]『オタクはすでに死んでいる』への助走(8)

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ある意味ニュースの天才。 - 唐沢俊一検証blog

なお、当ブログでは『オタクはすでに死んでいる』の検証を必ずやるつもりだが、どういうわけか知らず知らずのうちに岡田斗司夫の本が手元に集まってきてしまっているので、いずれ岡田斗司夫の検証を本格的にやる可能性が少しだけある。それがいつになるのかはわからないけれど。

お任せしました、期待しております。
ということで、年末の忙しさや飽きっぽい性分が災いし、この際岡田斗司夫唐沢俊一なんかのことなどどうでもいいか、と平和で微温的な生活を送っております。いや、おりました、かな?
昨日ひょんなところでこの問題に再会したので、そのことを書き留めておきます。

千野帽子の考案した「新・教養」主義
千野帽子『文藝ガーリッシュ 素敵な本に選ばれたくて。』2006年文藝ガーリッシュ 素敵な本に選ばれたくて。
この本を読んでいたら、以下の文章がありました。
コラム「文藝少女の手帖3 武田百合子」(P.60〜)

教養主義と言う美しい(?)伝統は、俗物な大人たちにたいして、倫理や美意識をかかげて反抗する若者たちによって担われていました。それはまた、自分たちが(旧制)高等学校の学生=エリート男子であるという意識に裏打ちされたものでもありました。
反抗と選良意識との不可思議なアマルガムは、大学が大衆化した戦後社会にも細々とではありますが継承されていきます。そしていわゆる団塊の世代の学園紛争とともに、この「旧・教養」の時代は幕を下ろします。
それでも、みずからの嗜好を「教養」として積上げていくことを快とする種族は生き残りました。「旧・教養」崩壊後の若者は、一九七〇年代には植草甚一澁澤龍彦寺山修司渋谷陽一、八〇年代には蓮實重彦柄谷行人北上次郎といった人たちを無理やり「先生」に祭上げて、文化の「教養」を積上げていこうとしました。そんな彼らも九〇年代には先生を失ってしまうのですが(大森望岡田斗司夫唐沢俊一日下三蔵が最後の「先生」たち?)。
だから、、一九七〇年代にロックが市民権を獲得し、エンタテインメント小説が「文壇」化・「主流」化していった背景には、大正教養主義全共闘が持っていた反抗の身振りが残存していました。実態は「旧・教養」の残骸を「新・教養」で鞭打っていただけなのだけれど。
かつて、オタクは博覧強記の「精神の貴族」でした。もちろんいまでは、教養・知識がなくとも、二次元キャラに萌えることができればオタクを名乗れる風潮があります。そういう偏差値の低いオタクの蔑称として「ヌルオタ」という語があり、防衛的にとりあえずこれを自称してしまう人もいる。
ここにあるのは、特定ジャンル内の情報を網羅し、その量をもって教養となすという発想です。守備範囲を先に決めておき、そのなかに位置するアイテムひとつひとつ、すべてチェックしていくことが理想とされます。
既存の秩序に反抗するためにすら、秩序だった教養を積上げていくことをやめられない。そしてその体系の根拠やイデアをなるべく疑わないようにする。疑ったが最後、自分の輪郭が壊れてしまう危険があるから。
「哲学」「アート」「ロック」「ミステリ」「SF」、なんでもいいのですが、教養派は歴史的連続性と体系性がある(ように見える)ものが大好きです。そのジャンルの本質、イデアというか理念型のようなものを心に抱く、永遠の少年たちとでもいいましょうか。なにより大事なのは、ロックと非ロック、ミステリと非ミステリの区別をすること。世界を「こっち側」と「あっち側」に分けて、「こっち側」にひとつの理想郷を建設すること。「あっち側」に共通の敵を持つこと。
だからむかしから、一人称複数の「ぼくたち」がとっても大事です。同じ太平洋戦争や学園紛争や「一年戦争」を体験したとか、少年期にビートルズポプラ社の少年探偵団や『エヴァンゲリオン』でトラウマを負ったとか、そういう共通体験をもとに「ぼくたち」の輪郭が決まる。あとは腹芸。

ながながと引用したけれど、指摘されている事柄は伊藤剛の批評する「共同体」についての概要とほぼ重なるとみられる。要するに、昭和35年前後に生まれたオタク第一世代の性質が何に由来するのか、またそれがどういう問題をもたらしてきたのか、ということである。「シニカル理性」を基にした「ニヒリスト共同体」の来し方行く末ということである。詳しくは2009-10-16 - もうれつ先生のもうれつ道場KARUTO-カルト-。 - 唐沢俊一検証blogを参考にしてください。
だから千野帽子のコラムもそういった世代・集団を批判的に分析しているということは了解できるのだけれど、色を塗った部分は気になってしまった。
<かつて、オタクは博覧強記の「精神の貴族」でした。もちろんいまでは、教養・知識がなくとも、二次元キャラに萌えることができればオタクを名乗れる風潮があります。>
深読みすれば、おそらく岡田斗司夫の説くオタク・クロニクルの概要として記したまでで、千野自身はそれに同意しているわけではないだろうとも読めるけれど、まあ普通は千野の肯定的な認識だと読んでしまうのではないだろうか?唐沢俊一はもとより、岡田斗司夫も別に「博覧強記」とはとても思えないのですが、こういうところを見ると『オタクはすでに死んでいる』の弊害・鵜呑みの流布を憂えざるを得ない。オタクが高邁な精神を持っているなんて言説は1996年の『オタク学入門』あたりから誕生し、数年後に「オタク第二世代」に括られる層から批判された、ほんらいならば2,3年で破綻していたものだ。
さらに付け加えると、<一九七〇年代には植草甚一澁澤龍彦寺山修司渋谷陽一、八〇年代には蓮實重彦柄谷行人北上次郎><大森望岡田斗司夫唐沢俊一日下三蔵が最後の「先生」たち?>という並びもどうかと思う。70年代のお尻についてる渋谷陽一は申し訳ないけれど明らかに他の三人より格下だし*1、80年代の北上次郎もなんだか浮いている。大森・岡田・唐沢・日下の格付けには、今なら平常心を保てない方もおられると思われる。

とはいえ、千野帽子のこの本については特に異見はない。武田百合子についてのコラム中かなりの部分をこの「新・教養」主義批判にあて、武田百合子本人についての記述はわずかだったのは残念ですが。

*1:そもそも70年代の渋谷が「教養」だったのか、という疑問もある。いや年代を限定せず、かつてそうだった、といえるのか難しいところではなかろうか?