if you're missing yourself〜「あんまりステキじゃない唐沢俊一」を見失いたくもなる本


あのルイ・フィリップ。今はまったく話題に上がらないが。

村崎百郎はどういった経緯で根本敬から唐沢俊一にシフトしたのだろうか?いや、じっさいホントにシフトしたってワケではないだろうから、正確には「どういった経緯で唐沢俊一とコンビを組むようになったのだろうか?」ということなのだが……
そのことと関係あるのかないのか知らないけれど、唐沢と根本は数冊のオムニバスな体裁の本で一緒になっている。一緒になっていること自体は「カルトなライター」くくりということで召集された以上の意味はないのだろうけれど。二人が共通して関わった本は以下4冊らしい。
(1)『未来っぽい戦争―15人のバーチャルアドベンチャー―』1992年
クルスの烙印。 - 唐沢俊一検証blogを参照
他執筆者:実相寺昭雄小中千昭杉作J太郎蛭子能収喜国雅彦松尾貴史林静一佐々木守高信太郎
(2)『知的C級生活のすすめ』1998年
他執筆者: 石丸元章、北山保、下関マグロ、見沢知廉
(3)『知的D級生活のすすめ』1998年
他執筆者:石丸元章大槻ケンヂ、下関マグロ、松尾スズキ見沢知廉
(4)『「ステキな自分」を見失う本』 2001年
他執筆者:ゲッツ板谷松尾スズキ、直崎人士



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4番目の『「ステキな自分」を見失う本』は刊行時、唐沢サンではなくゲッツ板谷目当てで購入した。発行はアノ新風舎だ。この本のゲッツ板谷のところは「弟を記憶喪失にさせた幽霊」を除いて、後に『情熱チャンジャリータ』に収録されておりそっちをお買い求めがリーズナブルともいえるけど、『「ステキな自分」を見失う本』のほうにはあまり書かないゲッツ板谷画伯直筆の美麗イラストが何点か掲載されていてゲッツ・ファンは迷うところ。
『情熱チャンジャリータ』あとがきには、『「ステキな自分」を見失う本』参加の経緯および同本の板谷パートが『情熱チャンジャリータ』に膨らんだ事情が記されている。『「ステキな自分」を見失う本』は6千部発行で執筆者ひとりあたま12万円だったという暴露もある。
『「ステキな自分」を見失う本』 と『情熱チャンジャリータ』は高木真明によって企画編集されているが、高木真明という編集者は『トンデモ本女の世界』1999年の企画編集にも携わっているようだ。だからといって彼が根本から唐沢への橋渡しをしたなんてことを言いたいワケではないけれど。
ただ『「ステキな自分」を見失う本』はヘンな本で(新風舎だから?)、企画主導は高木真明なハズなんだけど、まえがき・あとがき及びシンガリ唐沢俊一がつとめていて、まるで唐沢俊一〔編〕であるかのようなつくりになっている。本のタイトルも通りすがりに気にとめるにはチョット分かりにくい。各執筆者はいつものように、克己心の欠如したような、ことさら低回的なエピソードを記した短文によるエンターテイメントにつとめており、そういうのを寄せ集めたのが<「ステキな自分」を見失う>ことになるのだろうと推察するばかり。要するに執筆者が率先して「ヨゴレ」を演じ、それを読んだ読者が面白がるという構図だ。ただし、メイン・アクト(?)の唐沢だけは「ヨゴレ」を避けていて、かわりにトンデモ本他から得たエピソードを披瀝するといういつものスタイルだ。
あらためて読み返してみると、ゲッツ板谷根本敬が突出して面白い。根本敬はこのころ驀進中だったゲッツ板谷に水を揚げられていささか分が悪いイメージだったのだけれど、赤裸々な異性交流(性交有)や、行きつけの回転寿司の板さんについて「あの歳でも独身で……」という噂を聞いたばかりに店から足が遠ざかる下衆なんだか潔癖なんだか分からないマンガとか、やはり手は抜いてないよね……じゃなくて、「※この文章は『ブブカ』発表済みのものに加筆の上、リミックスしたものです」という付記のあるようにヤッツケで手を抜いてるところも多いのだけれど、それも込みで「腹を括っている」カンジだなってことですが。トップ・バッターのゲッツ板谷は有名なエピソード「ドイツ鯉」と「本陣殺人事件」が収録されてるマスター・ピース。2番手松尾スズキは前二人に比べて「ぬるい」テイストが持ち味なので、この本では分が悪く可哀相な気がする。

