戦後民主主義は特急に乗って−獅子文六『七時間半』感想

(16年10月23日、訂正改稿)
 獅子文六は、『てんやわんや』や『自由学校』などで大衆レベルの戦後民主主義思潮を描いた。大衆小説・大衆読み物の「お決まりの展開」を使いながらも、自己の戦中派の屈託を強くにじませながらも、凡百の読み物作家たちと異なり「リベラリズム」に自覚的であったと言えるのではないかと思う。ただ、いま再読すると、獅子文六の「発話プラン」とでもいったようなものに、現在の曾野綾子などが持っている「反リベラル」な文脈(もしくは「今では反リベラルに転じてしまった文脈」)が散見され、現在形の視点で(だけ)の読解と歴史的文脈に準じての読解でずいぶん評価が違う*1
 と結論的に述べてから作品について述べていくというのもよくないか…。
 獅子文六は「卑怯者の天国」というのもあるそうで、「憲法九条により戦争放棄した日本は、まさしく卑怯者の天国じゃないか」という『海軍』著者の主張が込められている*2ノンポリの報道写真家・濱谷浩が60年安保闘争を取材していた夏、電車に乗り合わせた獅子文六に「君はアカになったんだそうだね」と言われたという(濱谷浩『潜像残像―写真体験60年―』178頁)。濱谷はその年の6月15日に、議事堂南門を運ばれる血まみれの樺美智子さんを撮影している(撮影者本人はそれが誰かは知らずに撮影、後になって決定的ショットだったと判明した)。同じ6月、国鉄(現JR)は、新特急「こだま」台頭により見劣りしてきた旧「つばめ」をリニューアルして、東京―大阪間を7時間半から6時間半に短縮した。

 なんで突然特急の話が出てきたかというと、ここで獅子文六の1960年の連載小説『七時間半』の登場となる。つまり電車で濱口浩に「君はアカになったんだそうだね」といった60年夏に、獅子文六は特急「つばめ」の姉妹列車「はと」をモデルとした『七時間半』を週刊新潮に連載していたのだ(1月から9月まで。10月単行本発行)。

 戦後の「つばめ」(戦前もあった)は、下山事件など国鉄人員整理の動乱直後の昭和24年9月15日にシンボルマークがハトの特急「へいわ」として出発し、東京‐大阪間を戦前の「つばめ」と同様所要時間9時間で走行、3ヵ月後の昭和25年正月より「つばめ」に改称、5月には「へいわ」の頃のシンボルマークを継承して姉妹列車「はと」が運行開始し、同年10月の時刻改正より両特急とも東京‐大阪間が8時間、その後7時間半と短縮された*3。物語は(そして連載期間は)昭和35年1960年のことであり、先に述べたようにちょうど10年目にして今まさに東海道線特急の在り様が更新されんとした時期である。獅子文六は『七時間半』で、特急「はと」(小説内では「ちどり」)を戦後民主主義思潮とリンクさせ、お役御免間近な女性客室乗務員たちの屈託を現実に敗北した理念のように戯画化している。まぁ、この辺の描写が癇に障らずに読めるか否かが、この小説の評価の分かれ目かもしれない。もちろん、そう堅い読み物ではなく、基本は食堂車の会計女給・藤倉サヨ子とコック助手“喜イやん”こと矢板喜一の相思相愛カップルを中心に、小悪魔的列車スチュワーデス・今出川有女子(ウメコ)や繊維会社社長の“オジサマ・ブリンナー”岸和田太市など個性的な脇役が、東京発大阪行きの特急“ちどり”7時間半の運行時間内に繰り広げる*4、恋愛ありウンチクありドタバタありの幕の内弁当のような大衆小説なのだが。
1960年頃の特急「はと」についてはこちらこちらが画像も豊富で、当時のニュアンスを想像しつつ『7時間半』を楽しむにはうってつけですね。

 特急「ちどり」の来し方についての記述(P.37-)

