『まとめよう、あつまろう - Togetter』コメント欄での@tonkyo_hanageとの遣り取りの補足

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[コメントの遣り取り]
@tonkyo_hanage

「日本の原子力防災において、住民を迅速且つ円滑に避難させ、余計な被曝をさせないという備えが全くなかった。今もその備えはない。」ことは私も正しいと思います。ただ、結局それを導いたのが、「原発は絶対安全であるべき」という考え方にあった可能性は十分に考慮すべきことと思いますが。


@drsteppenwolf

@tonkyo_hanage そうですね。最初は方便で「原発は絶対安全」と言っていたのですが、繰り返し言っている内に安全神話ができあがり自らも信じてしまったという事は、国も原子力村の方々もお認めになり反省されています。


@tonkyo_hanage

いえ、私が問題にしているのは、「原発は安全でなくてはならない」を原発反対の根拠にしてきたことです。むしろそれが結果として双方の思考停止を招き、議論すらできなくなってしまったのではないでしょうか?私はむしろ原発に反対する言説が未だにそのことを直視しないことこそが問題だと思っていますが。

*1

@discusao

@tonkyo_hanage【原発反対派は 「原発は安全でなくてはならない」を根拠にしてきた】自分の知る限り、反対派は一貫して事故発生を想定して「安全である」とする推進派と対立してきた。申し訳ないけれど、何か歴史認識に欠陥があるように思う。


@tonkyo_hanage

@discusao 貴方のコメントは私の想像していることを見事なまでに支持する内容になっていますね。


@discusao

@tonkyo_hanage それでは<「原発は安全でなくてはならない」を根拠にしてきた反対運動>の具体例を教えてください。反対派は「事故は起こる→過酷事故を想定せよ」、推進派は「原発は安全である→過酷な想定は杞憂である」。普通こういう対立構造と理解され、「原発は安全でなくてはならない」という理解は逸脱した理解かと存じます。


@tonkyo_hanage

@discusao つ>民間事故調査委員会の報告書第3部を執筆された鈴木一人氏の資料→http://rebuildjpn.org/wp/wp-content/uploads/2012/06/b3e57a0b26735e5b6ab55abbbb460630.pdf*2

以下グダグダな遣り取りになってしまったので(私のせいで)、もう一度整理します。


@tonkyo_hanageさんの発言で私が問題にした論旨

原発反対派は「原発は安全でなくてはならない」を根拠にした。
それが推進・反対双方の思考停止を招き、結果として事故に繋がった。
反対派はそのことを直視していない。


反論
原発反対派は「原発は安全でなくてはならない」を根拠にしてきた>
というのは誤りだと思う。自分の知る限り、反対派は一貫して事故発生を想定して反対しており、「安全である」とする推進派と対立してきた。

1.反対派は原発の安全性に信頼を寄せていないので、「原発は安全でなくてはならない」という発想はしない。
原発は安全でなくてはならない」は安全性の確保、すなわち技術的問題がクリアされれば容認するというスタンスであり、そういう主張をする反対派もいるが、容認した段階でその人は肯定派に変わっているわけで、そういうフレキシブルなスタンスを反対派の主体として批評は出来ない。
反対派は名前の通り「原発は安全ではない」から反対していおり、それは「安全でなくてはならない」という理念とは違うだろう。
推進派からすれば、反対派はヒステリックに過酷事故だけを想定して原発廃絶を叫んでいるわけであるから、原発の存続を前提とするような「安全性」を根拠にしているとはとても考えられない。

2.推進・反対の対立構造が事故を招いたとする論者に<反対派にある「原発は安全でなくてはならない」という理念>という批判は存在しない。
鈴木一人にしろ武田徹*3にしろ、推進・反対の対立構造が事故を招いた旨述べている。
その是非はともあれ*4、鈴木は「反対運動に対抗するため原子力ムラが安全神話を強調した」と言い、武田は反対運動の政治的示威効果が稼動側の安全管理スキルに歪みを与えたとした批判である。反対派が安全神話に関与するのはその存在や運動が推進派に影響を与えるといった側面での話であり、反対派の主体的な何か(理念?)が安全神話を補強したということにはなっていない。すなわち、そこには<反対派にある「原発は安全でなくてはならない」理念>といった指摘は存在しない。
武田は原発従業者をも視野に入れた戦略の転換を反対派に求めており、鈴木のほうの提案はどうなのか自分には明瞭ではない。スライドで鈴木は、「安全神話は誰がつくったのか」という問題点を「原発反対運動」「原子力ムラ」「マスメディア」「住民」「国民全体」それぞれに求めている。そして「ゼロリスク・トラップ」として「原子力を受け入れる側は「ゼロリスク」を求める」と受け入れる側が陥る迷妄を批判しているが、それは反対派単体への批判いうよりは「原発反対運動」「原子力ムラ」「マスメディア」「住民」「国民全体」の総体への批判と読まれるべきではないのか(リスコミに絡んでいるだけに)?また、(http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1206/19/news023_3.html)こちらのほうでは推進・反対の対立構造が安全神話を生んだとしているが、<反対派が「原発は事故が起こり得る」と改心>することで打開策が開ける、といった結論にはなっていない。というか、最後のほうで大飯原発再稼動の話になっているけれど、あの時はむしろ反対派が「事故が起こること想定せよ」と言って反対してなかったか?私には「原子力の深層防護」第1層〜5層すべてを問題にしていたようにも見えたが。

*1:あとで私は「誰が「安全神話」主犯かなんてことを私は言っているんではないですよ。」と指導して頂きましたが、ここでの@drsteppenwolfへの発言は主犯探し的なものではないのか?

*2:別の鈴木一人氏の資料民間事故調シンポジウム:なぜ原発の安全神話は生まれたのか (1/3) - ITmedia ビジネスオンライン

*3:http://www.amazon.co.jp/%E7%A7%81%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%AF%E3%81%93%E3%81%86%E3%81%97%E3%81%A6%E3%80%8C%E5%8E%9F%E7%99%BA%E5%A4%A7%E5%9B%BD%E3%80%8D%E3%82%92%E9%81%B8%E3%82%93%E3%81%A0-%E5%A2%97%E8%A3%9C%E7%89%88%E3%80%8C%E6%A0%B8%E3%80%8D%E8%AB%96-%E4%B8%AD%E5%85%AC%E6%96%B0%E6%9B%B8%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%83%AC-%E6%AD%A6%E7%94%B0-%E5%BE%B9/dp/4121503872

*4:誤解があるようですが、「推進・反対の対立構造が事故を招いた」というこ説自体を否定しているわけではなく、「反対派は原発が安全でなくてはならないことを根拠にしている」という発言を問題にしています。