『戦時演芸慰問団「わらわし隊」の記録』『オールド上海 阿片事情』

唐沢俊一検証関連のなかで”ヒロポンが特攻隊用に発明された云々”という話があった。
「サーフィン・USO。」臥猫亭さんのコメント(2009-09-16 - 唐沢俊一検証blog

旧日本軍が開発したヒロポン(というかメタンフェタミン)が本来、特攻機パイロットに与えられる薬であったことを考えれば、(自前の勇気だけでは足りない)ビッグウェイバーが恐怖心を麻痺させるために覚せい剤をキメることは理にかなっていますが。

これは下記の資料とは別のとこからきた話なのだろうか?

唐沢俊一ソルボンヌK子『こんな猟奇でよかったら―命なくします 』P.176に

俊一●ヒロポンは戦争中は特攻隊員が政府公認で使っていた。

とあるようです。

特攻隊とヒロポンが深い関係であったとする説はどうなんであろうか?早川隆『戦時演芸慰問団「わらわし隊」の記録』最終章「ミスワカナの死」より引用(P.345)

ミスワカナは戦中の昭和一五年頃から覚醒剤であるヒロポンを使い始め、昭和一八年頃には既に中毒症の身体となっていた。昭和一五年と言えば、第二回わらわし隊派遣の翌年にあたる。
ヒロポンを引用すると、一時的に眠気や疲労感がとれ、精神的昂揚作用があるとされる。戦時中は違法品ではなく合法的に市販されており、週刊誌に広告が掲載されるなど、社会に広く出回っていた。当時の芸能界でも流行っていたし、軍隊内では重宝された。
ワカナがこのヒロポンを初めて覚えたのが、実はわらわし隊での慰問中だったという話がある。

ミスワカナは「ワカナと一郎」で一世風靡した漫才師、エンタツアチャコとならんで現在の「お笑い」のベースを築いた天才。
昭和15年あたり既に特攻隊が考えられていたとは考えにくいので、ヒロポンと結びつけるのはあやまりだろう。
山田豪一編著『オールド上海 阿片事情』「戦後日本と中国の麻薬・阿片問題」によると

(戦後のどさくさのなか、ヘロイン・コカインなどの麻薬中毒拡大が)めだたなかったのは覚せい剤乱用の盛行の陰にかくれていたからだ。戦争中、日本政府は飛行機の搭乗員や軍需工場の深夜作業にヒロポンを使わせた。これが戦後、巷にあふれ、ヒロポン(大日本製薬)、セドリン(武田製薬)、パーテン(塩野義製薬)などの乱売、乱用をまねき、ひと頃、一五〇万人ともいわれる乱用者を生んだのは、当局が戦後六年もの間、その製造、販売になんら法規制をおこなわず、放っといたせいである。

とあるので、戦時中からも(特に特攻隊ということでなく)飛行機搭乗員ほか軍隊員・軍需工場夜勤作業員・芸能人のあいだで浸透しており、戦後より拡大したということなんでしょうね。
なおミスワカナは、<当時の付き人の女性の「死ぬ二年ほど前から薬物は止めていた」との証言もあり直接の原因ではないだろうと言われている。>*1とのことであるが、上記わらわし隊本の続きにワカナが昭和21年阪急西宮北口駅で倒れ帰らぬ人となったその日、出番の間ブツを預かっていた後輩の証言が出ていてたいへん面白い。後輩の芸名は森光子。

「ワカナの支那土産」

戦時演芸慰問団「わらわし隊」の記録―芸人たちが見た日中戦争

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オールド上海 阿片事情

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