<オタク第1世代の「悪癖」>のようなもの

こんな一文がある。

私たち、一九六〇年前後に生まれた「第一次オタク世代」は、総合雑誌としての少年週刊誌に出会い、しかも、ものごころつくころにその黄金時代を迎えた幸福な世代であるといえる。私たちの世代の文筆家や「論客」たちが皆、私の個人的な好き嫌いはともかく、それ以後の世代に比べて、遥かに雑学的知識や教養に恵まれているのも、すべては、子供時代にむさぼり読んだ(であろう)少年週刊誌のおかげだ。強い勉学意識を持たずとも、いつの間にか、体の中に、その種の知識や教養がすり込まれていたのだ。

ご本人の「博覧強記」度は別にして、世代とか一般論で言い切ってしまうのは粗雑な断定だろう。「オタク第1世代」でも雑学知識や教養に乏しい者も多いし、それ以後の世代で「第1世代」の物知りよりディープなオタクはいる。それらを差し引きしてイーブン、しかも上記のような優越意識がベースとなっている「第1世代」は、固有に持っているデータを再検討しない傾向があるので、精度的には「第1世代以降」のほうが正確な知識を有している場合が多いのではないか?'60〜'70年代のリアルタイムに摂取した情報について詳しい(人がいる)のは認めるが、反対に言えばその「黄金時代」を外れたデータに関して相対的に弱いことを意味する。「第1世代」は自分の知っている領域の範囲を弁えておく必要があるのではなかろうか?

            ×                 ×

少年マガジンの黄金時代 ~特集・記事と大伴昌司の世界~

少年マガジンの黄金時代 ~特集・記事と大伴昌司の世界~

『オタクはすでに死んでいる』への助走(9)このあたりでも話題にした週刊少年マガジンの表紙の件。[『週刊少年マガジン』五〇年 漫画表紙コレクション]が、同じ「黄金時代の週刊少年マガジン」でも「漫画表紙」にスポットを当てた企画なのに対し、こちらはグラビア・ページや連載記事、特集など雑学的教養とその代表的スタッフ大伴昌司から「黄金時代」をふり返った新書。「週刊少年マガジン」 五〇年 漫画表紙コレクション
内容的には、例えば'89年に出たムック『復刻「少年マガジン」カラー大図鑑―ヴィジュアルの魔術師 大伴昌司の世界』などとほぼ同一。雑誌サイズの『復刻「少年マガジン」カラー大図鑑』のほうが、当代人気DJ特集グラビアの「ミミズク君起きてるかい?」などは若き亀渕昭信(歌手の妹亀渕友香と自宅で踊っている)や少年のようなみのもんたが確認出来る。
少年マガジンの黄金時代』は2部構成で、第1部<知識と情報の源泉〜特集・記事の変遷〜>、第2部<ビジュアル革命児の出現〜大伴昌司の仕事〜>となっており、各部の終わりに唐沢俊一の解説文がついている。1部解説タイトルは<時代々々の“時代”>、2部解説は<“大伴昌司”というメディア>。
第2部解説<“大伴昌司”というメディア>はマーシャル・マクルーハンの「メディア・イズ・マッサージ」の話から始まって、マガジンの名スタッフだった大伴昌司の発する情報および大伴自身がメッセージ性を持ったメディアの典型であると結論する話。う〜ん…、『マーシャル・マクルーハン広告代理店。ディスクガイド200枚。小西康陽。』という本もあるけれど、小西康陽、同郷だからといってポップス界の唐沢俊一に向かう義理はないですよ。メディア・イズ・ザ・マッサージマーシャル・マクルーハン広告代理店。ディスクガイド200枚。小西康陽。
第1部解説<“時代々々”の時代>はタイトルが分かりにくい。
<“時代々々”の時代>の「時代」というのは、唐沢俊一がものごころつく頃経験した「少年マガジンの黄金時代」と、その黄金時代特に'60年代の紙面に特徴的な、肯定的なイメージで描写された「未来」という時代との2点を指すと思われる。
唐沢俊一は、この機会にあらためて「黄金時代の少年マガジン」を読み直したらしい。東文研から発行された『人生で大切なこと(でもないこと)はすべて少年マガジンで学んだ』や『少年マガジン読物記事傑作選2〜少年マガジンは僕らに夢と希望(とかなりのトラウマ)を与えてくれた〜』などは、この読み直しの産物のようだ。この時唐沢は、'60年代の記事は<ベトナム戦争を扱った記事や、難病などつらい運命と闘う子供の実話といった、重い内容の読物がかなりの割合で掲載されていた>(赤字は唐沢文引用。以下同)のに気づいたが、本人は<まったく記憶に残って>なかったという。<60年代、まだ少年マガジンが“子供雑誌”という意識を強く持っていた時代は>未来が肯定的に描かれており、重くて悲惨なドキュメンタリーより魅力的だった。'70年代に入ると、<めだって“現在”を切り取ったものが多くなっていく。(中略)60年代には暗く重いものであった“現在”が、70年代の子供たちには、はやくオトナになってそこに参画したい、楽しくて軽やかなものに変化していったことがうかがえる。この70年代前半が、少年マガジンが最も“現代”と足並みをそろえていた時代といえるだろう。(中略)しかし、やがてこの蜜月時代にも終わりがやってくる。(中略)よりフィクショナル性の強い記事が好まれるようになり(中略)いわゆるトンデモ系の特集が少年マガジンの人気記事になってくるのは70年代半ば以降である。(中略)あとに残された時間は、“過去”しかない。伝説や古代遺跡、飛行機や船の発達の歴史、といった特集が70年代後半には目立っていく。『少年マガジン』が日本の子供雑誌の代名詞になり得たのは、徹底して、子供たちの周囲を取り巻く“時代”にこだわっていたからだろう。しかし、その“時代”が、常にそのときのリアルな時代であったと考えると間違いを犯す。子供たちの目が向いている時代の方向は、その時期その時期の状況によって大きく変化していくのだ。(大人向けのものを含めた)あらゆる雑誌の中でそこに最も鋭く注目し、“未来”のイメージの変化をとらえたのが少年マガジンだった。>と結論する。

