別役実「イーハトーボゆき軽便鉄道」

イーハトーボゆき軽便鉄道 (白水uブックス)
別役実はこねくり回すヒトだ。素材として挙げられた事柄について、一般的了解や常識を用いずに考察を進めていく。フレンチの魚料理の素材を使い、たまたま上着のポケットにあったカッター・ナイフで一品、独自の料理に仕上げる面持ち。テーブルに着いたお客は、なにが出来上がるのか心配だろうが、フレンチとは異質の「別の見解」が皿に盛られてくるのは確実だ。
いきあたりばったりかのようなその手つきは、しかし、常にあるロジックによって統御されており、どんな素材でも「別役料理」の体裁を保っているのは、このレシピあるいは計算式に従って書き進まれるからであろう。ある意味、料理や素材よりも、独特なレシピ・計算式こそが「別役料理」の骨子ともいえる。
それゆえ、素材に魅力がないばあいや、素材とレシピの相性が悪いばあいなど、「別役料理」法ばかり際立ってしまったケースも多い。理屈の骨格は一定であり、料理の出来よりレシピや計算式に頼ってしまっては、昔は旨くて評判を取った店が手馴れて味を落としてしまい、妙なプライドだけで営業を続けている、そんな店の料理のようだ。「だからどうした?So Fuckin' What?」ということ。
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別役の理屈先行の癖はその当初から顕著で、戯曲『スパイ物語』など、初めて読んだ時は不条理な展開に心動かされたが、現在読み返すと、安部公房の不条理劇と同様に図式に頼りきった面が否めない。しかし、素材とレシピの相性がはまった時は、容赦ない「別役料理」に圧倒されてしまう。それは例えば『黒い郵便船』であり、ここに挙げる『イーハトーボゆき軽便鉄道』だ。
童話『黒い郵便船』*1のほうは、国家論というか、多神教的な土壌の上に天皇制に代表される統一された歴史観が覆いかぶさる歪みを、内向した登場人物を使って明らかにしてゆく奇書だ。なぜ先行した国家の存在を、(その上に樹立された新しい国家の)人々は忘れてしまうのか?このテーマは、十数年後に橋本治によって発表された『オイディプス燕返し!!蓮と刀・青年編1』で再び取り上げられる(というか十数年誰も手をつけなかった)。勿論、橋本と別役は水と油な所があり、その論理展開や結論から、一見全く別種のものに見えるが。(また『イーハトーボ軽便鉄道』には乗車できなかった。この項つづく)

*1:このモチーフは『そよそよ族伝説』に継承される。『そよそよ族伝説』の方が大きな物語であり、より具象的・肉感的である。いっぽう『黒い郵便船』は、生硬で秘教的な語り口であり、小島武のカバー・イラストと相俟って、読む者にたいして何かを「拒絶」している印象がある。ただし、ある種の優れた物語が読む者の意識を不快・不条理な感情にさせる(ex.パトリシア・ハイスミスの作品)ことを考慮すると、個人的には『黒い郵便船』に一票を入れたい。