前日の続き

尾形亀之助は、当時のいわゆる「高等遊民」のなかでも突出した存在で、だからこそ『脱力の人』にもでてくる辻まこと辻潤の息子・画家・文筆家)や草野心平など無産思想・虚無思想の周辺からのリスペクトもあった。
高等遊民」のなかでも突出した存在、といういい方をべつにいいかえれば、まさしく今でいう「ニート」で、その意味するとおり尾形亀之助は(晩年の数年間をのぞいて)労働をしなかった。晩年の役所勤めも、机にすわりただ煙草をふかしてばかりいた、というほどの働きぶりだったらしく、第3詩集『障子のある家』を擬似遺書として、あとは余生に近かったのであろう。

そういった実生活は、虚無思想周辺にあってもノーマルとはいえず、辻まことがシンパシーを表明すると、父の(あの)辻潤は、はまるならこっちにしろと宮沢賢治春と修羅』を人づてに送ったという。

とはいえ、煎じ詰めて尾形亀之助の詩は虚無思想を謳ったものである、ともいえない。労働を厭う男の詩ともいえない。創作表現のうえで欠かせない、特権的なポジティヴィティに欺瞞を感じた者が、視点を狭め、ある種のモチベーションを放棄することで、ある到達点に向かおうとしている、といった趣がある。『障子のある家』にある「それからそのつぎへ」というのは、その到達点を見据えた表現だろう。

だから、その「狭められた視点」「モチベーションの放棄」の中で用いられる、「朝」「夜」「雨」「原」などの限定された表現アイテムは、必ずしも情緒的なものを帯びてはいない。なぜなら、彼は「特権的なポジティヴィティ」を放棄、もしくは排除しているから。

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話がややこしくなってきた。
尾形亀之助的な表現者のひとりに、宮沢正一がいる、という話をしたかった。
宮沢正一は弾き語りの(?)フォークシンガーであり、かつロックバンド「ラビッツ」のボーカルであった。80年代中頃で活動は中断されている。
<俺は一生働かない、俺は一生到達しない>
という歌詞だけでなく、表現の手触りに近いものを感じる。
もちろん、宮沢正一には「声があり」、尾形亀之助には「文字しかない」。つまり、宮沢正一は表現を拒絶しながらも存在し、尾形亀之助は不在のまま表現として残る、という印象のちがいはある。が、そういったジャンルの違いからくる差異をのぞくと、方向性はかなり重なるものがあると思う。


宮沢正一の世界

宮沢正一の世界

ラビッツ・ライヴ

ラビッツ・ライヴ