この論旨については、
(1)とりあえず「フイクショナル性」という言い回しが、妙に落ち着かない。
(2)60年代=未来志向、70年代=トンデモ嗜好というのは、大雑把にはそうとも言えるけれど、60年代の「未来志向な特集」の内容がトンデモと無縁なマジメなものというワケでもない。その時その時のトレンドがSFだったりオカルトだったりするだけで、基本的に同質の内容なのではないか?
(3)言うまでもないが、唐沢俊一のこの解説は、「黄金時代」経験者の特権意識ばかり目立ちすぎて、とうてい客観性を持った視点を獲得しているとは言いがたい。比較となる他の少年雑誌、あるいは大衆娯楽雑誌への目配りなど、坪内祐三などが通常のこととしている基本を踏まえてほしいものである。というかこの解説、坪内がやったほうがよかったのでは?
といったツッコミを入れたくなります。

私の体を通り過ぎていった雑誌たち (新潮文庫)

私の体を通り過ぎていった雑誌たち (新潮文庫)

『平凡』の時代―1950年代の大衆娯楽雑誌と若者たち

『平凡』の時代―1950年代の大衆娯楽雑誌と若者たち

ところで、冒頭の青文字引用文は唐沢俊一のものでなく、この坪内祐三『私の体を通り過ぎていった雑誌たち』の<あの頃の『少年マガジン』は素晴らしい“総合雑誌”だった>からの引用だ。おおジーザス、君も<「黄金時代」経験者の特権意識>を振りかざすのか?というワケで、だから今回のタイトルが「<オタク第1世代の「悪癖」>のようなもの」なのでした。
ま、坪内は自分はオタクではないと言っている。このコラムでいうと<よたろうくん、よたろうくん、私は『よたろうくん』がとても懐かしい。>と書く心情や、別の本でも石ノ森章太郎のタッチが新しすぎてついていけなかった旨述懐する裏には、オタクとの距離を取ろうとする意図があるようにも感じてしまう。おそらく唐沢俊一岡田斗司夫に嫌悪感を持っている。いや、好きな批評家っていないだろうけれど、積極的な意味で嫌悪感があるのだろう。

正義はどこにも売ってない-世相放談70選!

正義はどこにも売ってない-世相放談70選!

<vol.23 [世の中の役に立つ」とか「目的を持つ」って、つまんないよね>。ここで坪内は岡田斗司夫と彼に代表されるオタクの向上心の無さを指摘している。どうやら岡田斗司夫は「毎日新聞」のインタビューで、田中角栄が訪中時に「北京空晴」という漢詩を読んだのを<昔の人は教養があった>事例として紹介しているらしい。これを坪内は、当時今東光柴田錬三郎も批判した有名なエピソードで、「北京に来て空しい」という意味になってしまう無教養の実例なのに云々とクサしている。ちなみに福田和也はこのとき、積極的な同意は控えているように感じられる。

坪内  ちょっと前の「毎日新聞」の夕刊で、オタキング岡田斗司夫さん(オタクの教祖)が、最近の「検定ブーム」について一種の「教養回帰」というか「教養への憧れ」というインタビューに答えていて、……そこまではいいわけ。なんだけど、昔の人は教養があったという例として田中角栄を引き合いに出して、「中国に行った時、角栄が自分の気持ちを漢詩にして詠んだ」と。
福田  恐ろしい話だ。
坪内  恐ろしい話でしょ。だって角栄が北京の青空を詠んだつもりのあの漢詩―「北京空晴」は、中国語で「北京空しく晴れて」としか読めないわけ。つまり「北京に来て空しいぜ」って意味になるというんで、「無教養は怖い」という実例として、今東光柴田錬三郎が当時、散々批判したことでしょ。オレは当時、無知な高校生だったけど、『週刊プレイボーイ』の今東光の『毒舌人生相談』でそれを読んで、へえ〜、そうなんだと。
福田  うぬん。

