*[検証]岡田斗司夫の主張する「ネットの弊害」

 『「世界征服」は可能か?』で遊ぼうシリーズ[検証]岡田・唐沢・中谷・秋元、みなさんは何の括りですか? - もうれつ先生のもうれつ道場からのつづき。



 ここでは、岡田斗司夫が考える現代日本=「情報社会」の問題点のひとつとして「ネットの弊害」が挙げられています。

 ネット社会というのは、何が正しいかよくわからない。正しいことを考えるという習性をなくしてしまう。「考えるのではなくて、ググればいいや」「考えるのではなくて、ネットでみんなが何を言っているか、だいたい見ればいいや」とつい思ってしまう。自由経済は貧富の差をどんどん大きくしていって、ネット社会は個人から考える力を奪ってしまいます。

 この回(*[検証]どうでもいい濃いオタク - もうれつ先生のもうれつ道場)のことを頭に浮かべないでもない。「どうでもいいこと」さんも岡田サンもネットに代表される大衆社会のメディアの信頼性にたいへん懐疑的だ。「どうでもいいこと」さんの場合なら<仲間内およびその仲間の所属する集団の話>を、岡田サンなら<身近な「目上の人」つまり親や先生や上司の言うこと>のほうにこそ確実な信頼性があり、マスメディアのようなブラックボックスの部分が多い情報網への妄信が、現代社会の知的生活上多大な弊害を与えているというわけです。
 おふたりがよって立つところの「地に足が着いた?」情報網は、マスメディア一般についてのこのありきたりな批判があったところで、特別信頼性が証明されるものではありません。もちろん、ネット依存の人の中には「考えるという習性をなくし」た人も多いんでしょうが、それはメディアの原因というより個人の資質に帰する問題でしょう。
 たまたま今チュニジアの政変がホットな話題となっていますが、<国を代表する花から「ジャスミン革命」と呼ばれる政変は、大衆がネット空間で情報交換しながら独裁政権を倒した前代未聞の事態(中略)政権を倒した一連のデモでは、ネット上の会員制交流サイト「フェースブック」が活用された。十九日付の地元紙「コティディアン」も「フェースブックが武器だった」と論評した*1>なんて報道されています。岡田式「世界征服」理論をこの事例に当てはめると、
チュニジアは宗教の強い国柄であり、日本のような「革命が終了してしまった世界*2」「情報社会」「大衆社会」ではないので、ネットの弊害という問題は未だ発生しない>と解釈するか、
<革命気分に浮き足立って、せっかくの社会変革が<気分>先行のお祭りブームに堕落する>といった説教調になるんだろうが……。
尖閣列島ビデオ流出事件のときは<ネットの匿名性というものは幻想だった><グーグルもユーチューブも2ちゃんねるも、僕たちを守ってはくれない>http://otaking-ex.jp/wp/?p=11436)と発言されているので、あんまりそう一貫性を求めてもいけないのか……(だとしたら、そもそも評論家としてどうなのよ?という問題になるわけだけれど)。


『ハビーバ・マスィーカ(戦前のチュニジアの唄姫のひとり)へのオマージュ』

「世界征服」は可能か? (ちくまプリマー新書)

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