*[検証]カルチャーっぽい岡田斗司夫
先日の終わりに引用した記述にいま一度拘泥してみます。以下もう一度引用(少し範囲を広げています)。
岡田斗司夫『オタク学入門』<サブカルチャーとオタク文化>
●カウンターカルチャーからサブカルチャーへの変貌〜●ちょっと、復習
http://netcity.or.jp/OTAKU/okada/library/books/otakugaku/No7.html
「そんな階級社会・メインカルチャーなんかいやだー」という反抗のパワーの源は抑圧だ。抑圧の力が大きいほど、反抗という反作用も大きくなる。こうして生まれてくるのが「カウンターカルチャー」なのだ。
「『立派な市民』なんていっても、あんたら戦争ばっかしてるじゃないか。オレたち、そんな『立派な市民』なんかになんねーよ!階級社会?クソくらえ!メインカルチャー?クソくらえ!」
これがカウンターカルチャーの基本理念だ。だからロック・スターが打ち合わせの時間に遅刻してくるのはスタイルの問題ではなく、思想上の問題である。「時間を守る?そんなコスモスな発想に付き合ってられるか!オレたちはもっとカオスなんだぜ」
これが「カウンターカルチャー」の本質なのだ。さて、これが新大陸・アメリカという「あんまり階級社会じゃないところ」へ渡っていった。ところがカウンターカルチャーのエネルギー源は「階級社会の抑圧に対する反抗」だ。見回しても、ヨーロッパほど強烈な階級社会なんてない。オレ達は何に「反抗」したらいいんだ?
ここでカウンターカルチャーは徐々に「サブカルチャー」に変貌した。
「サブカルチャー」という言葉は「何だかよくわからんけど、若者文化のことだろ」ぐらいに認識されている。その認識は正しい。
アメリカの若者達には「反抗すべき階級」がなかった。階級がないから反抗の理由もない。そこで彼らは「大人になること」そのものに反抗することにしたのだ。
同時に、サブカルチャーがアメリカで生まれた理由として「西海岸の消費者文化」である、という側面も無視できない。東部エスタブリッシュメントたちのピューリタニズム(清貧思想含む)に対するアンチテーゼとして、サブカルチャーは大量消費を翼賛する文化になったのだ。
この2つがサブカルチャーの基本理念だ。だからサブカルチャーは常にその時代の消費者である若者・子供達の顔色を窺う。
(中略)
少しまとめてみよう。もともとは一部貴族や裕福階級のものであった「文化」。しかし農奴達が「市民」となることによって、そんな貴族文化も大衆に開放される。そして優良(階級)市民の証は、大衆化された貴族文化・「メインカルチャー」を身につけているかどうかで決まる。
しかしそんな階級社会に異を唱える者達は、メインカルチャーに対抗する「カウンターカルチャー」を育て上げる。それは相次ぐ大戦への批判とともに瞬く間に世界へ拡がるが、階級社会的締め付けの薄い場所では「反抗すべき階級」が見あたらなく、変質を余儀なくされる。「じゃ、オトナに対する反抗ってことでいこう!若者万歳!消費者万歳!」、これが「サブカルチャー」である。
同書の「サルマネ・サブカルチャーvsオタク文化の東西対立」の模式図
西洋文化:ギリシャ哲学・キリスト教→(ルネッサンス)→メインカルチャー(大人になるためのカルチャー、音楽・科学・芸術・アカデミズム)←反抗→カウンターカルチャー(大人に反抗するカルチャー、PUNK・LOVE&PEACE)―アメリカへ→サブカルチャー(反抗する大人がいないカルチャー、WARHOL・SEX&DRUG・DOLPHIN)―サルマネ→サルマネ・サブカルチャー(反抗という名のファッション、渋谷系・DJ・アート)
↑
文化の東西対立
↓
東洋文化:大陸より伝来(仏教・儒教・道教)→茶・禅→江戸文化(浮世絵・町人文化・職人文化)―黒船―(断絶)―敗戦→子供文化(アニメ・オモチャ・マンガ)→おたく文化(子供のまま大人になってもいい文化、特撮・ゲーム・アニメ)
前回も出した今村仁司のフレーズ<階級や階層は社会科学的な認識操作上の分類範疇であって、経験の実質ではない*1>をこれにあてはめてみると、「カウンターカルチャーやサブカルチャーは社会科学的な認識操作上の分類範疇であって、経験の実質ではない」と言えます。つまり、「階級」や「階層」が分類であって実体としてはとらえられないのと同様に、「カウンターカルチャー」や「サブカルチャー」も分類であって実質的なものとして取り扱えないということです。岡田の話のように、「カウンターカルチャー」そのものを体現したような人間が、社会システムのちがいから「サブカルチャー」に変貌する、そういう成長のような実体性はありえません。
