の発言と瓜二つです。RT@tiger_ichikawa そういった記事や主張を目にした第三者が「あぁこの人は正義感や義憤で、唐沢を検証しているのだろうな」と思っても、それは自然なのではないだろうか?
ええ・・・!?大河さん、ずっと『唐沢俊一検証blog』のそういうところ「如何なものか?」って苦言を呈していましたよ?RT@tiger_ichikawa どっちでもいいし、都合によって使い分けてもいいんじゃないかなとは思う。
ここで取り上げられたのは伊藤剛さんや漫棚通信さんの件での「擁護派」の現実にされた発言です。『唐沢俊一検証blog』だけはちゃんと読みましょうよ。RT@tiger_ichikawa )ここでの「何故訴えないのか」と突っ込んだ存在とは、僕のこと以外に考えられない
9月18日


-10月16日、大河さんと古賀さんの会話
(連続ツイートで文章が繋がっているものについて、ここでは繋げています)

kokogaga
2ちゃんで書いている人と私は全く別人なんでね。そういうこともわからない人が「論理的」とかいう言葉を使うのが滑稽なんですよ。QT @footbody 「最近は自分を知的に見せかけようとする傾向が見えてちょっと滑稽ですね」。唐沢俊一アンチは今日も元気に2ちゃんと同時進行で中傷。
posted at 09:45:49


tiger_ichikawa
@kokogaga おはようございます。芦原氏へのリプライでも最初に書いたのですが。僕は古賀氏はディベートにおいては、倫理・論理で文章やコミュニケーションを組み立てる人だと(勝手にですが)解釈しているので、古河市が2ちゃんで匿名で書き込んでいるとは少なくとも僕個人としては思っていません。しかも、論議に置いて古賀氏に敬服しているのは、思想論や哲学等の「借り物」を使わず、しっかりと「自分の言葉」で話しかけ、相手のリアクションを受け止めようとする姿勢にも敬服しております。だからこそ(以前も申し上げましたが)古賀氏から見える範囲で、僕の言動に何か理不尽な、mj順下言動があれば、ご指摘願いたいと思っております、今日もお元気でお過ごしください。
09:58:32〜09:58:57

kokogaga
@tiger_ichikawa 2ちゃんねるの唐沢スレは1度でも書き込むとあらぬ推測をよぶので最初から書き込まないことにしています。荒らしはなぜか私のtwitterをきちんと読んで反応するので特に支障もないし(笑)。
posted at 10:07:00
正直@discussaoさんに対する態度は厳しすぎるんじゃないかと思いますが、出発点における「どちらが無礼だったか」という問題がどうしても水掛け論に終わりそうなのでちょっと静観してます。
posted at 10:14:33
@tiger_ichikawa 礼儀とかマナーの問題はお互いに相手が間違っていると思う点を明確に述べたら、あとはどうしても「どちらが外野を引き込めるか」という話になってしまうので。
posted at 10:19:10


tiger_ichikawa
@kokogaga 2ちゃんというものの有効性も理解はしていますし必要悪の部分も感じていますが、こういう騒動になったとき、相手を罵倒・侮蔑するために「お前は2ちゃんに匿名で書き込んでいるだろう」が安易に使われて、言われた側はそれを払拭できないという構造は、面倒で迷惑だなと思うことも多いですね。「D」との問題においては、古賀氏であればその見解で、僕はかまわないと思いますし、そうであろうとも思います。僕が「ネットはツール」といったのと同じで、つい9ったーは特に140文字しかないしまた「文字」そのものも記号なので、記号は万能ではないので、こじれた問題を記号だけで解決できるとは思えないからです。彼は必死に僕のツイートに対して「意図的な読み違えをしている」と書きますが僕に言わせれば、彼がそもそも的確な書き方をしていない部分も多く、彼も彼で、僕の発言の枝葉末節や意図的に都合のよい部分しか註主るしない。これは彼に限ったことではなく、ネット・文字というツールを使って議論がおきれば(それがプロの論壇人同士でも)起きてしまう「修復不能な問題」なので放置することにしました。僕は別に彼とパワーゲームを行うつもりもないし、むしろそもそも相手をするのが面倒だし、彼のために文章を書いてもどうせどこからも原稿料は出ないのにどうして相手をしてやらねばならないのか。娯楽・余興のはずのネットで、寄ってくる相手を全てかまわなければならない義務はないなと考えた時「彼の目的がなんであれ、それの遂行に幇助する義務は僕にはないのだ」という原点に立ち戻ることにしました。ご心配をおかけして申し訳ありませんが、今後僕はそういう立ち位置を貫きたいと思います・それでも僕は「ネットもパソコンも『世界』ではなく『道具』で、モニターの向こうには『人』がいて、初対面なら最低限の礼儀は必要でありそれを『ネット世界なんだから』という屁理屈で放棄し、正当化する人」に対してはこれからも無視・嘲笑、というスタイルを貫きたいと思っております。そんな僕ですが、古賀氏が呆れられるまでは、どうかよろしくお願いします。追記・最後のご指摘ももっともで、僕は人間同士というのは(どんなツールででも)初対面の第一声というのは大事だと思ってますので彼がそこを改めるなり認めるなりしてくれれば「歩み寄り」は可能かとも思いますが、実際彼を見ているとまぁ無理だろうなと思っております。
10:32:23〜10:37:27

