岡田斗司夫のとなえる「階級」「階層」「文化」の問題点
Linton Kwesi Johnson『Wat About Di Working Claas?』
引き続き『『世界征服」可能か?』で遊ぼうシリーズ。
同書P.163再引用
身分の格差を階級と言い、経済の格差を階層と言います。
現在の日本には「階層」は存在しますが、「階級」は存在しません。
経済格差は存在しても、身分の差は存在しないのです。
『ドイツ社会史』矢野久/アンゼルム・ファウスト編 第11章<階級社会から大衆社会へ>
「階級」とは、生産手段の所有・非所有にもとづいて、市場における地位と利害の共通性を基盤とする社会集団である。近代階級社会は、資本家階級と労働者階級という二大階級を軸に、農民、手工業者、商人、など「旧中間層」を有し、各階級・階層の利害を基礎に構造化されている。これに対して「大衆」とは、旧来の共同体的社会や、さらに階層的な中間的結合関係から解き放たれた、相互に疎遠な諸個人、無定型でカオス的な無関係性を特徴とする、アトム化した大量の人間群である。したがって、大衆が政治や社会に規定的な影響を持つ大衆社会は、明確なヒエラルキーや構造性を欠く社会といえよう。この大衆とよばれる存在が問題となるのは、政治的にみれば、普通選挙権を通じて勤労大衆の利害や動向が大きくものをいうようになる大衆民主主義段階においてである。
岡田サンが引用文で言いたかったことは上記『ドイツ社会史』引用のようなことなんであろうと思う。あと、マル経は前世紀の遺物だとかも言いたかったのかも。とはいえ『「世界征服」は可能か?』を読んでいると、岡田サンは「中間層」という存在を考慮してないようなので、話がかなりへんてこなことになっている。
岡田サンの説明する「階級社会」では階級間には文化の壁があるということになっている。
別の階級の文化というのは理解できないし、したくもない。そのようにお互いを考えて、断絶していることを当たり前と考えている状態、これが階級です。
そして、現在の日本にはこういう文化の壁というものが見当たらないので、評論家が「格差が拡がる日本は新たな階級社会に変貌している」と警告しているのは当たらない、日本は階層社会だと述べています。
いま日本には「所得の階層」というのがあります。日本がどんどん階級社会になっていると言う人がいますが、大間違いです。日本は階層社会になりつつあるけれども、階級社会にはなれません。
つまり林信吾や橋本健二は大間違いだと言っているわけです。いや、別におふたりを批判することじたいは特に何も意見は無いのですが。
で、続いて日本が階級文化であるはずが無いことの証明となります。
もし階級文化があるとしたら、上流階級の人は上流階級の人しか理解できないことをやらないとダメです。たとえば、歌舞伎。歌舞伎というのは上流階級の人が観て、あんな面白くないものを延々と観て「素敵」と本気でいわなければいけない。
テレビでバラエティを見て笑ってはいけない。だってテレビの娯楽は労働者階級のものだから。ビールが安くても意地でもパブに入らないのと同じように(引用者注:前文のイギリスの「パブ」「サルーン」の例を指す。)、上流階級の人は意地でもバラエティを見ちゃダメ。私らのような労働者階級は意地でも歌舞伎を見ちゃダメだし、オペラを観ちゃダメ。これが階級社会の考え方です。
でも日本人は全然そんな考え方をしません。歌舞伎に行くか、オペラに行くか、それは単なる「趣味」の問題です。
岡田サンの例に合わせてイギリスの話をすると、18世紀までの劇場では上流階級も町人・職人も同じ芝居を楽しんだそうだし、近年になっても王室は伝統的にミドルクラス(中間階級)のサヴォイ・オペラやロイド・ウェバーのミュージカルを好んでいるそうなんだけれど……*1。そういう個別の話は置いといて……。
竹内洋『教養主義の没落』で図版として引用されている『文芸春秋』1958年5月号「知的階級闘争は始まった」は、「ハイ・ブロウ」「上級ミドル・ブロウ」「下級ミドル・ブロウ」「ロウ・ブロウ」という文春が考えた知的ヒエラルキーの各ライフ・スタイルを様々なジャンルにあてて分類したもの。いくつか抜粋すると、
洋服:ハイ・ブロウ = 英国生地注文服
上級ミドル・ブロウ= 国産高級注文服
下級ミドル・ブロウ= イージー・オーダー
ロウ・ブロウ = ツルシ(吊るし)
酒 :ハイ・ブロウ = コニャック・ワイン
上級ミドル・ブロウ= カクテル・一級酒
下級ミドル・ブロウ= ビール・二級酒
ロウ・ブロウ = 焼酎
読書:ハイ・ブロウ = 原書
上級ミドル・ブロウ= 推理小説・実存小説
下級ミドル・ブロウ= 世界文学全集
