『オタクはすでに死んでいる』への助走・1〜10のまとめ

  • 『オタクはすでに死んでいる』への助走(1)

2009-09-27 - もうれつ先生のもうれつ道場

概要:岡田斗司夫の『オタクはすでに死んでいる』(2008年)は2006年の講演『オタク・イズ・デッド』をベースにしたものだという。しかし「オタクの終焉」の先鞭を切ったのは伊藤剛である(2000年発表「”オタク”が終わったあとに」主旨、東浩紀編『網状言論F改ポストモダン・オタク・セクシュアリティ』(2003年)の伊藤によるキャッチ・コピー「オタクは死んだ。だが萌えは生き残る」、2005年『テヅカ・イズ・デッド』本文、2007年『マンガは変わる−"マンガ語り"から"マンガ論"へ』序文等)。
余計な話:『網状言論F改』以外はひととおり目を通しました。読みにくいかもしれないという予断を持っていましたが、『テヅカ・イズ・デッド』はすんなり読めてしまい、自分が頭良くなったかのような錯覚を抱いてしまった。唐沢俊一や岡田絡みで得た知識のせいか、「キャラ」や「キャラクター」の話よりも、「同一性を強いる共同体」のマンガ言説における批評への阻害を問題にしている点が印象に残った(とはいえ、ここで伊藤が問題としている「共同体」は唐沢・岡田に限定したものではない)。網状言論F改―ポストモダン・オタク・セクシュアリティマンガは変わる―“マンガ語り”から“マンガ論”へ

テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ

テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ

あと、『テヅカ・イズ・デッド』は英ロック・バンドthe smithsの3作目『The Queen Is Dead』のタイトルのパロディだが、岡田の『オタク・イズ・デッド』や、昨日知った千野帽子『少年探偵団 is dead. 赤毛のアン is dead.――文藝ガーリッシュ・嫌ミス流』(2006年雑誌『CRITICA』収録)など後追いになると、「英国女王」「手塚治虫」にあった切実な問題意識が薄れた安直さが目立つ。あ、「嫌ミス流」ってのは「嫌ミステリ流」ということらしいです。う〜ん、千野帽子ってどうなんだろうか…?BBS『アレクセイの花園』 - アマチュア評論家 アレクセイ(田中幸一)の掲示板です。主に「文学や映画」あるいは近年では「キリスト教」を研究しつつ論じています。の8月30日のコメント参照。

  • 『オタクはすでに死んでいる』への助走(2)

2009-09-29 - もうれつ先生のもうれつ道場
概要:参考文献として斎藤環戦闘美少女の精神分析』と大泉実成『萌えの研究』を読んでいるという話。
余計な話:『オタ死』で取り上げられた森川嘉一郎趣都の誕生』も現在は読破。岡田のこの本についての言及ってデタラメだなぁ。いずれ書くかもしれない。同じく岡田によって斎藤・森川とひと括りに語られた東浩紀動物化するポストモダン―オタクから見た日本社会』は未読、というか挫折中。

  • 『オタクはすでに死んでいる』への助走(3)

2009-09-30 - もうれつ先生のもうれつ道場
概要:岡田斗司夫の説く「オタク第1世代」の特質「貴族主義」について。「ノーブレス・オブリージュ」という言葉にしろ「貴族主義」の概説にしろ、本来は貴族階級の没落後に非・貴族階級から発想・創作されたものであり、岡田のように当事者が自己を説明するのに借用するのは、「本人の心意気」として抱いた理想としては結構なことだろうけれど、『オタ死』のような多少でも批評性を持つ本の中で開陳するのは間違いだろう、という話。岡田の説明する「貴族」の特質が「鼻持ちならない」のと、「貴族」を自称する行為そのものが「鼻持ちならない」というか「恥ずかしくないのか?」は言うまでもない。

  • 『オタクはすでに死んでいる』への助走(4)

