鬼畜をやるにゃ老(とし)だけど死ぬにはチョイと若すぎる。


Too Old to be an Otaku: Too Young to Die!
村崎百郎が亡くなる前に思いついたタイトルで、ほんとうは「オタクをするにゃ老(とし)だけど……」というヴァージョンで自粛しようとしたのだが、内容的に今回にふさわしいと思ったので使います。なんなら、唐沢俊一さんや村崎さんがどうこうという意味ではなく、これを書いている私が自分について「死ぬにはチョイと若すぎる」と嘯いているといったつもりで解釈してください。

『社会派くんがゆく!復活編』<人権が日本をダメにする>より

(2007年5月の会津若松母親殺害事件で、加害者の少年が自首前にネットカフェ、カラオケに寄っていたという事実について想像たくましく、ビースティ・ボーイズマリリン・マンソンを歌ってたんだろうと当て推量している。そして、自分たちのしたその仮定の話に沿って突っ込みを入れている)
村崎 こういう事件が起きたときに、すぐにマンソンと結びつけるのは安直すぎると思うぞ。
唐沢 あれだけ有名なアーティストなんだから、ロック・ファンならどこの家にもCDの一枚や二枚、あるだろうよ。
村崎 マンソンの歌はそれほど過激とも思えんし、別に殺人を奨励するような内容じゃないもんな。(中略)ヤバいっていうのなら、むしろ、九〇年代からの北欧のブラックメタル系のバンドのほうが激ヤバで、歌っている内容どおりに自殺したり、教会に放火して全焼させてるぞ。
唐沢 しかも、メンバーの自殺現場の写真をCDのジャケットに使ったりしてるんだよね。気圧の低い地域の人間は、どうしてこうまで心がすさむのか(笑)。

ここで話題となっている<北欧のブラックメタル系バンド>は、たぶんノルウェーのメイヘムMayhemとバーズムBurzumのことなんだろう。メイヘムのギター、ユーロニモスが撮影したというボーカルのデッドの自殺体写真がジャケットになったブートレグ『Dawn of the Black Hearts』

撮影者といわれるユーロニモスはインナーサークルという悪魔崇拝集団を組織していて、ここに教会放火で有名になったバーズム(ヴァルグ・ヴィーケネス、旧名カウント・グリシュナックのほぼワンマン・バンド)が参加していた。が後に両者は対立しユーロニモスはグリシュナックに刺殺されている。奇しくも殺された日がジェスロ・タルのイアン・アンダーソンの誕生日とおなじ8月10日だったというのを、いま調べていて知った2010年08月10日(火) - 今日は何の日? - CDJournal.com - カレンダー。あ、だから<鬼畜をやるにゃ老(とし)だけど、死ぬにはチョイと若すぎる>はメイヘムのデッドとユーロニモスに当ててるということで…。追記:この記事は特に鬼畜を気取るつもりもなく事実関係だけ書いてるだけなのだが、「あっ、そういえば村崎百郎も刺殺されたんだった」と気づいてアタフタしてしまう。別にこっちは鬼畜になりたいわけでもないのに……。こういう事態になることが、結局は『社会派くんがゆく!』のコンセプトが失敗だったことの証明のような気がする(が、こういう風に決め付けるのは鬼畜であることよりも酷い所業なんだろうな)。『社会派くん』はkensyouhanさんのとこが書きそうなので夢を見る人。 - 唐沢俊一検証blog、それを見るだけで済ましておこう。〕

それはそれとして、唐沢サンの発言<気圧の低い地域の人間は、どうしてこうまで心がすさむのか(笑)>だけど、ノルウェーって気圧の低い地域だったんだ。知らなかったよ、勉強になるなぁ。つまらないモノを読んでたつもりだったけど、デッカイものを得ました。

「北欧は気圧が低い」を受け入れてみても、それが「心」の問題につながるってわけでもないので意味不明だ。いつもの平均的なダメ唐沢文なので、特にムカつくこともなく書き記す。

社会派くんがゆく 復活編

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ロックンロールにゃ老(とし)だけど死ぬにはチョイと若すぎる(紙ジャケット仕様)

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De Mysteriis Dom Sathanas

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Burzum / Aske

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WILD FANCY ALLIANCE

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