『オタクはすでに死んでいる』への助走(7)

ポリティカル・コレクトネス
2009-10-02 - もうれつ先生のもうれつ道場
『オタクはすでに死んでいる』への助走(5)―岡田斗司夫が迂闊な書き手であること
に於いて岡田斗司夫の無神経さを指摘した。岡田斗司夫は明らかに注意する意思を表明しているのだが、どうしてそれが実を結ばないかという疑念である。今ここに新たに岡田の迂闊さを追加指摘することは、私本人にとっても妙に政治的正義に拘った者かのような懸念を抱かせそうで些か躊躇するものであるが、もう見つけてしまったものはしょうがないので記述することにする。

ちなみに余談だが、私は長い間伊集院光岡田斗司夫を、宮沢正一宮沢章夫を混同していた。「あの太ったタレントはラジオだと凄く面白いけれど、どうして活字ではあんなにつまらない話をしているのか?」とか「宮沢は文化人みたいなエッセイはほどほどにして、もう一度『キリストは馬小屋で生まれた』や『メエメエ』を演らないのかな?」とか頓珍漢なことを考えていた。
宮沢正一は↓のような歌を唄う人。遠藤ミチロウがやっていたインディ・レーベル「ポリティカル・レコード」よりシングル・ソノシート「キリスト〜」で登場(それ以前本名で自主LPを出している)。このころはアシッド風ながら比較的オーソドックスなフォーク・スタイルだったが、LP『人中間』(当時「スクリーン」で活動していた和久井光司がプロデュース)で改造ギターによるソロ・パフォーマンスを確立、しばらくしてロック・バンド「ラビッツ」を結成し『WINTER SONGS』*1を発表、ごくごく一部のロック・ファンの心を鷲掴みにしてシーンから消え去った。

人中間(リマスター盤)

人中間(リマスター盤)

WINTER SONGS(リマスター盤)

WINTER SONGS(リマスター盤)

これは「たま」のカヴァー・ヴァージョン。

「キリストは馬小屋で生まれた」



とか横道に逸れてないで本題に入る
東京大学「ノイズ文化論」講義
宮沢章夫東京大学[ノイズ文化]講義』 第3回 対談1「オタクの終わり」(ゲスト・岡田斗司夫
P.61「公民権運動に戦略を学ぶ」より岡田斗司夫発言の一部を以下引用
(発言の脈絡は「おたく」は被差別民族であると認識したうえで、「おたく」人権回復運動のスタイルを黒人解放運動の歴史から学ぶという意味である)

アメリカで一九四〇年から六〇年にかけて、「公民権運動」というのがありました。
その頃、黒人はすごい差別されていたわけですよ。バスに乗ったら白人用の席がある。レストラン行ったら白人と黒人別々の入口がある。つい五十年くらい前のアメリカで、本当に差別されていた状況があったんです。その時代に、黒人の運動家が一生懸命「黒人だって人間なんだ、平等なんだ」と言っていても、なかなか実を結ばなかった。
あるとき若手の黒人の運動家が、戦略を変えました。「ブラック・イズ・ビューティフル」つまり「黒人こそが美しいんだ」。極端ですね。
黒人より白人のほうが劣っているという証拠を集めて、「黒人だって白人と同じなんだ、すべての人間は平等なんだ」と正論を言っても、世の中の人はまったく耳を傾けてくれない。ですけど、極端に高い例を挙げて「黒人が一番美しいんだ」「人類はもともとアフリカ大陸から、黒人から発生したんだ」と言っちゃうと、それはそれで納得しちゃう人がいる。
「ブラック・イズ・ビューティフル」とまで言うと、ようやく黒人と白人が対等になる。「黒人文化面白いじゃん、ブラックってかっこいいじゃん」と思う白人がいて、日本人の中でもラップみたいなものを真似したり、わざわざ肌を焼いたり、黒人っぽい芸名をつけて芸能界デビューしたり。そういうへんてこな現象がいっぱい起こることによって、ようやっと黒人文化が白人文化と並ぶ存在になれるわけです。

1.「ブラック・イズ・ビューティフル」と最初に提唱されたのは1858年ジョン・スウェット・ロックによるようです。1958年じゃなくて百年前ね。60年代後半の「ブラック・イズ・ビューティフル」はリバイバル
2.「公民権運動」は字義の通り人権の問題であり、「ブラック・イズ・ビューティフル」は黒人のプライド回復のスローガンだという違い。スローガンは運動を前進させる起爆剤として多大な影響を与えはしたけれど、スローガン本体が運動内容の方針を変えた事例は無い。大東亜戦争が「欲しがりません勝までは」で大転回した、とかそんな話ありえないでしょ?
3.<黒人より白人のほうが劣っているという証拠を集めて>っていうのは公民権運動や「ブラック・イズ・ビューティフル」など比較的穏やかな運動の話ではなく、よりずっと過激なブラック・ナショナリズムやブラック・モスリムのことだと思うけれど、それって「ブラック・イズ・ビューティフル」と同時発生的かそれ以後の展開であって、「ブラック・イズ・ビューティフル」より先行して白人劣等黒人優位的な研究が黒人解放運動の中でされたことは無いとおもう。
4.この運動の中で<「人類はもともとアフリカ大陸から、黒人から発生したんだ」>みたいな進化論は援用されたのかなあ?宗教コミュニティとも重なっているから、キリスト教であれイスラム教であれ無神論は語られなかったと思うけれど?
5.これは軽口だけど、<日本人の中でも><黒人っぽい芸名をつけて芸能界デビュー>てのは「ニグロっぽいムードから“ファンキー”とも呼ばれた日活スター赤木圭一郎ぢゃないよね?
6.<ようやっと黒人文化が白人文化と並ぶ存在になれるわけです。>人権の問題ではなく文化のことならば、ずっと以前よりアメリカの黒人文化は白人文化と対等に並んでいるか、人によっては白人文化を凌駕していると考えられていた。

「おたく」が被差別民族であるという言説の当否以前に、こういういい加減な珍説でブラック・ミュージック愛好家でもある私の眉を顰めさせる岡田個人に対しては「汚い手で触らないで下さい!」くらいの感情はある。
この本、気になる発言まだまだあるのですが、この辺にしときます。
以下お清めの動画


Jorge Ben/Negro E Lindo(黒人は美しい)

*1:『WINTER SONGS』については次の丁寧な紹介を参考http://d.hatena.ne.jp/noraoff/20090104#p1