「随筆」と「ブログ」に言わずもがなの言及

「前見出し」のようなものを書いて、このてのハナシで更新していけば、江戸時代にやたら出版された「随筆」のようになりそう。ホント、江戸時代は有名人・無名人にかかわらず、やたら随筆が著され、関心のない人にはどうでもいい豆知識本が流布していた。随筆には、日記、個人の編年記も含まれ、おおむねブログ文化と重なる。たぶん、このことも既に誰かに指摘されているのだろうが。
現代の「ブログ」と江戸時代の「随筆」の違いを挙げれば、知識人の書くものとしての「随筆」と現代の大衆化した「ブログ」ということになる。が、「随筆」が知識人、教養に属するといっても程度の問題で、明治時代までは教養といったら漢文の分野が本流で、そこから見れば、「随筆」など町人や田舎学者が書いた反古にしか過ぎない。もちろん侍階級も書いているのだが。
たとえば『元禄世間咄風聞集』の一節に、夢精が止まらず憔悴した侍に、坊さんの出てくる夢を見ろとアドバイスする話がある。ふたたびやって来た夢精侍が、あいかわらず蒼白い顔つきで、夢に坊主は出てきたが、坊主に犯されて気をやってしまいました、という告白で落ちがつく。
こういうしょうもない話と、どうでもいい豆知識と、どこを見ても代わり映えのない日記と、ほんのすこし歴史的史料価値のある記述(松の廊下事件など)で、「随筆」はできている。あまり、杉浦日向子のマンガなどのしみじみしたものを期待してはいけない。←うわっ、なんか小谷野敦っぽいなぁいや、小谷野先生はたいへんオモシロいと思いますよ、本も人物も
「ブログ」は、マスメディアに肉薄する存在になるのかどうかはわからない。太田南畝みたいな、随筆界の有名人にあたる人物は既にあらわれている、といえる。確実なのは、明治以後に江戸随筆の掘り起こしがなされたように、五十年後か百年後かわからないが、「ブログ」の掘り起こしがあるだろう。ハード面で多くの散逸があるだろうが。
いや、そんなに大風呂敷拡げるものでもないか・・・

元禄世間咄風聞集 (岩波文庫)

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百物語 (新潮文庫)