「岡田のこの話は寓意的なものであり、実体をともなわないものをあたかも実体があるかのような例え話としてあえて語っているに過ぎない。だから実体を持ったかのような認識を岡田の本意と決めつけるのは早計だ」
このようにフォローすることは可能です。そうは言っても、こういった「わかりやすい言説」は安易に定着するわけで、というか、こういった「わかりやすい言説」が通るなら程度の低い詭弁*2でも大丈夫だろう、そんな突破口みたいなものになるのがミエミエなので、ケチはつけるだけつけておきましょう。
というわけで、岡田の述べる<これが「カウンターカルチャー」の本質なのだ>というような実質は「カウンターカルチャー」にはない。かつて年長者が「カウンターカルチャー」と言っていたものを若年者が「サブカルチャー」と呼んだり、はたまた「小野二郎であればウィリアム・モリス直伝のレッサーアート(小芸術)といった*3」りするが、指示された実体は同じものであり、分類項目が変わったに過ぎないのだ。
この話の中でヨーロッパで生まれた「カウンターカルチャー」はアメリカに渡って「サブカルチャー」を生んだということになっています。しかし、ここで具体的に名の挙がっているロックはアメリカの黒人音楽リズム&ブルースから生まれたロックンロールがヨーロッパ(というかイギリス)に渡ったもので、リズム&ブルースも分類としては「サブカルチャー」ないしは「カウンターカルチャー」に属する文化であり、岡田の話は成り立たない。おまけにリズム&ブルースは当初レイス・ミュージックRace Musicと呼ばれふつうの白人社会ではオミットされてきた歴史があり、形態として見ればアメリカ「身分社会」―岡田の言うところの「階級社会」―の文化ということになります。黒人やネイティヴ・アメリカンの問題を抱えたアメリカを<あんまり階級社会じゃない>と言うのがそもそも無理な注文なのだが、ひょっとしてそれは「人種」の問題であって「階級」の問題ではないとか考えてるのだろうか?
あと若者文化がアメリカで生まれたってのも気になる。60年代後半に、それまで少年非行研究の分野で用いられてきた「サブカルチャー」という概念が若者文化のひとつとして使われるようになった経緯は、やっぱりブリティッシュ・インヴェイジョン、特にビートルズ・ブームの影響は大きい。そのベースとなったのはテディ・ボーイやモダニスト(初期モッズ)などに始まるイギリス・ユース・カルチャーの伝統*4があったからだろう(もっと元をたどれば19世紀末のストリート・ギャング「フーリガン」になるのだろうが)。
また<サブカルチャーは大量消費を翼賛する>と書いているけど、文脈に即して当時のアメリカの諸サブカルチャーを当てはめるに、それらの特徴は精神面の強調だったりエコロジカルだったりするので、「サブカルの本質が大量消費にある」とはとても言えない。
<サブカルチャーは常にその時代の消費者である若者・子供達の顔色を窺う>というのはどうだろう?若者文化としてはそうなのだろうけれど、若者文化じゃないサブカルチャーも数多く存在する。音楽に限定してみると、コマーシャルなポピュラー・ミュージックは明らかに「若者・子供達の顔色を窺っている」が、浪花節やクレズマーなどマイナーなジャンルにはそういった愛想はない。いや、そもそも非コマーシャルなサブカルチャーはおしなべて「愛想を良くする」とか「顔色を窺う」という発想に欠けている。だからこれは、岡田斗司夫はコマーシャルな現象にのみタッチしたいだけで、そのほかの雑多な金になるのかどうか分からないものはオミットするスタンスだということだろう。
ついでに。ロック・スターが打ち合わせの時間に遅刻してくるのはスタイルの問題であり、思想上の問題でもある。なにより本人のだらしなさの賜物であるのは言うまでもない。
あと確か橋本治『問題発言』だかに「サブカルチャーに対比されるような意味でのメインストリームにおける文化(ようするにメインカルチャー)というようものはない。下位文化に対比されるのは上流階級にあっては<儀式>であり、文化というものは究極的にはサブカルチャーしかない」といったような発言があったはずだ。岡田の話とリンクさせれば面白そうだけど、今ちょっと時間もないし面倒くさそうなので、そんな話もあったねで済ます。「農奴が市民になって文化の大衆化に到る」件にも突っ込みたいが、今日はここまで。
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*2:実例は*[検証]どうでもいい濃いオタク - もうれつ先生のもうれつ道場参照
*3:津野海太郎『おかしな時代――『ワンダーランド』と黒テントへの日々』
*4:トンデモない一行知識の世界 2 - 唐沢俊一のガセビアについて - 50 年代だって、怒れる若者にスウィンギングだったイギリス?茶飲み話のようなコメント欄を参照