「ヘイトスピーチには敏感な人たちが福島差別をする」

2016/12/4 菊池誠さん講演「科学と民主主義を考える−ニセ科学・デマ問題を中心に−」

菊池さんの講演を部分的に聞き書きしました。別に殊更な悪口ではなく、単なる聞き書きですのでデマでもなんでもありません。タイトルのような発言や、「僕が考えるマズい問題としては、一方で反原発のためには健康被害が大きい方がいいと考える人たちが、いるように見えるということがあります。これは、こういうことを言うと怒られるかもしれないんですけど、しかし、観察してるといるように見える」というような菊池さんの主観による断定が、立場を超えた科学的な啓蒙活動を実践する上でポイントになるかなと思いました。

1:03:50
前半ニセ科学の話のコーナーで、豊洲の問題についての質問に

いや、あれ基準値の4割か何かしか出てないので、ええと、全然、あの…基準値というものがそもそももの凄く安全に設定されていて、基準値よりさらに、ずっと低いので、ええと、それを危険だという、根拠はないと思います。…はい、ゼロリスクというものはなくて、その、要はその十分にリスクが低いところに基準値は設定されて、いますから…それよりもさらに低いわけですから…はい、えと、普通に考えれば、あれ、だって…だって何だっけ「基準値の何割も、出ました」っていう人がいて「何割も」って何だよ?って話ですよね(笑)、はい。何のための基準値だよ?って話なんですけども…基準値自体は、えと、あとで放射能の話でもいたしますけれども、あの、そういう、基準値っていうのは安全と危険の境では、ぜんぜんありません。ええと、多くの場合、はるかに安全なところに設定されて、いますだから、ある意味基準値を超えてもぜんぜん大丈夫だっていう設定なんですけど、まして基…でもまあ、まあ!そのぐらい安全なところの基準値を超えないようにしましょうねぇ〜っていう風な決まりです。…ええと…ですから、豊洲の場合はまぁ、ぜんぜん基準値よりさらに低いものが出たというだけですので、あれは「ああ、出たね」っていう以上でも何でもないと思います、はい、ちょっと煽り過ぎだと思います。

1:06:10
後半の放射能の話の冒頭10分くらい
括弧内は、聴き取り不能な部分、たぶんこう言ってるのであろう部分、こう付け足す文意であろう部分を示す。(スィー…)は、大きく息を吸い込んだ感慨を表わしたような音

