「ヨコハマメリー」

本牧育ちの友人とお茶をいっしょにする。会話の流れで「メリー」という名前がでたので、「ヨコハマメリー」と駄洒落をつけくわえると、彼はいささか顔をしかめ、屈託のある表情で煙草を一口。

<でもよー、当時は「メリーさん」なんてよばれてなかったぜ、地元では>

というのが、彼の屈託。
露骨な「×××ババア」みたいな呼びかただったらしいが、既にその呼びかたも忘れてしまったという。3回彼女を見かけたらエンガチョ、だったというルールがあったが、じつは20回以上出くわしているという。

つまり、当時地元の餓鬼だった少年には、外人相手の娼婦というコンセンサスは無く、スットンキョーな格好をした老婆として、ちいさな町の異物に処していたようだ。そしておそらく、そう思っていたのは、地元の「餓鬼」だけじゃなかった、というのが彼の異見。


彼の小学生時代、八王子海岸(本牧元町の高速湾岸線あたり)は埋め立てられ、埋め立て地には地方からの出稼ぎ者が移住して錦町やかもめ町が生まれ、急速な開発の進展の末、いつしかその町の人々は消え去り、海岸線はコンビナートや倉庫・工場が建ち並ぶ工業地帯に変貌した。大通りを走る市電も廃線になった。

異常な好景気、開発に揺らぐ小都市の喧騒のなかで、必ずしも「港ヨコハマ」の歴史認識が共通のものと考えられてきたわけでもない。とくに、そこで生活する人々にとっては。

PXや米軍住宅は、元からの住人には痛みやさまざまな感情をともなって認識されていたとしても、外から町を開発しに(破壊か?)やってきた側からすれば、利権に絡んだポイントでしかない。

「メリーさん」の物語は、当然のことだが、最初から成文化されたものではなかった。本人の洩らした話や、周囲の無責任な噂が渾然となって、いつしか神話化されたものだ。

今の視点で、彼の「メリーさん」に対する認識が差別的である、というのは後だしジャンケンに近い。「チャブ屋」の話をするにも、いつの時代の「チャブ屋」か?長谷川伸が少年時代のことを書いた文章に出てくる「チャブ屋」か?パン猪狩が働いていた頃の「チャブ屋」か?突貫小僧(青木富夫)が通った「チャブ屋」か?大丸谷か、小港か、十二天か?

いづれにしても、彼の泳いだ八王寺海岸は消滅し、ヨコハマ・本牧という彼の育った町も変貌した。そこには、いま「メリーさん」とよばれた町の異物たる老女と、(差別的にせよ)同じ地平に生きた彼の思い出は無い。

<以上の話を受け入れてくれたなら、「ヨコハマメリー」ってのを受け入れてもいいぜ。>

と、彼の燻らす紫煙によるフキダシに書かれていた。

パン猪狩の裏街道中膝栗毛

パン猪狩の裏街道中膝栗毛