『オタクはすでに死んでいる』への助走(10)

2010-01-22 - もうれつ先生のもうれつ道場の拾遺みたいな話。
オタク論!

切通理作氏が『オタク論!』の感想を書いているのを見つけた。
『オタク論!』 - 「映画の友よ」ナビ
「納得したところ。なるほどと思ったところ。」「自分も思っていたこと」「あれ?と思ったところ」を箇条書きしている。この「あれ?と思ったところ」のひとつに

 ○南沙織で漫画の消費のされ方が変わった→自分は「アグネスラム」かと思っていた。

というのがあった。
これはもちろん『オタク論!』の岡田斗司夫発言、

70年代後半に南沙織という美少女アイドルが『少年マガジン』の表紙になったとき、明らかにマンガの消費のされ方が変わった。

を受けての話で、切通氏は「現象としての南沙織」「状況論としての南沙織」の意味として了解しているようだ。そして『オタク論!』の岡田発言だけで判断する限り、通常は切通氏のような捉えかたをするだろう。だが前回書いたように、岡田の示す「『少年マガジン』の南沙織」は'72年52号の篠山紀信起用アイドル路線の始まりという具体性をともなったものだった(しかもそれはデータとして基本的に間違っていた)。よけいなことを言えば、篠山紀信アイドル路線に「アグネス・チャン」はいても「ラム」は確認できない。
いや、切通氏は別に『少年マガジン』にこだわらず、「美少女アイドル」という文脈で「アグネスラム」を挙げたのかもしれない。それもまったくその通りで、そもそも当時南沙織が「美少女アイドル」という路線で受けていたとも考えにくい。それに近いものは切通氏の言う「アグネスラム」とか(時制を'72年頃に揃えると)「松尾ジーナ」とか「栗田ひろみ」になるのだろう。
そして、切通氏の感想ののち岡田は『オタクはすでに死んでいる』を著し、「『少年マガジン』の南沙織」が具体性を持って再度語られた。これはまあ、「だからたぶん岡田斗司夫南沙織が好きだったんだろうなぁ、当時」ということなのかもしれない。篠山紀信アイドル路線第一弾48号の「栗田ひろみ」+(たす)アランドロン<(より)「南沙織」、だったのかもしれない。

こういう穿った見方を進めると、「美少女アイドル」だの「美少女主義の台頭」だのってのもササキバラ ゴウの本の受け売りなのではと邪推する次第です。

「美少女」の現代史 (講談社現代新書)

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