ロカビリー・ブーム

2010-06-12 - もうれつ先生のもうれつ道場「日本のロカビリー」のつづき。

以下の珍説の検証。

【専門は】盗作屋・唐沢俊一136【盗作家業】
646 :無名草子さん:2010/06/09(水) 09:29:23

アメリカにおけるロカビリーのブームは1954〜1956年という驚くほどの短期間。
日本でのブームは少し遅れて1956〜1957年頃。
その後のビートルズのブレイクまでの間はロックンロール空白期間(と言うと
言い過ぎかもしれんが)になるわけだが、ジーン・ピットニーがデビューしたのは
そんな時期。同時期デビューの飯田久彦もロカビリー歌手ではない。
ビートルズがブレイクするまで、ロックンロールという音楽は一過性のブームに
過ぎないと思われていた。
当時人気だったのは、パット・ブーンなどの優等生的イメージのポップス。
アメリカではジーン・ピットニーはポップ・シンガーという認識ではないだろうか?

前回は「日本のロカビリー」の記述について限定の話でした。では「アメリカ」についてはどうなのかというのが今回。「アメリカにおけるロカビリーのブームは1954〜1956年という驚くほどの短期間。」というところです。ロカビリーもネオ・ロカビリーも積極的に聴いてきたわけではない門外漢なのですけれど、ロックンロール史の初歩的なとこで時間軸が歪んでいるような気がしたので確認しました。
それで、たぶんこの「1954〜1956年」というのはロカビリー - Wikipediaの記述に準拠していると思うのですが、

1950年代初期のアメリカ南部、メンフィスにて黒人音楽のブルースから生まれたロックンロールと白人音楽のヒルビリーが融合して生まれ、1954〜1956年までおよそ2年間流行した。

その下に「ピュアロカビリー」のアーチストとしてエディ・コクランバディ・ホリー両名の名前を揚げたことで、この記述は破綻してしまっている。両者とも1956年まではカントリー・ミュージシャンとして活動しており、両者とも同年エルヴィスを見て聴いて「ロカビリー」的な転身を遂げ、本格的な「ロカビリアン」としての活動は1957年以降だからだ*1

1957年以降の「ロカビリー」ヒット曲というと、他にはコンウェイ・トゥイッティ『思わせぶり』(1958年)、デイル・ホーキンス『スージーQ』(1957年)、バディ・ノックス『パーティー・ドール』(1957年)、チャーリー・リッチ『ロンリー・ウィークエンド』(1960年)、カール・マンモナ・リザ』(1959年)、あと1960〜64年クイーン・オブ・ロカビリーと称されたワンダ・ジャクソンとかもいました。これらのうち、今の解釈ではカントリーとして処されているものもありますが、当時は「ロカビリー・ヒット」だったそうです。下の入門書の記述を準拠しました。

*ロックン・ロールの時代 (ロックの歴史)

*ロックン・ロールの時代 (ロックの歴史)

歌手のスタイルがカントリーとロックンロールのミックスされたもので、バンド・サウンドがC&W編成的でウエスタン・スィングを基調としている、といったところが「ロカビリー」のイメージなのですが、それはカール・パーキンスやエルヴィスを擁した新興レーベル、サン・レコードの存在が大きくて、なおかつそのサン・レコードには上記「ロカビリー」のパブリック・イメージから逸脱するジェリー・リー・ルイスがいたりするので厄介です。ちなみにルイスの『ホール・ロッタ・シェイキン・ゴーイング・オン』『火の玉ロック』ともに57年のヒットです。

『火の玉ロック』はミッシェル・ポルナレフのカバーで初めて聴いた。さすがにあの来日ライブはCD化されてないか……。

まァ、唐沢俊一を検証する側がガセに足を引っ張られるのは、ちょっと情けないナァ、とは思いました。もちろん、間違いや迷妄を起こすのを全面批判するつもりはありませんが(自分だってするし)。

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ベスト・オブ・バディ・ホリー

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*1:エディ・コクラン『ジニー・ジニー・ジニー』『サマータイム・ブルース』『カモン・エブリバディ』、バディ・ホリー『ペギー・スー』『オー・ボーイ』『メイビー・ベイビー』『レイヴ・オン』など