『トラヴェシア』

ミルトン・ナシメントの『トラヴェシア』を知ったのは、同世代のたいがいの人がそうであるようにムーンライダースのアルバム『NOUVELLES VAGUES』でだった。
ヌーベル・バーグ(紙ジャケット仕様)
ここに動画があります(http://www.youtube.com/watch?v=ArS9evZnaYs&feature=related)。橿渕哲郎の日本語詞がいいですね。
このところ、原発の話題になるとよく30年前に双葉町に行ったことを思いだします。目的はもちろん原発で、広い敷地の入り口まで行って写真だけ採って帰ったのですが(そしてその写真を現像すると変なハレーションを起こしていてびっくりしたのですが、まぁ大したことは無かったんでしょう)。
そういったわけで、いろいろ考えるとペシミスティックになるのですが、その治療のようなつもりで『トラヴェシア』を聴いています。
ムーンライダース・ヴァージョンがベストならいいのですが、さすがに粗が目立つので、日本語詞にこだわるのならかもめ児童合唱団ヴァージョンかしら?(http://www.youtube.com/watch?v=UaA9atJM4i4
あとは小野リサエリス・レジーナビョークといった「歌姫」のヴァージョンがありそれぞれ味わいがあるのですが、作者ミルトン・ナシメントのパフォーマンス(ミナス音楽の盟友ヴァグネル・チソのプログレッシヴなオルガン&ピアノとのデュオ)が楽曲に最も合っていると思う(http://www.youtube.com/watch?v=pAaYJqceSag&feature=fvst)。でもミルトン・ナシメントは天才だから高眼手低なところがあって、早い話歌そのものはいまいち(スミマセン)。
だから自分としてはシタンズイーニョ&ショロローのライヴを使っています。Citaozinho y Xororóはセルタネージャ(ブラジル北東部の“カントリー・ミュージック”)のポップな兄弟デュオ。

ジョン・メレンキャンプを髣髴させる田舎面とウェスタン・シャツにいちいちドヤ顔の弟シタンズイーニョ、いっぽう襟足は長いけれど存在は控えめな兄ショロローの対比にチャゲ&飛鳥ぴんから兄弟を連想してしまう。あ、シタンズイーニョは藤井フミヤ路線かな?チェッカーズよりずっと前からの人だけど(そして悪口で申し訳ないけれど、フミヤや飛鳥より歌唱力は数段上だけど)。歌の一番高いフレーズのとこを気持ちよさそうに歌い上げているところ、そこにショロローのハーモニーが絡んでミナスの楽曲にセルタネージャ風味が混ざって他のアーチストらから一歩抜きんでている。
このヴァージョンを流しながら頭の中で橿渕哲郎の日本語詞をたどり、「コルコバード」を「双葉町」に、「嵐が残した」云々は「津波が残した瓦礫のかけら」云々と変換して、どこかネガティヴになりがちなここ最近を過ごしています。