You're Only Just in IT for the Money―資本主義から評価主義
、そしてその先に山猫大明神さまのありがたきおぼしめしが。なまねこ。なまねこ。
『オタクはすでに死んでいる』への助走(12)
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より引用
皆神 (擬似科学批判を職業としないのは)なぜかというと、一度食うために始めてしまうと、何が真実なのかというより、金儲けの方につい引かれかねませんから。一般の人たちを喜ばせたりマスコミ受けを狙うと、市場があるのは圧倒的に(疑似科学)肯定派のほうで、懐疑派では食えないんです。本業にしようと思ったら安易な肯定派に転ぶしかない。
岡田 僕もそれは同じですよ。「いま、アメリカではオタクが大流行」なんて口では言ってるけど、腹の中では「こりゃあ嘘だよなあ」と(笑)。でもメディアの表に立ったら、そう言い切らないと引っ込みがつかないんですよね。メディアでなにかを主張するのって結局、自分とはちがうキャラクターを作り上げて、肯定派の演技をするという部分がありますから。
皆神 そうそう。そんな場所に私みたいのが出てっても、食えるほどのキャラクターが保てませんよ。
何かお互いに同意しあっているけれど、この会話からは皆神と岡田の相反するポジションが浮き彫りになっている。つまり言論人として皆神は「食えない懐疑派」に属し、対する岡田は作られたキャラクターによって虚偽の主張をなす「食える肯定派」という立場だ。ここでいう「演技している」というエクスキューズは、岡田斗司夫の立場とすれば、自分の言論人としての立場は単純素朴な主張では片付けられない多面性を持ったものであるという意味なのだろうが、より直裁には、あらかじめ「自分の主張を真に受けるな」と牽制することで批判を遮断しているともとれる。
広告、CMのうたい文句は、誰もそれが真実とは思っていないにもかかわらず皆受け入れている。岡田はここで、自分の主張は広告の文言と同質の「虚偽であること」を前提とし発言内容の責任はないものであるとしている。とはいっても、「食えない懐疑派」の皆神もメディアで主張している言論人であり、「食えてる」とはいえ同じ言論人の岡田が、「食えている」ことをもって広告のプロパガンダのように真偽の検証を免責されうるような超越したポジションにあるというのは、かなり虫のいい話ではないだろうか?皆神龍太郎はこのへんのところ、どう考えているのだろうか?
2010-05-08 - もうれつ先生のもうれつ道場も踏まえ、唐沢俊一、岡田斗司夫に限定せず、世代として1958年前後生まれの<オタク第一次世代>への鎮魂歌として、「お前の身体のなかで一番醜悪なのは鼻でも足でもなく心だ」を
やる気の有るよな無いよなとこといい、サウンド・ホールの「HONEST」のロゴといい、妙にグッとくる。