終戦直後、日本のすべては、進駐軍の配下にあったが、鉄道は軍輸送の関係もあって、特に首ネッコを抑えられていた。CTS(民間輸送司令部)に伺いを立てなければ、ダイヤル一つ動かせない。特急を復活するときだって、C中佐というウルサイのがいて、敗戦国にそんなものは、要らないというようなことをいう。やっとマッカーサーを動かして復活はきまったが、今度は、特急の給仕に女を乗せるという。
 食堂車には、戦前から女給が乗っていたが、列車ボーイを女にしろとは、アメさんもムリいうなと、当局も呆れたが、泣く子と地頭には敵わない。謹んでお受けすると、CTSのB運輸課長というのが、よほどヒマだったと見えて、オセッカイを焼いた。
「彼女らの服装も、わが方の作戦命令に従うヨロシイ」
 と、自分でデザインまでして、パン・アメリカン航空のエア・スチュワーデスの制服に似た、現行の装いを定めたのである。服と共色のGI帽に、ちどり・ガールには千鳥、ひばり・ガールには雲雀の図案を、刺繍でほどこさせたりして、オセッカイ課長は、悦に入っていた。
 しかし、これが、受けた。“特二”と称するリクライニング・シートの新製車と共に、列車スチュワーデスの出現は、すっかり人気をさらった。東海道の往復は、“ちどり”か“ひばり”に乗らなければ、ハバがきかんという時代になった。そして、31年秋には、東海道全線電化が完成して、この姉妹特急は、遂に東京大阪間を、七時間半で走ることになった。車色を、ライト・グリーンに塗り替えたのも、この頃だった。

 東海道本線(東京−神戸)電化は昭和31(1956)年11月19日。同時に特急「つばめ」「はと」はエメラルドグリーンに塗り替えられた(白土貞夫『よみがえる東海道本線』)。
 「わが方の作戦命令に従うヨロシイ」という口調に代表されるユーモアが今読んでキツくないか?というのはあるが、まぁ分かりやすいといえば分かりやすい表現で、こういったところに、曾野綾子の時評・コラムにおける(差別的と糾弾される)「分かりやすさ」の源流があるのだと思う。たとえばこの記事でいうと、「私の周囲」と第三者発言に引用として記述される文言の「分かりやすさ」と同質のように捉えている。その推測は以後の引用で益々補強されると思うが。

 列車“ちどり”食堂車の時代遅れとなりつつあることを描写した箇所(P.23)

この食堂車が、もう旧式の証拠には、冷蔵庫といっても氷冷式であり、料理ストーブだって、石炭を燃やすので、九州新特急“ありあけ”の電化調理場で働く者からみれば、倍も手数がかかるのである。(中略)ビールは、約10ダース。各社の売込みが激しいから、大手メーカーの銘柄は、全部揃えねばならない。そして、日本酒が二種で、一合ビン約50本。それに、ジュースとタンサンも、欠かさない。

 「タンサン」というと、つい小津安二郎秋日和』の中村伸郎「おれにタンサンくれないか、タンサン――イヤイヤ、こっちの話だ。タンサンだ」という科白を連想してまう。

 食堂車の女給と列車スチュワーデス(ちどり・ガール)の格差、ちどり・ガールの屈託(P.40-41)

これでは、どうしても、身分のちがいが出てくる。ガールさんが、キリョウがよくて、ナリがよくて、待遇がよくて、家庭までよいことになる。一方が、“ちどり”のお姫さまとすると、もう一方はエプロンかけて、お皿を運んで、水仕事までするのだから、どうしても、女中さんみたいなことになって、気の毒であるが、民主主義国を走る特急は、そのような差別を、拒むであろう。
 早い話が、ちどり・ガールの栄華の夢も、永くは続かないのである。特急“ちどり”そのものが、新特急“いそぎ”(注:モデルは「こだま」)に追い越されて、斜陽の運命となってる。更に、新しい特急が生まれて、“ちどり”に代わる噂がある。ちどり・ガールも、やがて廃止されるらしく、一期生から八期生まで養成したが、一昨年から、募集もやめてしまった。
(中略)
 もともと、彼女たち(注:ちどり・ガール)が、この世に生まれ出たのは、アメさんのチエからであった。その点、日本国新憲法と、同じことである。運命も同じことかも知れない。

