わが盗用に悔いなし

唐沢俊一さんの原節子追悼ツイート引用

倉田文人監督『ノンちゃん雲に乗る』(1955) で、ノンちゃん(鰐淵晴子)のお母さん役をやっているのが原節子である。ポスターなどでは彼女が主役扱いだが、お母さん役にしては原節子は美人すぎてちょっと浮いている、という感じだった。
まあ、娘の鰐淵晴子がよくこの時代にこんな美少女がいた、と思えるくらいの美少女だったから、釣り合いを取るためにも母親に原節子が必要だったのかも知れないが、お父さんが藤田進である。とても原節子とは釣り合わない顔である。
まあ、『麦秋』(1951)で彼女が結婚を決意する相手が二本柳寛であったから、当時の監督たちは、似合の二枚目を原節子に組み合わせてなるものか、と嫉妬していたのかもしれない(笑)。
原節子は昭和12年アーノルド・ファンクと伊丹万作による日独合作映画『新しき土(ドイツ語題名『サムライの娘』)』に主演している。原はこの映画の完成記念式典でドイツに招かれている。
そのとき日本からドイツへ、原をエスコートした人物が、この映画のプロデューサーであり、原の義兄にあたる熊谷久虎。 若き日の黒澤明があこがれたという才能あふれた映画監督であったが、帰国してから国粋主義にかぶれ、 右翼団体『スメラ学塾』を結成したりして人生を傾けていった。
原節子自身もこの熊谷の影響を受け、国粋主義に心酔していた、という説がある。真相はわからないが、「日本人離れ」と称されるくらい非・日本的な顔立ちの原が、戦後「日本的なもの」を徹底して表現した小津安二郎作品の出演にこだわったのは、そこに何か関連があったのではないかとも思える。

藤田進と原節子が釣り合わない(藤田は二枚目じゃない)との意見。まぁ趣味だと言われれば「お好きなように」と言うしかないが、黒澤明のアノ映画もあったんだけど?と思いツイートした。↓

サブカル・ライターの人、原節子を「追悼」するだろうと思ってたら、以下のようなものだった。なんだか『ノンちゃん雲に乗る』で初めて藤田進と夫婦役を演じたが如きになってるが、『わが青春に悔いなし』でも結婚してるしポスターにもなってる。

『わが青春に悔いなし』でふたりは結婚してるとしたが、間違いでした。すみません。
原節子と藤田進がカップル役の映画はいくつかあって、下記にメモする。見落としがあるかも知れない。

『二人の世界』1940年 監督島津保次郎
『緑の大地』1942年 監督島津保次郎 (夫婦役)
『若き日の歓び』1943年 監督佐藤武
『熱風』1943年 監督山本薩夫
『麗人』1946年 監督渡辺邦男
『わが青春に悔いなし』1946年 監督黒澤明 (同棲にいたる)
『かけ出し時代』1947年 監督佐伯清
『幸福の限界』1948年 監督木村恵吾
『恋の風雲児』1953年(製作は1945年) 監督山本嘉次郎
『ノンちゃん雲に乗る』1955年 監督倉田文人 (夫婦役)
まぁ、こういうごついタイプが好青年の一典型だったってことじゃないのかと思う。三羽烏でいうと、佐分利信佐野周二も若干そっち系か?ふたりに比べ上原謙のやさ男ぶりが際立っていたということか)。戦後も、竜雷太とか夏木陽介とかいたし。10本も相手役務めていたのに、つまりそれだけ需要があったカップリングだったのに、後年「釣り合わない顔」なんて評される藤田さんもかわいそう。
唐沢さんのおわりのツイート、原節子に噂される国粋主義思想と「日本人離れした顔立ち」の原節子を起用して「日本的なるもの」を表現した小津との関連云々は、お筆先を辷らせた思いつき以上の深い意味はない。

なんだか「トンデモない一行知識」さんみたいになってきたか…(違)

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