kokogaga
@discussaoさんの批判する@tiger_ichikawa さんの意見の一貫性も、twitterというものの性質上、「あの時は言い足りなかった」と主張すればかなりの齟齬はカバーしてしまえるので、そこを批判の拠点にするのも結構難しいだろうと感じています。
posted at 10:29:43

tiger_ichikawa
@kokogaga (自戒も含めれば)人間一番厄介なのは「近親憎悪」という奴で、彼が僕を必死に批判してる部分は、そのまんま彼自身にも当てはまるので、双方がそこを同時に改めるのは難しいかなぁというのが、今の時点での感情認識です(昔の東西冷戦みたいな)とりあえず僕は今は「相手にしない。耳を貸さない。読まない」を貫き、クールダウンする段階なので、あちらも(何かの使命が課せられてるのでなければ)一度筆を収めて時間を空けて、改めて何かの機会で別のツールで出会って「あの時はいやぁ熱くなりすぎまして」「いえいえこちらこそ」となるのが、落しどころとしては一番現実的かなぁと思うのですよ。まぁあとはあちらさん次第でしょうか。「失礼なことを口走った」のはお互い様(僕の主観ではあちらから)だし。


古賀さんは<出発点における「どちらが無礼だったか」という問題>と書いているけれど、私は大河さんの発言について「無礼」を問題にしたことは無いと思います。基本的に罵倒はそのまま受け入れていますし。
唯一<私への罵りかたに拍車がかかったような現状も自覚なさったほうがいいですよ>というのがそれに近いかもしれませんが、<大河さんの中で「マナー・礼節」という観念が肥大して、実態とかけ離れつつある>ことの説明なので、特に「罵り」をどうこう言うものではないです。
ですから、古賀さんにとっては大差ない違いということなのでしょうが、正確には<出発点における「discussaoが無礼だったか」という問題>です。古賀さんの書き方だと、大河さんと私、双方が相手の無礼について糾弾しているかのように受け取れます。
<discussaoさんの批判する@tiger_ichikawa さんの意見の一貫性も、twitterというものの性質上、「あの時は言い足りなかった」と主張すればかなりの齟齬はカバーしてしまえるので、そこを批判の拠点にするのも結構難しいだろうと感じています。>これはどうとでも意味が取れるので、よく分かりません。
<「あの時は言い足りなかった」と主張すればかなりの齟齬はカバーしてしまえる>「文句を言われる筋合いはない」と説明を拒絶されてる大河さんが、「あの時は言い足りなかった」と根拠を説明すれば―という意味ならばその通りです。私が8月末〜9月頭に「『唐沢俊一検証blog』等にコメント入れたほうが建設的」云々していることと同一ではないでしょうか?だから古賀さんの<そこを批判の拠点にするのも結構難しい>はよく分かりません。付け加えれば<twitterというものの性質>が齟齬の原因ならば、古賀さんと芦原さんも水掛け論をしているということですか?

