つづき

宮沢賢治の童話は叙情性豊かな物語として多くのファンを持っている。画家のますむらひろし等により再三映像化されているのをみれば、その「叙情性」の一端は了解されよう。また天沢退二郎入沢康夫などの詩人・批評家の全集編纂によってか、「宮沢賢治枠」といえるような、固定された語り口による研究が大勢を占め、ほぼ語りつくされた観がある。
別役実『イーハトーボゆき軽便鉄道』と吉田司宮沢賢治殺人事件』*1の2冊は、それらとは趣きを異にしており、吉田書が「賢司伝説」に反旗を翻しているのに対し、別役書は「情緒性」と括られる皮を剥いて、中の果肉に含まれる「論理性」を引き出す。
例えば『風の又三郎』のラスト、9月12日の早朝、又三郎の消失を予感した一郎が急いで登校したときの記述に、別役は着目する。

学校に着くと、「ふしぎなことは先生があたり前の単衣をきて赤いうちはをもってゐるのです。」「不思議」というのは、当然ながら「赤いうちはをもってゐる」ことを指しているのであろう。(中略、『風の又三郎』引用のつづき。高田三郎の転校を説明する先生と一郎たちの会話の途中、)「『さうだなぃな。やっぱりあいづは風の又三郎だったな。』嘉助が高く叫びました。宿直室の方で何かごとごと鳴る音がしました。先生は赤いうちはをもって急いでそっちへ行きました。二人は暫く黙ったまゝ相手がほんたうにどう思ってゐるか探るように顔を見合せたまゝ立ちました。風はまだやまず、窓がらすは雨つぶのために曇りながらまだがたがた鳴りました。」/最後のくだりの全文である。(中略)細部に目を凝らすと、ここには色々と奇妙な出来事がちりばめられていることに気がつくであろう。ひとまずは「赤いうちは」である。ちょっと天狗を思わせるが、これは何なのか。それから「宿直室の方で何かごとごと鳴る音がしました」とある。これも怪しい。最後に「相手がほんたうにどう思ってゐるか探るように顔を見合せた」とあるが、一郎と嘉助は、一体相手の何をどんな風に探ろうとしたのであろう。/私にはどうも、この奇妙な細部に高田三郎と「風の又三郎」の関係を解き明かすカギがひそんでいるように思えてならない。(中略)/つまり、このとき先生が赤いうちわを持っていたのは、高田三郎をあり得てしかるべき高田三郎とするためではなかったのだろうか。言ってみれば「風の又三郎」と高田三郎との関係は、うちわと木の葉の関係に似ているのであり、うちわで絶えず風を送り続けていなければ、木の葉によってそれを確かめることが出来ないように、高田三郎高田三郎でなくなってしまうのだ。/従って、にもかかわらず嘉助が高田三郎を「風の又三郎」であるときめつけてしまった時、先生の支えてきたこの虚構は崩される。「宿直室の方で何かごとごと鳴る音がしました」というのは、現実には風が窓わくか何かをゆるがした音であろうが、「風の又三郎」と高田三郎との関係が壊れ、それが不在でありながら作用だけを持つ、風そのものに解消された音ということも出来るのである。(後略)

(中略)(後略)ともdiscussaoによる
メスを持つ手つきが鮮やかで、とくに付加える異見はない。こうした作品の分析は、昨今の村上春樹読解本の手法にも通ずるものがある。いうまでもなく、別役実のほうが古いのだが、だからといって村上解読本が別役の手法に影響を受けたということではないだろう(知らないけど)。敢えて村上解読本と別役の違いを探すと、村上解読本が分析により小説世界に深く内向する傾向を持つのに対し、別役は(多くの研究書がそうであるような)宮沢賢治の分析から「賢治の世界」に収束するところを、意識的に巧妙に避けているのがわかる。
別役実は、前に述べた尾形亀之助について「そして、そこから『その次へ』」*2という評論をものにしており、それに衝撃を受けて尾形亀之助詩集を買ったのだった。その評論を含め、すべての別役の著作は「そこから『その次へ』」を基本とする。何かを論じ、何かを物語っても、表現されるべき事象は常に「それとは別の何か」であり、内向した小世界にとどまった手法とは裏腹に、現実に対するある種の批評となっている。繰り返して、退屈な作品も少なくない別役実だが、この表現・批評の徹底した一貫性は尊敬に値する。「一貫性は存在しない」あるいは「連続性は同一性を保障しない」という趣旨の表現・批評であるにもかかわらず。

宮沢賢治殺人事件 (文春文庫)

宮沢賢治殺人事件 (文春文庫)

*1:吉田書は、宮沢賢治の「信仰」がけっして素朴なものではなく、当時勃興した日蓮宗過激派「国柱会」の思想をベースとしていることを(改めて)明らかにした。日蓮宗の、こういった国家主義への親和性については、吉田書及び末木文美士日蓮入門』を参照。

*2:タイトル違うかもしれない。戯曲集『マッチ売りの少女』あとがきだった記憶がある。