 車内販売の女給(食堂車側―つまり「全国食堂」の使用人)と、ちどり・ガール(「鉄道の人間」)有女子(三代目「ミスちどり」)との小競り合い。(P.97)

谷村ケイ子は、勇躍して、食パンの頭のように盛り上がった、有女子のヒップあたりに、体当たりを食らわせた。

 同、有女子の訴え(P.108)

「小さい癖に、腕力のある人って、いるじゃないの。その上に、安保改定賛成みたいな……」
(中略)
「“お立ちさん”(注:車内販売に対する蔑称)も、少しは、遠慮すべきだわよ。こっちは、鉄道員で、いわば、家つきの娘でしょう。何よ、あの人たちは――居候か、女中さんみたいなもんじゃないの」

 「食パンの頭のように盛り上がったヒップ」というのは、いかにも獅子文六といったフレーズですね。「健康的なお色気」というふうに楽しめる半面、まぁこういった書き方に反発を覚える人も多いわけで、今は使用しにくい表現だろうなぁと思う。
 いかにも獅子文六といったフレージングの妙技は、喜イやんにもモーションをかける有女子に悩みながら恋の数勘定をするヒロイン・サヨ子の次の描写でも発揮されている(P.229)

今まで、有女子が喜イやんに加えていた攻撃力を、かりに、33円ぐらいのものだとすると、今度は、50円の力になる。(中略)そして、もし、恭雄を見切って、喜イやんだけとなると、百円の全力を傾けるのだから、果して、敵対できるか、どうか――と、そこは、会計さんだけあって、数字的な不安が、胸にこみあげてきた。

 有女子にゾッコンで結婚申込み中の岸和田太市社長が、熱海から乗り込んできた隣席の年増美人に大いに関心を示すシーン(P.237)

有女子を、格式ある“吉兆”の料理とするならば、隣の年増美人の気サクで、コッテリとしたところは、京都“大市”のスッポン鍋の味であり、時に応じて、両者食わなければ、胃袋に申しわけない。

 「胃袋に申しわけない」は「食パンの頭のように盛り上がったヒップ」と同様、食欲と性欲を渾然一体化させた表現で、こういった表現プランはかつて官能小説にもあったけれど、宇能鴻一郎川上宗薫あたりを最後に必要とされなくなったように思う。

 コックの徒弟制的上下関係について(P.126)

どのコックも、教育者であると思ったら、大まちがい。普通、コックというものは、日教組のパリパリよりも、勘定高い。いくらベース・アップしたって、生徒にものを教えようとしない

 食堂車のコック助手喜イやんが、チーフに「お前は食堂車コックから身を上げて一流になろうと考えているけれど、食堂車の料理なんてインチキ、陸に上がれば食堂車のコックなんて通用しないぞ」と諭されショックを受けたくだり(P.254)

しかし、喜一としては、敗戦当時の日本人と同じことで、最大の権威と目標を、一ぺンに真ッ黒く塗り潰されたのだから、虚脱に落ち入るのは当然である。

 配膳係(“パントリさん”、喜イやんより格下)助手・田所は理窟屋で安保問題を話題に持ち出す。名古屋営業所の人間と組合の話題の最中、喜イやんのことに触れ(P.255)