2009-10-01 - もうれつ先生のもうれつ道場
概要:『オタ死』第6章「SFは死んだ」の、「('60年代)青少年SFファン第1・第2世代」を、その対立と変遷の歴史から「オタク第1・第2世代」の先例とする主旨の誤り。岡田はこの論のベースとして難波弘之『青少年SFファン活動小史』を挙げているが、『オタ死』の中の引用は成人SFファンの発言を青少年SFファン第1世代の発言であるかのような、別のところでは第2世代の成人ファンへの屈託が第1世代に対するものであるかのような操作が数多くなされており、まったく信用できない。
余計な話:ここでは難波弘之『青少年SFファン活動小史』に出てくる「閑話休題」の話が出てくるが、岡田斗司夫オタク学入門オタク学入門 (新潮文庫 (お-71-1))の「第6章<「通」の眼>」の第2節のタイトルは「閑話休題ガレージキット」である。この章は「オタクの持つ通人の視点」を述べたものであり、第1節のマンガ雑誌の歴史、第3節の日本アニメ史は「通人の視点」で語るという意味で続いている。第2章は<少し個人的な話をしたい>との書き出しで「海洋堂の大旦那」のエピソードが語られるという意味で他とは異色であり、普通に考えて第2章が「余計な話」であるのは明確。よく間違える人はいるって聞くけど、岡田の世代なら爆発的ヒットの遠藤周作『狐狸庵閑話』とか知らないということはないだろうに……。

狐狸庵閑話 (新潮文庫)

狐狸庵閑話 (新潮文庫)

  • 『オタクはすでに死んでいる』への助走(5)

2009-10-02 - もうれつ先生のもうれつ道場
概要:岡田の差別に関する文脈での鈍感さについて。それと岡田の犯したかなり恥ずかしい誤記について。
余計な話:岡田って既存の権威や企業・団体についての配慮は完璧なくらい配るけれど、利用価値のないものについての配慮の欠如とのバランスが物凄く悪い。そういう立ち回り・行為については特に言及するものではないけれど、言論人として「利用価値のないものに対する配慮の欠如」があらわになった表現というのは致命的なのではなかろうか?配慮しないなら配慮しないなりに、そのことを読み流させる「大人のズルイ書き方」があるだろうに。

  • 『オタクはすでに死んでいる』への助走(6)

2009-10-16 - もうれつ先生のもうれつ道場
概要:かなり雑然。
前半は、
◎岡田が「オタク第1世代」に「ノーブレス・オブリージュ」を援用しだしたのは、小室直樹と対談して影響されてではないか、という疑惑。マジメな話―岡田斗司夫 世紀末・対談
伊藤剛は『オタ死』の先駆型を、この『マジメな話−岡田斗司夫 世紀末・対談』の最後の章・岡田とその細君の対談とする。
◎この章と後書きから私が類推する岡田の思考法。岡田のこういった傾向が、斎藤環が説明する「情報の正確さより虚構創造性を優先する」オタクのモデル・ケースにまさしく合致すること。

