『昭和の子供だ俺たちは』

タイトルを一人称に代えると俄然押し付けがましくなった印象
以下は古くさいぞ私の音楽の趣味は。 - 唐沢俊一検証blogでコメントしたもののより詳細な話です
いちおう「第一次オタク世代」=第一次オタクが所属する世代全般、「オタク第一世代」=オタクの中で第一世代にあたる集合という区分けをしております。まぎらわしいですが。
新潮45』2013年1月号の坪内祐三『昭和の子供だ君たちも』第14回「第一次オタク世代が今の日本文化を先導する」前半部の概要はというと、

  • この連載の大きな流れの説明

(時間軸に沿って、昭和1ケタの人たちの微妙な差から話を始め、続いて2ケタの人たちへ。60年安保の話題になったら、そこからはその年に生まれた新人類世代に焦点を当て、次にその前段となるシラケ・モラトリアム世代、さらにそのまた前段の団塊の世代と続き、今回は自分(坪内)もそこに含まれる第一次オタク世代の話をする、といった説明。)

  • 自分はオタクではないという説明。その根拠となる5つの項目の提出

(その5項目(ニューウエイブ少女マンガ、特撮、アニメ、SF、ブリティッシュ・ロック〜特にプログレ・グラムなど)と自分坪内がいかに距離があるかの説明。)
こういった感じで進んでいる。

この連載はタイトルからみても、各世代を時間軸で追っていき昭和の思潮を描き出そうとする、世代論に近いものではないかと思われます。名著『一九七二』のスタイルで世代論を語ったものといえば良いのでしょうか。であるので、この話は「第一次オタク世代」について語られている何かであり、この話で検討されている「オタク性」に第二オタク世代や第三オタク世代らの有しているオタク性といったものは勘定に入っておらず、また平成頃から岡田斗司夫さんらによって再カテゴライズされた「オタク」の文脈とも距離を置いて考えられているように読めます。つまり、これはオタク論ではなく世代論だから、kensyouhanさんの考察にあるような世代論や時間軸を超えた一般的オタクの特性として捉えるのは坪内の論旨からすれば異論があると思う。コメント欄でこれを「オタク論」と捉えているような発言もあるので、岡田斗司夫唐沢俊一のオタク論が一般論を装った自己弁護であるという批判が有ならば、反対に坪内祐三がわざわざ個別の事象として扱ってるものを一般論と取り違えるのも良くないでしょう。

たとえば、kensyouhanさんは坪内の<イーグルスやドゥービーブラザーズの好きなオタクはいないと思う)。>という発言に

決めつけが激しくて笑ってしまった。…いや、そんなこともないんじゃないでしょうか。俺個人としては『ならず者』を聴いてシンミリしたり、“Long Train Running”と“Trampled Under Foot”と『BAD COMMUNICATION』が似ているのが気になったりしている(『ホテル・カリフォルニア』と『星空のディスタンス』のサビも似ているが)。