ええと、そしたら後半は、あの、違う話ではないんですね、僕の中ではつながっているんですけど、あの、放射線の話を、あの、して、放射能デマみたいな話を、します。でこれは今、最も、その、ある、ある意味その、世論を、そのぉ…世論?二分?て言うか、こんな、これで二分されるのはおかしいと僕も思うんですが、問題でもあるんです…。でぇ、あの、これは、さっきから言ってる例えば、希望とぉ、あの事実の違いみたいなものと深く関わっています。ええとぉ…でぇ、問題を複雑にしているのは、ええと、原発に対する賛否と放射能問題とが、本来、現在の放射能問題、現在のですよ、現在…放射能問題とが、ええ、じつは、その…もちろん政治的レベルとしては関係してるんですけども、その、現象という意味では、じつは関係ないっていうことなんですね、ところがそこは、ええと、やはり気持ちの上で分けられない、ところがあり、そうすると、えと、希望として、被害が大きくあってほしいと考えてしまう、人たちもどうしてもいる、いう点が問題をむつかしくしています。ええと、で、その話をするために、まずその…放射能の基本の話をざっくり、しますが、ええと、今(…)原発事故が起きて、起きたのか?もう起きたわけです原発事故は起きたわけです、ええと、東京電力福島第一原発が、ええと、事故を起こしたと、ええと、原因はもう、あの震災と津波ですけれど、まあその、どこまでがその、防げたのか…電源の問題なので防げた可能性は十分にあるわけですから、ちょっと、それの責任を…はどこにあるのかっていう話は、それはそれで別途きちんと検証しなくてはならないことなんですが、その話は今日はしない。そこには関係ない話をしたいと思います。その、えと…せっ…えと、まあ、福島第二とか、その女川とかが持ちこたえた以上、ええとぉ…まぁある種の、まあちょっと不幸なところがあるんですけども、えと、やぱりある種の対策が取れてれば良かったのではないかと思えるところが、た、多々あります。たぶん電源の問題ですから、電源が確保できてれば良かったので…(スィー…)、ええと責任、そういう意味の責任は、えと、誰かが取らなくてはいけないのだと思いますが、その話は今日は、えと、しません。
で、ええと放射能問題の話をしたいわけですが、ええと、現在科学で語れる範囲の問題までが、誤解や、その、被災者差別のもととなっている。でえと、非常に深刻なのはやはりその、被災者差別であろうというふうに僕は…あるいは「被災地」差別、であると僕は考えています。で、ええと、これは、我々は、ええと…あの、世界唯一の被爆あの…原…被爆国ていうか、あの原、原、原発を、原、原、原爆を落とされた国の人間として、歴史的に、被爆者差別や被爆二世差別っていうものを、知ってるはずなのに、えと、それが、再び繰り返されているト、ということです。それで、えと、ちょとここには「科学で語れる範囲の問題までが(、誤解と被災者差別のもとになっている)」て書いたんですけど、カンテイトーワロウガ(注・声が裏返ってこう聞こえるが「科学的にどうあろうが」と言っているらしい)差別してはならないというのは当然なので、ここはちょっとまた分けたいところではあります。ええと、科学の、科学的にどうかと差別は、ホントはぜんぜん違う話です。じゃあ、そこもまた、えと、分かちがたくなっているのも問題をむつかしくしています。で、非常にその、えとー、あの絶望的な気がするのは、ネットなんかを見てると、ヘイトスピーチには極めて敏感な人たちが、すごくカジュアルに福島差別をする例をネットやデモなどでよく見ます。おそらく差別、だという意識がない、のだろうと(スィー…)思います。こういうのは考え直、考えていかなくてはいけない問題だと思っています。ほいでええと、先ほど絶対安全神話の話をしましたけど、原発は絶対安全神話のいわば代表的なものでした、ええと、まぁあの、じつは、あの、さっきも言いましたけど、絶対安全というのは、あの、もう言ってないんですけども、でもまあ、ずっと安全と言われてきたので絶対安全神話のまま来てる、来た人が多いと思います。で絶対安全なはずの原発で大事故が起きたので、基本的に、もう、不信がベースになっています。えー、行政や東電への不信もそうですし、それから、えと科学者専門家 への不信もそうです。ええと、だから、なかなかそこで、始めっから、その不信ベースで物事が進んできたために、その、えと、科学的にこうである、ということも正しく伝わらないことが多い。特にまあ原子力の専門家が、ええと、もう、テレビ出てきた専門家が、もう発言しづらくなってどんどん発言しなくなってしまったという重要な問題があります。で、もう一つの、ええと、僕が考えるマズい問題としては、一方で反原発のためには健康被害が大きい方がいいと考える人たちが、ええと、いるように見える…ということがあります。これは、こういうことを言うと怒られるかもしれないんですけど、しかし、観察してるといるように見える。これはたいへんマズいことであろう、というふうに…。ほいで、まぁ突然、2011年3月12日ぐらいから突然、見慣れない単語がたくさん出てくるわけです。えーとー、もうこれは(フリップを)見せるだけにしますが、えと、こういうものをどれだけ説明できますかト、こういうも、こう、こういう単語が新聞やテレビなどに溢れて、突然ベクレルとか突然シーベルトとか言われるわけですよ。それをどれだけ説明できますかと言われたら、説明できない人の方が殆どだったと思いますし、実際新聞などの説明もなんか怪しかった…一番多かったのは、えと、シー、空間線量率のシーベルトと、えと、等価線量のシーベルトと…あ、線量率のシーベルト毎時と等価線量のシーベルトと実行線量のシーベルトがゴチャゴチャになっている例はずーっと続きました。分かんないでしょ?それ聞いたって。「全部シーベルトって言ってるじゃん」って感じですよね。えと、そういう、だから、そういう感じなんですけど…ええと…で数値が大きいのか小ちゃいのかも分かんない、1?だ100?だ100μだ、って言われても大きいのか小ちゃいのか分からないっていう状態が続いたわけです。で、いったいどんな影響があるのかも分からない。で、そこ…そういうものが突然出てきて、みんな慌てたわけですね。だからまぁ、狼狽えるのはしょうがない、ところがあります。ええと、マスコミも政府も…ゆっくり説明してる暇はなかったんだろう…マスコミの方は、まあ、理解しないまま伝えてたっていうことはあります。