後半は『マンガは変わる  “マンガ語り”から“マンガ論”へ』序文に絡んだ話
このころはまだ『テヅカ・イズ・デッド』はまったく読んでいなかったので、『マンガは変わる』序文ピンポイントで伊藤の「読者共同体」批判を代表させている。
◎さらに、サブカルチャー通史的には植草甚一を語ることの重要性を付け足しのように述べている。
余計な話:「サブカルチャー通史的に植草甚一を語ることの重要性」っていうのは、ここでも挙げている津野海太郎『おかしな時代』高平哲郎『植草さんについて知っていることを話そう』2冊で、とりあえず今のところは充分だと思う。けれども津野・高平以降の世代で、60年代後半〜70年代の植草をサブカルチャーの文脈で考察しているのは、私が知る限り坪内祐三ただ一人だ。オタクというものが結局のところ体系を形作れない「下位文化」、「教養」というより「趣味・嗜好」に留まる軽視すべきものであるか、もしくは岡田の述べる如く「オタク」は「サブカル」ですらないのか、そういった考察は後にゆずる。だからと言ってオタクが語られている領域でこういった歴史性がないがしろにされ、その場しのぎのいいわけだけが流通している現状(もしくは「していた近過去」)は問題だろう。
このあたりから唐沢俊一の劣化が急速に進むので改めて当時を思い出しながら書くけれど、2009-09-24 - 唐沢俊一検証blogにて藤岡真さんのコメントで「(大意)一流の植草に比べて唐沢は」とあったのにSerpentiNagaさんが「(大意)<サブカルのインチキおじさん>の系譜としては両者は繋がっている」という反論(?)があり、さらに藤岡さんの再反論「(大意)どさくさにまぎれての植草批判は止めてくれ」と続く。
SerpentiNagaさんの話はミステリの分野であり、その件については門外漢の私は特に意見はない。が音楽批評家としての植草甚一についてなら、その胡散臭さ・いい加減さについては思うところがあり、なおかつ「サブカルチャーのスター」「サブカルチャーの導師(グル)」という植草の扱われ方かたからも、オタク通史を語る上で植草甚一を語るのは有意義だと思い、SerpentiNagaさんに肯定的なコメントを書いている。意識して植草関連を気にするようになって思うのだけれど、今でも(どさくさにまぎれてでも)植草甚一サブカルチャー始点として批評するものは毀誉褒貶あったほうがいいと思う。オリジナルの文献の翻訳引用で本文を埋めつくしながら、それでも「オリジナルより面白い」など、紹介者としての植草の真骨頂(これが究極的には紹介者唐沢俊一に欠如しているもの)をオタク通史の中で位置づける客観性があれば、『オタ死』みたな本が流布する余地なんかないと思う。
とは言え、こういう総論めいたことで終始している私には、まだ植草甚一を語る準備など出来ていない。『宝島』とかあんまり興味無くて、3回くらいしか買ったことが無いし。坪内祐三に期待したいものがある。

考える人 (新潮文庫)

考える人 (新潮文庫)

  • 『オタクはすでに死んでいる』への助走(7)

2009-10-17 - もうれつ先生のもうれつ道場
概要:(5)のつづきみたいなもの。「ブラック・イズ・ビューティフル」についての誤解。自説に都合のいい操作による時間軸の歪み。
余計な話:岡田のことよりもジョルジ・ベン『ネグロ・エ・リンド(黒人は美しい)』の動画を貼りたかっただけかもしれない。ジョルジ・ベン、本格的にエレキ・ギターに持ち替えてからリズムが甘くなったよなあ(スィートになった意味じゃなくて、安直になったということ)。このころはジョルジの歌・ギター先録りでほかは全部オーバーダブだったらしいけれど、ストリングスの絡み等えらくプログレッシヴ。

  • 『オタクはすでに死んでいる』への助走(8)

2010-01-20 - もうれつ先生のもうれつ道場
概要:岡田が唱える「オタク世代論」が客観性のあるものとして他者の言説に影響していることを、千野帽子の本から指摘している。
余計な話:上記のように千野は千野でまた、別の意味で問題かもしれないが。なおここで使われる「新・教養主義」という言い回しは、その後「サブカルチャー教養主義」と改められた模様。山形浩生『新教養主義宣言』とバッティングするからか?
なお千野帽子は「負の教養主義」というのも編み出している。唐沢俊一岡田斗司夫は、普段は知性と教養の鍛錬のため努力・修行として学究に勤しむといったスタンスなのに、いざ東浩紀伊藤剛(や町山智浩)などと面と向かうと非アカデミズム・反アカデミズムといったスタンスに変身したり、その反論の仕方が「オタクを<萌え>で批評するが、<萌え>はオタクの一部でしかないので、彼の論旨は間違っている」といった例に代表されるような擬似科学に典型的な論理展開をする。千野の「負の教養主義」が具体的に何を指すかは知らないが、唐沢や岡田の上記のような在り様は「負の教養主義」に沿っているように思う。よって「負の教養主義」者というものは存在せず、またそれは「主義」といったものでもなく、ある集団(「サブカルチャー教養主義」者か?)がある局面で演技するポーズのようなものでしかないのではないか?と考えている。54. 「そんなの知らない」と誇らしげに言う人たち。 ~「下から目線」と「負の教養主義」(2):日経ビジネスオンライン