という突っ込みを入れています。まぁ決めつけが激しいのはそうなんだけれど、これについて私は<坪内は深夜放送を聞かず専らFENのラジオ・ライフだったのと、『ニュー・ミュージック・マガジン』愛読者だったというから、そこらへんの環境によってプログレ(およびブリティッシュ・ロック)を敬遠する素地ができたんじゃないのでしょうか?>コメント欄でこう書きましたが、kensyouhanさんの記述ではイーグルスとドゥービーとツェッペリンとB'sとアルフィーが等価に並んでいます。それはkensyouhanさんら、オタク第二世代以降の考え方として自然なものだと思います。いや、第一次オタク世代でも、再カテゴライズのせいだか歳を取って記憶が再編されたせいだかでそういう感覚になっている人も多いでしょう。
「1958年組」クロニクル - もうれつ先生のもうれつ道場の1978年9月に<小西康陽、夏休み中に髪を切って大胆なイメチェンを図ったつもりで登校すると、ウェストコーストな友人・鈴木智文はニュー・ウェーヴ・バンド「8 1/2」に加入していたり、まわりの女子がみんなハマトラになっていたり>ということが書いてあります。同年はサエキけんぞうが「東京ホームランズ」(「ハルメンズ」の前身となるニュー・ウェーヴ・バンド)を結成し、小嶋さちほミニコミ『ロッキン・ドール』創刊・東京ロッカーズ系女子バンド「ボーイズ・ボーイズ」を結成した年であったことが分かります(そして坪内本人は早稲田の一年生、ミニコミマイルストーン*1に参加し文化祭で人力車を引いて――つまり「後ろ向きで前に進む」を身をもって生きていたわけです)。「58年組クロニクル」作っといて良かったな。つまりこのあたりで自己改革に目覚め、同世代の中の先鋭化した部分がそれ以前の自分を拒絶するくらいの飛躍をみせたということなのだと思います。その辺がウエストコーストから髪を切ってニュー・ウェーヴ・バンドへといった転換になるのだと。
イーグルスやドゥービーブラザーズの好きなオタクはいないと思う)←は、kensyouhanさんのおっしゃるとおりの坪内の「決めつけすぎ」なところ以外に、その後ニュー・ウェーヴや新人類といった所属に到る部分が持っていたサブカル要素――それを坪内は「オタク」と表現していると思われる――への言及が含まれていると見るのが、世代論的アプローチのこの連載を考えると自然に思います(というか私も時代の子なので、そういう主観で読んでしまうということでもあるわけですが。で、坪内はそういった先鋭化した部位にある程度の理解・シンパシーは感じていても、人力車引いてたくらいだから距離感はあったぞ、というのが(イーグルスやドゥービーブラザーズの好きなオタクはいないと思う)という記述ではなかろうかと、図式的わかりやすさでみているわけすが*2)。
それと後半に出てくる『ロック・マガジン』編集長・阿木譲の話もこの話と絡んでいるような気がします。阿木譲の話のネタ元の『日本ロック雑誌クロニクル』著者・篠原章は『(ニュー改め)ミュージック・マガジン』のライターです(連載中、やっぱりNMM編集でライターだった柾木高司を懐かしむ記述も出てきます)。阿木昭和19年生まれというのも、中野翠出久根達郎の感覚の違いを指摘した回(確か連載8回目だったと思う)――中野47年生まれ、出久根44年生まれで、団塊の世代団塊直前の世代との壁についての話〜ちなみに出久根、阿木川本三郎椎名誠が同い年――と繋げる意図があるのでは?いや、ま、そこまで用意周到に坪内が意図して書いてるとも思わないのだけれど、限定的な話をしているからこそ自ずと見えている視野が一般的な捉え方で見えなくなるのは残念かなとは思いました。

では、次に坪内が提出した5項目を検討してみましょう。
1.少女マンガ
三歳年上の姉がいた坪内は小学校の頃、すなわち1970年頃まで『りぼん』『なかよし』『少女フレンド』『マーガレット』といった少女マンガ雑誌に親しむ。しかし中学に入る頃(1971年)にはピタリとやめた。曰く

第一次オタク世代にとっての少女マンガとは私たちが高校に入る頃(私たちの高校入学は昭和49年だ)の少女マンガ、いわゆる“ニューウエイブ少女マンガ”萩尾望都竹宮恵子大島弓子ら「花の24年組」の少女マンガだ(私が一番好きだった少女マンガ家が巴里夫〔男性〕だったりするのとはえらい違いだ)

2.特撮物

これも小学生で卒業した(中略)一番好きだったのはキャプテン・ウルトラという東映感あるれる作品

3.アニメ
坪内の趣味は

「スーパージェッター」や「冒険ガボテン島」や「マッハGOGOGO」といったタツノコ・プロ作品

4.SF
SFについて坪内は一度でも熱狂した経験はないようなので他ジャンルのように坪内個人の趣向性の提出はない
5.ロック(プログレ、グラム、ブリティッシュ
上に書いた通りなのだけれど、補足すれば『ニュー・ミュージック・マガジン』はプログレの紹介がまったくなかったわけじゃなくて、山岸伸一さんという書き手がイタリアン・プログレなどを中心にマニアックな記事を書いていました。PFMとかマウロ・パガーニとかですね。ただ後のワールドミュージック的なアプローチで紹介されていたので、例えばホークウィンドみたいなビート・バンド的ノリで民族音楽的要素のないバンドは「なぜこんなグループのレコードが復刻シリーズに入るのか理解に苦しむ」みたいな辛口批判となってしまうという意味で、プログレ・ファンには評判の悪い雑誌でした(あ、過去形になってしまった)。