…えーっ、で、問題はリスク、さっきも言いましたけど、やっぱりその一番最初、ニセ科学の話の時にも言いましたけど、リスクが関わっていてなかなか白黒付けづらい問題っていうのは、怪しい話がたくさん出てくる。で、リスクの受け止め方っていうのは、たいへんむずかしいです。さっきも言ったように、日本は特に、おそらくリスクを受け止めることに慣れてないんだと思います。ええと、一番最後のところに書きましたけど、実際には被曝とは「する・しない」ではなく「どれくらいするか」っていうのが問題なんですけど、どうしても「する・しない」で考えてしまう…。要するに「被曝はゼロにしなくちゃいけないんだ」っていうような考え方の人たちがどうしてもいる…。ところが我々は実は年間何もしなくても2?シーベルト被曝しているわけです。ええと、つまり「被曝ゼロ」っていうものはないんですね、世の中に。これは、えと、地球に住んでる限り、人間は被曝し続けているっていう現状があります。その中で、一方で、やっぱり「する・しない」で考えたい…っていう…希望が…希望ていうか(そういう)人たちもいるわけですね。そこに、さまざまな齟齬が出てきて、生まれて、えと、そっから誤解や、えーとー、あるいはデマが、えーっ、発生します。
えー、そういう話をしたいんですが、その前にええと、放射線について先ず、ざっと概観しておきます。ええと『いちから聞きたい放射線のほんとう』という本をつくりました。すごくやさしいです。これよりやさしい本はたぶん売ってないと思います。ええと、あの、今日、数冊持ってきているので…興味のある方は是非、読んでください。1400円です。是非読んでください。
ええと、で、放射能について学び、現状について理解することが、今後その、どういうふうに暮らしていくかとか、どういう意思決定をして…あるいは社会的にどういう意思決定をしていくかっていう面で非常に大事になってしまいました。ええと、ホントはこれまではそんなことは知らなくても良かったんですけれども、えと、なってしまったわけですね。で、えと、じゃあ、しょうがない、やっぱり学んだり理解したりしなくちゃいけない…えと、で、どういう…いろいろな問題がゴチャゴチャに混じっています。例えば放射線の物理っていうのはものすごくはっきりしています。もう、今どき、これから変わりようがないです。だから、人間の思惑とは何の関係もないし、もうそれ自体はっきり分かっています。物理的な問題ははっきり分かっています。それから人間の思惑とは関係ないけれども、ちょっとは分からないところがあるのは放射線と生物の関係、健康影響みたいなやつですね。でも、かなり分かってる。分からないところもあるけど、かなり分かってる。それから、リスクをどう捉えるかっていうのは人間の判断しなくちゃいけない…。それから、えと、現状については、ある程度人間が実はコントロール可能であるし、実際に今コントロールしているわけです。被曝量…例えば食品なんかは非常によくコントロールしてますが、あれは、えと、何もしないで出来てるんじゃなくて、人間がきちんとコントロールしています。
ほいで、ええと、あとさっきも言ってますけど、原発の是非の問題と、その、被曝状況の現状の理解とは関係ないので、その二つをどうやってちゃんと自分の中で分けることができるのかっていうのが重要な問題になってくると思います。
で、えと、放射能についれ、実は彼ら、生物について、生物の影響、放射線の影響はよく分かっていない、分かっていないという言葉がよく使われます。「分かっていない」っていう言葉の意味の、言葉が、これがリスク・コミュニケーションの断絶を生んだわけですが、えと、科学者は「まだ分からない点もある」という程度の意味で使います。一般の人はそれを「ぜんぜん分かってない」のだと受け取ります。「分からなさ」は青天井であるかのように受け止めます。しかし実際には、どちらかというと割とよく分かっている、放射線の影響は…ええ、ただまだ、あの、例えばきちんと分かってないことも、もあるよ…で、この「かなり分かってる部分」の多くは原爆で被曝した方々の長期間追跡調査によって得られた貴重なデータに依ります。えと、これは是非、え、頭に置いておいてほしいのですけれども、えと、多くの犠牲の上に成り立つ知見を我々は、え、持っているのだということ…これを、何て言うのかナ、まるでゼロにし…こういう、こうやってその原爆の被曝者で、被曝した方々のいわば犠牲の上に成り立つ知見をすべて、まるで無かったものであるかのように言う人たちがいて、たいへん悲しいのですけれども、えと、世界で類を見ない、今なら絶対できない大規模追跡調査が今も続いていて、えと、さまざまな知見が得られている。これは、えと、原爆のデータに依るんだということは、えと、是非知っておいてほしいと思います。

この後「ものはみんなつぶつぶ(原子)でできている!」といった『いちから聞きたい放射能のほんとう』をベースにした概観説明になるようです。そこを聞き書きするかどうか未定ですが。