これや、「大塚英志的なオタク主義」の罪深さとして、「アニメ」と「ジョイスやイエーツみたいな古典」が等価となったという批判から判断するに、おそらく坪内祐三は「オタク」とは反教養的な存在なのだと認識しているのだろう。サブカルチャーの領域も、教養大系を持ち得るものであるにもかかわらず、「オタク」的怠惰がそれを邪魔しているということであるらしい。

例えばジョイスを読めば、アイルランド出身の「U2」に興味を持ったり、「ダブリン」という実在の町に興味が広がっていくよね。単に小説の世界だけじゃなくて。(中略)ジョイスを読んだことで、U2ウォーターボーイズもポーグスも、聞こえ方が全然ちがってきたりするよ。

ということらしいです。The Best of 1980-1990ユリシーズ〈1〉 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)ケルトの薄明 (ちくま文庫)福田和也も、手塚治虫の作品にシェークスピアドストエフスキーが反映されていたり、「ガンダム」はハイラインの『宇宙の戦士』(および『月は無慈悲な夜の女王』)がモチーフであり、ハイラインの思想および『宇宙の戦士』を遡るとプラトンの『国家論』につきあたる、と同意している(提示する作品が福田らしい)。宇宙の戦士 (ハヤカワ文庫 SF (230))月は無慈悲な夜の女王 (ハヤカワ文庫 SF 1748)
でもまあ、この坪内・福田の「オタク」批判は、岡田・唐沢のする、「オタク第1世代」からみた「オタク第3世代」以降の層への批判に酷似しており、坪内・福田の見識としては納得しないではないけれど、「それはお二人の教養に対する素朴な信仰ではないのか?」という疑問も残る。揚げ足取りかもしれないが。それはジョイスを読んでもU2がちがって聞こえない、私のオタク的怠惰さのせいかもしれない。先頃アラン・シリトーが亡くなったときに、「まね」(『ノッティンガム物語』所収)という短編を思い出し、主人公の心情に唐沢俊一をダブらせてみたりはしたが、こういうのも教養的思考活動なのだろうか?

ノッティンガム物語 (1979年) (集英社文庫)

ノッティンガム物語 (1979年) (集英社文庫)

大塚英志に対する批評もこういう付けたしみたいなところでするのは姑息な牽制に過ぎない、と『思想地図特集・日本』の伊藤剛のところを読んでみて感じました。
NHKブックス別巻 思想地図 vol.1 特集・日本

NHKブックス別巻 思想地図 vol.1 特集・日本

福田和也坪内祐三岡田斗司夫唐沢俊一になぞらえられるなら、リリー・フランキーのポジションはあの人になるのか……、と想像たくましくする。オタクアミーゴスならぬエンタクアミーゴスとか……。ま、福田・坪内にとっては失礼千万な比較なので、そうならぬことを希望します。[rakuten:book:13183679:detail]
毒舌 身の上相談 (集英社文庫)

毒舌 身の上相談 (集英社文庫)

              ×                  ×
おまけ
kensyouhan氏は<…個人的には、『なぜわれわれは怪獣に官能を感じるのか』に収録された2つの文章(3月10日の記事を参照)は、唐沢俊一の数ある文章の中でもワーストに近いものだと思う。>とのこと。もうひとつの『ヌイグルメン!』? - 唐沢俊一検証blog尤もな感想だけれど、私は応用編の『SMと怪獣、異形と神力―またはゴムが果たした役割について』は取っ掛かりが全く無いので、ベスト・ワースト以前に関心外。むしろ実相寺監督のインタビュー(勿論聞き手は唐沢俊一)のほうが不快であった。基礎編の『暗喩文化としての怪獣・特撮』は正真正銘のワーストだと思うけれど、私はこれを読んで現代詩の詩人と同姓同名の歌手、「うちのアンギラス」の青木はるみを知った。
ゴジラ・ボーカルコレクション

ゴジラ・ボーカルコレクション

青木はるみ詩集 (現代詩文庫)

青木はるみ詩集 (現代詩文庫)

'54年デビューのビクターの歌手でしたか昭和初期の映画主題歌あれこれ:昭和29年(その11)。「野球けん」というとこの人、みたいですね。

「や〜きゅううう〜、すぅ〜るなら〜」のモーダルなメロディにつけた和声の気色悪さ、聴き慣れたバージョンより尺が倍になっていても構造上破綻が感じられない、といったところがブルースやファンクに近いということなんでしょうかねえ……。