少女マンガじゃなけれどマンガについてはこんな発言も…(福田和也との『正義はどこにも売ってない』より)

福田 うーん。でも最近の漫画は絵がうますぎて読めなくなっちゃったな。浦沢直樹とか、かわぐちかいじとか、ああいう絵、ツライんだよねぇ。
坪内 ちゃんとフォローしてるねぇ。オレは山根赤鬼青鬼とか寺田ヒロオまで。
福田 わっっはっははは、それは古いわ!!
坪内 石ノ森章太郎がもう同時代で読めなかったもの、絵が細かすぎて。小池一夫もゼンっぜんダメ。最初の『子連れ狼』の小島剛夕は紙芝居みたいでいいんだけど……でも、『ゴルゴ13』のさいとう・たかをはダメなんだ。たまにラーメン屋に置いてある漫画を開いても、もう全然読み進められなくてさ。ジャック・デリダのほうが早く読めるね。

ジャック・デリダのほうが早く読めるね。」ジャック・デリダのほうが早く読めるね。」ジャック・デリダのほうが早く読めるね。」
……いや、そうですか……。ま、これがそうだってワケじゃ全然ないですが、何か例を挙げるとき「よりによってそういうチョイスですか?」的なものってあるじゃないですか?手近な例を出すと、ジョン・レノンの1曲ってのによりによって「女は世界の奴隷か?」という決してメジャーといえない(というかマイナーな)曲を挙げる私のツイートとかもうれつ先生 on Twitter: "@TakaMiyaza @4manekineko17 ま、さっきの話は、そのジョン・レノンの話を友達としていたときに、彼の細君がつむじをまげたってエピソードなんですけど( ̄▼ ̄|||)。やっぱりジョンといえば「イマジン」ですか^^?「女は世界の奴隷か?」とかじゃなくて" 。で、坪内が「少女マンガ」「特撮」「アニメ」で提出してる例はというと、時間的な制約から解放された今の「オタク」的視点で見るとまた違う感想なんだろうけれど、サブカル志向が生まれる以前のいわば「前近代的」なポップ・カルチャーの中で坪内個人の子供時代は発散され終了したという主張が隠されているのではないか?kensyouhanさんの<(坪内が)俺はオタクじゃないから」と憤っていた>とか<「自分はオタクではない」ということを主張したい>といった解釈とそれがつながるのか分からないけれど(私は坪内が「憤っている」ようにはあんまり思えなかったし)、そういう未知の部分が坪内の記述には確かにありますね。それを「後ろ向きに前に進む」防御と見るのか、文字通り発散しきって忘却してるのか、はたまた世代論は語りたいが肥満児だった自分の個人的過去は振り返りたくないということなのか、それは分かりませんが。
それではお聴きください。ジョン・レノンで「第一次オタク世代はサブカルチャー界の黒人か?」菊地成孔ヴァージョンで(嘘)。

オタクはすでに死んでいる (新潮新書)

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後ろ向きで前へ進む

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日本ロック雑誌クロニクル

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正義はどこにも売ってない-世相放談70選!

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付記:コメント欄、rokugensaiさんの<私もオタクとプログレは親和性が高い印象があります>という発言に何か既視感があったのですが、3年位前の唐沢俊一検証blogコメントで自分が似た発言をして(そしてT−岡田さんにすかさず論破されて)おりました。唐沢俊一検証blog

*1:この雑誌との関わりは「昭和の子供だ君たちも」の別の回で詳しく書かれています。

*2:福田和也との対談ではパンクやニュー・ウェーヴを同時代的に聴いていたと言っているけれど、シド・ヴィシャスも古いロックンロールをちゃんと聴いていた、みたいな温故知新な見解だったりするので、その辺は坪内独特の立ち位置で聴いていたと思われます。