ロウ・ブロウ = 大衆小説
映画:ハイ・ブロウ = 見ない
上級ミドル・ブロウ= 外国文芸映画
下級ミドル・ブロウ= 西部劇・メロドラマ
ロウ・ブロウ = チャンバラ・母物
舞台:ハイ・ブロウ = 室内楽・舶来バレー
上級ミドル・ブロウ= 新劇・シャンソン
下級ミドル・ブロウ= ジャズ・ミュージカル
ロウ・ブロウ = 浪花節・ロカビリー
と、こんな区分けがなされている。
もちろんこれは分かりやすくプレゼンテーションしているぶん粗雑な区分けだ。要するに「階級ごとに独自の文化様式がある」ということ。言っていることは岡田サンと同じだ。そしてこれは「階級闘争」というかたちを取っているので、「闘争」の末に勝者はひとつ上のステージに昇る―要するに「出世」して上の「階級」に成り上がれることが前提となっている。だから、< 別の階級の文化というのは理解できないし、したくもない。そのようにお互いを考えて、断絶していることを当たり前と考えている状態、これが階級です。>といった固定的な関係性は階級間にはない。それは岡田サンが、<身分の格差を階級と言い、経済の格差を階層と言います>と説明して、「閉鎖的階級としての身分」と「開放的階級としての近代階級」を一緒くたにして語っているところから間違いがはじまっている。
「成り上がり」は「成り上がる」ことで下位階級が上位階級の文化様式を利得することだが、当然「成り上がり」体勢の下位階級はその段階で上位階級志向になっているわけで、「成り上がり」体勢の下位階級層は層として既に上位と下位の「中間層」としてステップ・アップしている。これが、素朴なアッパー・クラス、ロウアー・クラスの二項対立にミドル・クラスが生じた近代化、ってことはまぁ、基本中の基本言わずもがななのだが、岡田さんがヘンなこと言ってるからしょうがなく書くしかありません。
反対に上位階級が下位を理解する「成り下がり」のほうは、これは文春も「階級」と「美的ステイタス」を混同していてそこが「粗雑」な所以なのだけれど、「ハイ・ブロウ」「ロウ・ブロウ」とあって、それが決して社会階層の区分けとは合致しないという点だ。
ピーター・ファン=デル=マーヴェ『ポピュラー音楽の基礎理論』P.25〜6
上流階層の好みはハイブラウであるのと同じくらいにロウブラウでもあり得た。特にイングランドではそうだった。一方、社会の対極にいる低い階層の音楽は、中産階層の音楽と同じ基本型の場合にだけロウブラウと見なされた。ミュージックホールの歌はロウブラウだが、田舎の民俗音楽はロウブラウではなかった。たとえミュージックホールの常連客より農業労働者の方が貧しくても、である。理由のひとつとして田舎の貧乏人がロマンティックに美化されたということもあるが、もっと根本的な理由は、田舎の民俗音楽が都市文化の主流の外にハミ出していたことにあった。イングランド南部でスコットランド訛りが社会階層の枠外と見なされるように、田舎の民俗音楽も美学的に「無階層」だったのである。
さらに『ポピュラー音楽の基礎理論』を参照すれば、「階級ごとに独自の文化形式」はあるけれど、階層を越えた共通のシステムもまた存在するという側面もある。
階層を越えて均質的な基本様式が存在したのである。イートン校のボート・ソングとミュージックホールでの人気曲「おお、ミスター・ポーター」は、社会的には別の世界に属していながら、同じ音楽言語を用いている。
ええと、Marie Lloydの『Oh!Mr.Porter』は見つからないけれど『When I Take My Morning Promenade』が『Eton Boating Song』に雰囲気的に近いかな……
と、こういったところで岡田サンの「階級」「階層」そして「文化」についての問題点をまとめると、
(1)「階級」を「身分」と混同させて、閉鎖的で不変的なものとして語ってしまっている。
(2)岡田の本全般に言えることでもあり、一般的にも誤解されがちなのだが、社会階層の区分と「ハイ・ブロウ」「ロウ・ブロウ」といった美学的ステイタスは違う。
(3)階級を越えた共通のシステムが存在し(もちろん無いケースもあるが)、岡田が解説したような孤絶した文化対立はない。
この三点が『「世界征服」は可能か?』の「文化」「社会」面での基礎批判となります。批判はしても、ここまで馬鹿正直に考えてそれなりに得た見解でもあり、それはそれで楽しませてもらいました。内容のしょうもなさに語る気にもならない『フロン』よりは良いのではないでしょうか(目くそ鼻くそともいえるが)。
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