「もともと、うちの“助さん”(注:コック助手、喜イやん、矢板喜一のこと)は、封建的なんや。チーフさんに使える徒弟意識で、頭の中一ぱいの男やよって……」
 田所は、仕事がグズで、服装が不潔で、いつも渡瀬(注:コック長)から叱言を食ってるが、年が一番若いだけに、理窟っぽくて、コック場随一のインテリだった。
「いや、チーフだって、雇用者なのだから、共に、戦列に立って貰えば……」
「いや、もう、資本家が敵ちゅうことが、どないにしても、わからへんのやからね。まだ、東京の連中は、眼ざめとるが、大阪所属ときよったら……」

 この列車には岡首相(注:安保強行採決の岸首相がモデル)が一等展望車に乗り込んでおり、これに「全学連の時限爆弾」騒ぎが起こる。首相会見取材中の新聞記者二人の会話(272-273)

「とにかく、対手は、全学連だからね。岡と全学連は、吉良上野と四十七士の関係みたいなもんだから、いつ討入りがあるか、予断を許さんよ」
(中略)
「おれは、日米条約なんて、賛成でも、反対でもないんだ。自分の安全保障の方が、忙しくて、あんな問題、どうでもよかったんだ。そういう穏健な人間を、巻き添えにするつもりか」
「ぼくを、責めたって、しようがないよ。ぼくだって、政治不感症で、天下の良民だよ」

 この記者らの述懐は、『てんやわんや』主人公・犬丸順吉や『自由学校』の南村五百助のメンタリティーと同じだ*5
 繰返しになってしまうが、『てんやわんや』や『自由学校』はリベラリズム啓蒙の大衆小説として大きな影響を持った。そういった「自由さ」を獅子文六再評価*6の中で聞かされていたので、実際読んでみて、確かに「終戦後何にもなかったけど空は高く青かった」とでも表するような開放的な部分もあるのだけれど、そうでもない部分、苦い部分もあるというか、上に引用した記述も戦後民主主義的開放性を持っており、しかし、「どんな表現も自由だ」という戦後民主主義思潮の中で戦中派が戦後民主主義を否定する表現の自由を主張しているような塩梅である、といったカンジか(長くてスマン)。

 ちなみに丹那トンネルを抜ける時(P.145)

何しろ、強盗資本とピストル資本が、湘南から伊豆半島にかけて、組んず、ホグれつの最中である

 とあるのは、五島“強盗”慶太の東急グループ堤康次郎率いる西武グループの開発抗争を述べたもので、獅子文六は1962年『箱根山』として小説化(とはいえ抗争そのものは背景で、『七時間半』と同じく男女関係を巡る物語ではある)、『七時間半』を映画化(『特急にっぽん』1961年)した川島雄三加山雄三&星由里子で映画化した。

七時間半 (ちくま文庫)

七時間半 (ちくま文庫)

よみがえる東海道本線: 黄金時代を走りぬけた名列車・名車両たち

よみがえる東海道本線: 黄金時代を走りぬけた名列車・名車両たち

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*1:もちろん、現在形の視点での読解と歴史的文脈での読解、どちらに優劣があるという話ではなく、両立してることが望ましいのは言うまでもない。

*2:これとは反対に、『てんやわんや』の主人公・犬丸順吉が四国独立運動に参加する時、タヌキ親父の鬼塚玄三やアプレ娘に変身した花輪兵子などが活躍する動乱の東京と比較し、四国の相生は「臆病者の天国」だと述懐する。

*3:当時の東海道本線特急「つばめ」は上下とも発車が09:00、到着が16:30。同「はと」は上下とも発車が12:30、到着が20:00。小説中の「ちどり」は「はと」との下りと同じ運行をしており、したがって「はと」がモデルということになる。

*4:実際には、食堂車女給が高輪・泉岳寺近くの寮を出て出勤途中8時45分から始まっており、20時到着から計算すれば―実は多少遅れるスジになるのだが―11時間15分+αが物語全体の時間となる

*5:両者とも一度は戦後民主主義的生き方を模索する、それが物語の本筋となっているのだが、「現実」に直面して『七時間半』の記者のような受動的生き方を選択する。

*6:たとえば小林信彦などの記述