木村草太「同姓合憲」判決解説要旨

最高裁は選択的夫婦別姓に理解を示している・憲法学者の木村草太氏が「同姓合憲」判決を解説

上記動画の前半部を以下要約

原告の主張:
1.氏名を変更されない自由の侵害である(憲法13条)
2.男女の区別が不平等である(憲法14条)
1、2とも憲法24条でも保障されている。

最高裁の判断:
1.への判断:そもそも自由の制約がない、権利を制約していない。
(1.自由を制約しているのか?2.制約しているのなら、その制約に正当性はあるのか?←という2段階で考える。〜で、今回は1の段階で「制約が生じていない」という判断。 //自らの意思に関わりなく氏をあらためることが強制されてはいない。氏を変えてもいいという人が婚姻をするのである。婚姻の際に、変更されない自由が制約されているとは言えない。嫌であれば、民法婚をしなければよい。今回の訴訟は、民法婚をしたかったのに氏を変えなくてはいけなかったため契約婚(事実婚*1に甘んじてしまった、自由を侵害された、という訴えではない)
2.への判断:誰と誰との間の、何に関する区別か?
(1.区別の目的が正当であり2.区別と目的が合理的に関連している、と言えない限り違憲〜で、今回は1に至る前段階「男女の区別」という設定自体が成立していないという判断。//本件規定は、夫婦が夫又は妻の氏を称するものとしており、夫婦がいずれの氏を称するかを夫婦となろうとする者の間の協議に委ねているのであって、その文言上性別に基づく法的な差別的取扱いを定めているわけではなく、本件規定の定める夫婦同氏制それ自体に男女間の形式的な不平等が存在するわけではない。)第750条:夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する。

神保哲生(とはいえ、実態としては女性側が96%改姓している、女性側が改姓するのが慣習となっている。)

木村草太:
訴訟の組み立て方自体に問題があった。弁護団が、2のポイントで誰と誰との区別か?という主張の仕方を間違えた。憲法14条の平等権を主張する場合、何に関する区別を問題とするかというところが非常に重要。原告は、「男性と女性の間の氏を変えなければいけないかどうかの区別」を問題としている(ので、今回の判決のように「そんなものは存在しない」と却下された)。本来ならば、「同姓になってもいいカップルと別姓のままでいたいカップルの間の、法律婚民法婚)ができるかどうかの区別」という問題で争わなければならなかった。
24条について:家庭内での男女の平等と個人の尊厳を求めた24条についての判例はほとんどないので、今回注目された。
条文1「婚姻は両性の合意にのみ基づいて成立し」
条文2「(家族に関する)法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して」
↑条文1が同性婚禁止条文として読まれることがあるので、最高裁がここをどう読むか着目された。最高裁は、同性婚を禁止する条文として読んではいない(「婚姻をするかどうか、またいつ誰と婚姻をするかについて、当事者間の自由かつ平等な意思決定に委ねられるべきである、という主旨を明らかにしたもの」という理解を示した。「男女間の」ではなく「当事者間の」という言い方なので、これは同性婚についての一定のメッセージを発信したと読む余地がある)。これは後々同性婚の組み立てをするときに利いてくる可能性のある判事である。
24条は、13条14条から独立して意味を持つのか?という点も問題となった。「両性の本質的平等」は平等権に還元されてしまうのではないか?「個人の尊厳」という言葉も個人の尊重を規定した13条から独立した意味を持つのか?→最高裁は、13条14条に違反しない場合であっても、24条に違反することはあり得る(24条は、13条14条より強い要請をしている)、だから家族法については慎重に検討しなければならないとした。
今回の判例の実質的内容は24条に関するものである。判決文〆の言葉は「したがって、本件規定は、憲法24条に違反するものではない」。つまり、中身についてとか、何で同氏の制度にしなければいけないのかについて、実質的説明をしているのは24条についての判断をした箇所ということになる。
「上記の不利益は、このような氏の通称使用が広まることにより一定程度緩和され得るものである」という最高裁の言及は、通称使用で充分だろうという判断を示したものではない。本件は、婚姻をするという選択をしたということは、氏を変えて色々不利益はあるが、婚姻をする利益の方が大きいと思ってそれを選択している、というふうに法律家の目からは見られる(そういう建付けになっている)。通称使用では不充分なので法律婚民法婚)を選べなかった人の利益が問題となっているわけではないので、こういう言い方になっている。

今回のような問題の解消の仕方はふたつある。1.法律婚を別姓カップルに広げるという方向と、2.法律婚自体を空洞化させる、法律婚ではない契約婚という形態をもっと広げ法律婚と同じように保護させ敢えて民法婚(法律婚)をしなくてもいいという状態に持っていく方向。木村は、1を達成しても同性カップルの場合典型的なように法によって不利益を被る人々が出てくるので、2の方向が現実的だとする。

動画後半の重要点主旨:
同性で婚姻(事実婚/契約婚)・カップルの関係を形成している実態は既にあるのだから、「同性間で婚姻をすべきかどうか」という論点は存在しない。既成事実として同性婚は今後も増えていくだろうし、別氏で子どもを育てていくケースも増えていくだろう。そういうときに、どういう保護を与えたらその人たちの幸せなのか?という形で論点を形成しなければいけない。「そういうことをすべきかどうか」は、当然当事者の自由であるということで決着はついている。
神保「自分が夫婦別姓を選択しないというだけでなく、他人が夫婦別姓を選択することを許すのが嫌だ、と言う意見があるが」
木村「他の人にこうあってほしいということを強制する権利なんていうものはないので、そういう主張はおかしい。別姓で結婚したカップルがいたからといって同姓を選択したカップルに不利益があるわけではない。婚姻を保護するには一定の行政コストがかかっている。つまり、婚姻制度とは、ある種のカップルに補助金を与えているようなものである。その補助金の範囲をどこまで広げるか、ということが問題となっている。そういう論点で考えると、先の意見は、別姓カップルには公的補助金は与えられない、という主旨の議論をしていることになる。」

*1:木村草太は、「事実婚」という表現はミスリーディングであるとし、事実婚は法的には保護されている関係であり個別的な「契約婚」と言う方が適切であるとする。また、対になる「法律婚」という表現も「民法婚」とした方が適切であるとする。