  • 『オタクはすでに死んでいる』への助走(9)

2010-01-22 - もうれつ先生のもうれつ道場
概要:『オタ死』<「萌え」の起源>と『オタク論!』<マンガと評論・後半>(さらに追加すると『オタク学入門』<「通」の眼>もか?)で語られている「週刊少年マガジン」の表紙の変遷とそこから導きだされた「南沙織表紙を始原とする日本男性の<萌え>への傾斜」説。これについての間違い、及び間違いなりに一貫していれば済むものを自説の時制もあやふやな事についての指摘。
余計な話:これ書いてて『ひとりぼっちのリン』と『カワリおおいに笑う!』が無性に読みたくなったことが印象として強い。

ひとりぼっちのリン (1) (講談社漫画文庫)

ひとりぼっちのリン (1) (講談社漫画文庫)

  • 『オタクはすでに死んでいる』への助走(10)


[検証]『オタクはすでに死んでいる』への助走(10) - もうれつ先生のもうれつ道場
(9)のつづき。
切通理作が『オタク論!』について書いたもので、(9)の「南沙織の表紙」に絡んだ話。けっきょく当時岡田少年は南沙織が好きだったという話にすぎないのではないかという疑念。

  • 中間的な感想。

オタクについて語るとき困るのは、例えば「80年代のオタクは云々」という記述が往々にして(というか常に)語り手の都合のいい解釈によってなされており、通史としての客観性を持っていないところだ。80年代初頭から散発的に様々な場で「あいつ(もしくはおまえ)はおたく」とカテゴライズされた者はいたが、そしてその中からアニメ・特撮ファン関連でひと括りできるような集団も発生していたのだが、中森明夫が'83年に改めて「おたく」カテゴライズした時点で或る振るい落としが行われたのではないか?もしくはアニメ・特撮ファンの中では中森説は影響力があっても、それ以外の分野では知られておらず何の変化も受けなかったという意味なのではないか?中森説が当時の「おたく」全体に当てはまらないので妥当性が無い、という意味ではない。当時流布していた言い回しで「ネクラ」というのがあったが、「おたく」と「ネクラ」は重なる部分が多いにもかかわらず今「おたく」を語るとき看過されていること、および当時「おたく」が「ネクラ」ほど一般性を持ち得なかったことが、このあたりの浸透の悪さ・語りにくさの証明ではないだろうか(が、もちろん思いつきで書いているので間違っているかもしれない)?言いたいことは'80年代前半、'80年代後半、'90年代前半、'90年代後半(以下微妙に知らないので省略)あたりで「おたく(オタク)」のカテゴリが変化しており、そのへんの通史的総括みたいなことは「オタク第1世代」の義務だか権利だかなんだけれど、唐沢・岡田がへなちょこで困った事態だなぁといった塩梅だということだ。

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つけ足しに動画を貼っておきますが特に本文と関係はないです。
「平成スキマ男」

これはイッセー尾形の演目『ヘイ・タクシー』、同作についての中野翠のエッセイ(『私の青空』だったか?)、カート・ヴォネガットの小説『チャンピオンたちの朝食』ラスト、The Beatlesの『Sun King』(だからそのまたオリジナルのFleetwood Macの『Albatross』と、そのまたオリジナルのOtis Rush『All Your Love』も)、Talking Headsの『Mind』の最後の歌唱、TVアニメ『ムーミン』の高木均ムーミンパパ)の声などに影響された作品。

ヘイ、タクシー―イッセー尾形の都市生活カタログ (ハヤカワ文庫JA)

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私の青空

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