twitterというものの性質>絡みで、大河さんの発言<つい9ったーは特に140文字しかないしまた「文字」そのものも記号なので、記号は万能ではないので、こじれた問題を記号だけで解決できるとは思えないからです>なんですけど、今回連続ツイート繋げてみて明らかなように大河さんは<140文字>制限超えた書き方してるので、<twitterというものの性質>が問題となるのかどうか微妙です。「文字は記号、記号は万能ではないので、こじれた問題は解決できない」というのも、そういう壮大な話をここで出してくる意味が分かりません。今壇上にあるもので「文字」が介在しないものはないので、「言葉は無力」とか「気持ちを察しろ」みたいな方向にしか行かないのでは?それはダメでしょ?
僕に言わせれば、彼がそもそも的確な書き方をしていない部分も多く、彼も彼で、僕の発言の枝葉末節や意図的に都合のよい部分しか註主るしない>だからその「的確な書き方をしていない部分」や「僕の発言の枝葉末節や意図的に都合のよい部分しか註主るしない」箇所(すみません、「註主るしない」ってのが未だに読み込めない)を指摘してくださいな。<個人的連絡「Dへ」お前の言ってることは全部「小学生の屁理屈」だ>とか<図星を突かれてよっぽど悔しくて「ボクの知的で論理的なブンショーで反論しなくてはいられない衝動」に駆られたんだね>とか、全然具体性のないことを言われるよりそうしてもらいたいです。
彼のために文章を書いてもどうせどこからも原稿料は出ないのにどうして相手をしてやらねばならないのか。娯楽・余興のはずのネットで、寄ってくる相手を全てかまわなければならない義務はないなと考えた>9月18日に続いてまた執筆業者的立場を主張なされてますね。それ、申し訳ないけど、素人の私との話で出されても、自分は特権的立場にいるってことにしかならないと思います。それに私の思い込みなのかもしれませんが、小まめに私の発言をチェックしてそれについてツイートされてるような印象ですが。「かまわなければならない義務はないけど、かまってる」というか。だったらメンションつけたほうが早くないですか?私も余計な「下衆の勘繰り」しなくて済みますし。
だから<娯楽・余興のはずのネットで、寄ってくる相手を全てかまわなければならない義務はないなと>とは言いつつも、もうだいぶ「かまってもらって」はいるんですよ。『唐沢俊一検証blog』の感想の3分の2が私に関するものだったりするって、そういうことでしょ?
僕は人間同士というのは(どんなツールででも)初対面の第一声というのは大事だと思ってますので彼がそこを改めるなり認めるなりしてくれれば「歩み寄り」は可能かとも思います>では改めたく存じますので、問題となった「初対面の第一声」を指摘ください。これですか?

唐沢俊一検証blog評論』更新チェック。唐沢が個人的心象に過ぎないものを定説かのごとく記す箇所を検証しているので、「検証と銘打つにしては弱い」とするのは疑問。「杜撰なデータ」を「確定的データ」とする行為は充分「ガセ」に当たるのでは?今回も残念。

これのどこが<どんなアカデミズムやイデオロギーよりも大事な「見ず知らずの他人に話しかけるときのマナー・礼節」>を失しているのでしょうか?だいたい「今回も残念」という揶揄はすぐに謝罪してますし、これが「マナー・礼節」に失する一大失言というには、通常行われているツイートでの交流の慣習からは考えにくいですよ。
で、<「失礼なことを口走った」のはお互い様(僕の主観ではあちらから)だし>とか、古賀さんも「どちらが無礼だったか」って焦点が「無礼」ってことに受容しちゃってるので、面倒くさいなと思ってはいます。止めてくださいよ、こっちはそんなこと問題にしてない。
つか、ハッキリ言えば、大河さんにとっては、最初に批判したのが私だったという要因が大きくて、「無礼」というのは後付けなのではないでしょうか?あと古賀さんなんかは「いろいろな立場があっていい」というスタンスだし私もそう思うけれど、それが「勝手にブログで発言を引用されていたりする」態の発言も立場として尊重されなければならない、という意味なら違うと思う。
人間一番厄介なのは「近親憎悪」という奴で、彼が僕を必死に批判してる部分は、そのまんま彼自身にも当てはまるので>どうでもいいですが、大河さん、「必死」とか「(笑)」を乱発しない方がいいですよ。
とりあえず僕は今は「相手にしない。耳を貸さない。読まない」を貫き、クールダウンする段階>そうだったんですか。ここにきて罵倒が増えたような気でいましたが。