さて、唐沢俊一パートを列記すると、
○まえがき 「本当の私なんてどこにもない」
唐沢俊一担当本文 章題「新しい自分に出会わないために」
include:「快感の歴史・オナニー」「快感の歴史・セックス」「快感の歴史・巨乳」「緊縛における快感」「少女と悩み」
○あとがき 「トンデモないのはアナタ」

おおむね退屈なシロモノなのだけれど(購入時も眺めた程度だった)、たとえば「快感の歴史・オナニー」には『宇治拾遺物語』「源大納言雅俊一生不犯金打せたる事」の話が出てくる。

(引用者注:一生不犯が条件の鐘撞きを任された僧が撞木を持ったまま躊躇していて)
「かわつるみはいかが候べき(オナニーはかまわないんでしょうか?)
と訊いたもんで、一座のもの大笑い。一人の侍が
「どれくらいやった?」
と訊くと、
「ゆうべも四回ほどやりましたが」
と答え、満場どよめくほどの大笑いになり、そのドサクサに坊主は逃げ出してしまったそうだ。

「きと夜部もして候ひき(ゆうべもやりましたので)」が「ゆうべも四回ほどやりましたが」に化けたのは、「夜」と「四」を引っ掛けたユーモアってことでしょうね。口が腐りそうですね気が利いた洒落ですね。
「快感の歴史・巨乳」は、前半は巨乳好きで松坂季実子を神聖視する編集の話で、後半は巨乳にまつわる腹の足しにもならない薄めの薀蓄のオンパレード筆者の博覧強記ぶりに舌を巻く数々のエピソードを披露。以下はその一節。

第二次大戦後、大勢の進駐軍を迎えた日本では、彼らに肉体を売ってその日の食い扶持を稼ぐ女性たち、俗にパンパン・ガールと呼ばれる職業が出現した。パンパンの語源は、英語の出来ない彼女たちが、手をパンパンと叩いて米兵を誘ったからだと言われているが定かではない。
彼女たちのテクニックはたちまちのうちに米兵を虜にしたが、唯一、ヤンキーたちが不満に感じていたのが、日本女性の胸の小ささだった。彼らは本国で、メロンみたいな胸の女性たちを相手にしていたのである。
そこで、ニーズにあわせ、自分たちの胸を大きくする手術を受けようとする女性たちが急増した。なにしろ戦後の混乱期のことで、初期はひどい手術もあったらしく、最初は牛乳を胸に注入してふくらませよう、というひどい方法をとる医者もいたらしい。その後、ロウを使用する方法も一般化した。
どちらの方法もやがて被術者に重大な後遺症を与えることが問題になり、やがてシリコン使用が一般的になった。

「どちらの方法も」の「どちら」ってのは「ロウ=パラフィン注射」と「牛乳注入」を指すんでしょうね。「牛乳注入」は「やがて被術者に重大な後遺症を与え」という悠長な話じゃなく、即効で酷いことが起こりそうですが。あとパンパン・ガールが豊胸手術の先陣を切ったって話もどうかしら?「急増」ってのも大袈裟なような気がするし、当時「ヤンキー」に巨乳嗜好があってそれがこういう風に発露したっていうのもどうだか?って、まぁ、あくまでも読後感想ですけどね。シリコン豊胸もこれhttp://www.massage-cream.net/mas/002.htmlを読むと「後遺症」発生との戦いの歴史を持っているようです。メリケンお浜とヨコハマメリーは、老齢となっても美乳を保ったとかいう噂ですが、お二人も豊胸手術なさっていたのだろうか?はじめに | 「消えた横浜娼婦たち」の事情

「緊縛における快感」によれば

「誰にでも、一生の望みというのはあるものだ。それを書いてみたまえ」
と、小学校のころ、作文の時間に担任に言われたことがある。
(中略)
そう言われて、大変に先生の言うことをきく素直な善い子であった私は紙に大きく
「世界征服」
と書き、ヒトラーの絵(性格(原文ママ)にはチャップリンの『独裁者』に出てきたヒトラーそっくりの独裁者、ヒンケルの絵)を描いて添えて出した。その当時はそれが本当にやりたいことであったのだが、それを見てえらく担任は私を叱ったものだった。

とのこと。幼少のみぎりから岡田斗司夫(『「世界征服」は可能か?)と連動なさっておいでだったそうです。

「ステキな自分」を見失う本

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情熱チャンジャリータ

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トンデモ本 女の世界

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宇治拾遺物語 (角川ソフィア文庫)

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消えた横浜娼婦たち 港のマリーの時代を巡って

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筒美京平GSコレクション

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「世界征服」は可能か? (ちくまプリマー新書)

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