3月はオーネットの月

3月末にオーネット・コールマン(アルト・サックスほか)が来日していた。年齢的に、たぶんこれが最後の来日となるだろう(1930年生の76歳)。
オーネットの足跡は偉大にして、孤立無援。その影響は多大で、たとえば前に名前を挙げた灰野敬二、彼の最初のバンド<ロスト・アラーフ>だってオーネットがいなかったら始まらなかったのではなかろうか*1
いうまでもなく、オーネット・コールマンフリー・ジャズ創始者だが、その演奏の新奇さゆえに、しばらく(というか現在に至るまで)一部の絶大な評価をのぞき、世間の無理解に辛酸を舐めていた。最初期には、モダンなブルース・マン、ピー・ウィー・クレイトン*2の巡業などに加わっていたそうだが、R&Bのシャッキリした演奏ができるはずもなく、ヘロヘロなフレーズばかり吹いてクビになっている。森山直太朗のバックをジャックスが務めるというか、望月峯太郎のアシスタントにエビスさん(蛭子能収)があらわれたといった態。
1960年前後に、リーダー・アルバムを数枚発表。このカルテット、オーネットのアルトはプラスチック製の安物だし、もうひとりのリード奏者ドン・チェリーはしみったれたポケット・トランペットを使っていて、奏でる演奏がヘロヘロなものだから、胡散臭さもひとしお。
賛否両論の否ばかりの嵐のなか(マックス・ローチは、「オーネットは正統な音楽的素養を持っていない」と、にべもない発言で切って捨てた)、突然沈黙。寒風吹きすさぶハドソン川で、ひとりアルトを練習していた、などという噂は本当だったのか?
後年理論武装のためか、<ハーモロディック理論>なるものを実践したが、弟子ジェームス・ブラッド・ウルマーのレコード(1st『キャプテン・ブラックの物語』)に添付されていた冊子にあったその理論ガイドをよんでも、五線譜をいろいろ捏ねくり廻していて、さっぱり理論として自立していなかった。心意気だけは、痛いほどわかったが。
<ハーモロディック>が理論か否かはさておき、<ハーモロディック>を実践したオーネットのバンドの演奏は、滅茶苦茶ななかにも、ある一定のテイストでまとまっていて、それを<ハーモロディック>と云えば云える。
おそらく、<ハーモロディック>とは「理論」といった体系ではなくて、仏教のなかの「修行」に近いものなんだと思う。修得するためのきっかけとなるアイテムのような。オーネット・コールマンの周辺にプラクティカルなブッディズム、はっきりいえば創価学会に入信しているミュージシャンが多い(ロナルド・シャノン・ジャクソン、バーン・ニックスほか)のも、そういったものへの親和性があるからではないのだろうか?養老孟司っぽいけど。
養老さんっぽいついでで言うと、<ハーモロディック理論>とは、既に確固とした楽典というものに個人が個を捨てて身を委ねる、という従来の修練が陥りがちな思考に、理屈は自分の足跡の後ろに出来上がる、とアンチを翻したものであったのであろう。連続性は同一性を保障しないとか。
キャプテン・ビーフハートのとこの<マジック・バンド>も、たぶんそうなのだが、なにか高尚な理屈がどこかにあって、それを学問のように学習していく、というものではないだろう。まづ一歩足を出してみた、その一歩が必然性を持つ。この方針は、フリー・ミュージックに限らず、アンサンブルの理想的な在り方だ。理想論に過ぎないきらいもあるが。
<ハーモロディック>は、この「無作為の必然性」を支えるための「保険」みたいなもので、その<アンサンブル>のなかでは必然性を持つ「理論」となろうが、「理論」が<アンサンブル>のなかで閉じている意味で、外部からは非「理論」でしかない。
これが何に似ているかというと、アレフ(オーム真理教)など新興宗教の教義のあり方とそっくりですね。ドン・ヴァン・ヴリート(a.k.aキャプテン・ビーフハート)なんか殆ど教祖サマだしね。

    • 理論(教義)が集団内で閉じていて、外部からは理解不能
    • 理論(教義)を支えるリーダー(教祖)が理不尽に横暴(オーネットは横暴じゃないけど)

厳密に考えると、バンドやってる人って、多かれ少なかれ上記の思考回路のなかにあるような気がする。秘教的?というか独善的というか。でも、それは否定されるものでもない。(自覚的で無いぶん、心が狭いなぁ、とは、ときどき感じるが)。

*1:いや、<ロスト・アラーフ>はセシル・テイラーの文脈なのだろうけど、親もととしてね・・・

*2:まぁ、ピー・ウィーのリード・ギターだって、コードをガシャガシャ弾く(大きな意味でのトレモロ?)のが必殺技というくらいなので、エビスさんっぽいのだが・・・