1987年の「OTAKU」/「ディーブイデー」

  • 1987年の「OTAKU」

2010-01-24 - 唐沢俊一検証blogT-岡田さんのコメントに

ニューウェーブ雑誌『TECHII』の読者は狂喜乱舞したものです。

とあった。
ああ、『TECHII』てあったよね。懐かしいな。http://selected.edisc.jp/sparc-techii.htmlTechii - Wikipedia'86年から'88年まで続いた音楽月刊誌で、「ニューウェーヴ雑誌」とか「テクノ系雑誌」とか表現されてるけれど、初心者向け「サウンド&レコーディング・マガジン」の側面も強かったと思う。まあパール兄弟とかフェアチャイルド、PSY・Sなどがよく取り上げられていたから、おおむね「ニューウェーヴ雑誌」かな?
年に4回ソノシート付録がついていた。これは「69コンピレーションズ」と銘打って読者からのデモテープを募り、人気ミュージシャンが選曲した10曲(1曲の長さが69秒という規定がある)を収録したものだった。審査員は、まあだから、細野晴臣サエキけんぞうパール兄弟)、立花ハジメなど豪華な面々が交代して担当し、まあ、それもあって一回に300曲くらい応募があったみたいですよ(うろ覚え)。
資料を参考にすると私は'87年7月号から買ってたようで、この号の付録ソノシート収録曲FMO(ファンキー・マジック・オーケストラ)の「OTAKU」というのをすごくよく覚えている。で、この曲はいま聴くことができるhttp://homepage2.nifty.com/yorozu/(『テクノ道』第6回「愛と哀しみのTECHII」の<「OTAKU("REALBARRICADE"収録)」>をクリック)


1.『オタク論!』<最新版「オタク」の定義>
オタク論!
P.116の岡田斗司夫発言

歴史から辿ると、89年に宮崎事件が起こるまで、世間的には「オタク」という存在はなかったわけです。83年に中森明夫が『漫画ブリッコ』で、コミケにいるような少年たちがお互いを「おたくらさぁ」と呼び合ってるということで「オタク」という言葉が使われ出した。『ブリッコ』などというマイナー誌にそれが載った2ヵ月後位には、誰も「おたくさぁ」とは言わなくなりましたよね。

2.『オタク学入門』<オタク進化論>
オタク学入門 (新潮文庫 (お-71-1))
P.8

「オタク」という言葉を使いはじめたのは、慶応大学幼稚舎出身のおぼっちゃまたち、というのが、オタク業界の一応の定説だ。彼らは熱烈なSFファンで、その中の何人かは「スタジオぬえ」というオタク系アニメ企画会社に就職し、オタク受けナンバーワン・アニメ『超時空要塞マクロス』を作って大ヒットをとばした。
ときに西暦1982年、彼らはまさに全オタク、憧れの存在だった。
その彼らが、SF大会などファンの前でオタクと呼び合っているのだから、他のオタクたちが真似ないはずはない。
(略)いずれにせよ、スタジオぬえのオタクたち・及びその作品『マクロス』がきっかけで「オタク」という呼び方はあっという間にオタクたちの間で広がった。コミケと呼ばれる同人誌即売会にくるような、初心者のファンたちまで「オタク」「オタク」と呼び合うようになった。同時に、自然発生的に「オタク」と呼び合う人々を「あいつら、オタクだから」と十把一絡げに差別する言い方も生まれた。
だから、82年の夏頃にはすでにSFファン同士はお互いを「オタク」と呼ぶのを止めていた。

3.岡田の意に沿うかたちで解釈してみる。
◎<89年に宮崎事件が起こるまで、世間的には「オタク」という存在はなかった>ということと、1987年夏音楽雑誌の付録ソノシートに「OTAKU」なる曲があることは矛盾しない。それは「世間」一般的に考えてマニアックな領域の話であり、一般社会人にとって無視していい「存在しない」ものである。
◎1982年のSF大会で脚光を浴びた「スタジオぬえ」のメンバーのやりとり(およびその作品『マクロス』)に影響され、参加したSFファンたちは「オタク」という言い回しをカッコいいものとして使い出した。が、あまり急速に伝播しすぎて揶揄的な意味に変わって行き、夏には誰も使わなくなってしまった。これはSFファン限定の話。(とは書いてみたものの、82年のSF大会というと8月14、15日のTOKON 8ってやつでしょ?8月の中旬から流行りだして「夏頃には」止めたって、なんか時間的に無理がないか?)
SF大会のから広まった流れは一般に及び、この現象について翌1983年中森明夫が「ブリッコ」にて指摘する。しかしその2ヶ月後位には、一般(非SFファン)の間でも誰も「オタク」とは言わなくなった。

といった流れなのだろうか、岡田斗司夫としては?
マクロス』の話は岡田「オタク」説でよく引用されていて、アニメの登場人物が使用してたから云々という風に説明されてるけれど、『オタク学入門』の文からはむしろ「スタジオぬえ」の慶応大学幼稚舎出身が使っていたのに憧れてって側面が強調されているように感じる。それと、上記『オタク学入門』の続きの

僕自身、大阪の自分の会社では、東京のすかしてばかりで中身の伴わないSFファンたちを「オタクはほんまに」とかいって笑ったりしていた。

とあるのを読むと、岡田自身は「オタク」という二人称をこの当時(そして今に至るまで)使ったことはないのではないかとも感じる。カテゴリとしての「オタク」は作ったけれど、その基となった、相手を「お宅」と呼称する代名詞は使ったことがないのではなかろうか?別に「慶応幼稚舎」やら「スタジオぬえ」やらに関わりなくとも、東京山の手の中流家庭の婦人間で使われていた「お宅」という二人称が、学生・青年層の一部でも「オタク」以前から流用されていた。岡田はそのことを(大阪にいたせいか?)知らないので、自分が見聞きした範囲の上記情報だけで記述したのではないか?

  • 「ディーブイデー」

2ちゃんで紹介されてたので『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』鼎談動画を覗いた(ホスト唐沢俊一岡田斗司夫、ゲスト氷川竜介、ウェイン町山平成極楽オタク談義 第01回 「サンダ対ガイラ」後半 - 動画 Dailymotion。なんで「本物」のマニアの前だとこのホストたち、こんなに神妙に従順になれるのだろう。「大仰な(波しぶきの)始まり」と語る岡田を、ウェイン町山の「オープニングはテルミンですよ」の突っ込みで立つ瀬なくなったということであろうか?DEVOの名前を出したところのオーバーなウケ笑いも不自然だし。
ま、それよりなにより、唐沢俊一のDVDの発音「ディーブイデー」は何とかすべきな気がする。
付記:『TECHII』話と無理やりリンクさせると、DEVOのマークやジェリーは「サディスティック・ミカ・バンド」のファンで、初来日時のインタビュワー高橋ユキヒロが「ドラム叩いてました」というのに大うけしていた(そんな事情でDEVOには、プレゼントされたユキヒロの店のシャツを着たアーチスト写真がある)。

Q: Are We Not Men? We Are Devo

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