メモ:テンプターズ結成まで

1965年大宮西高校の生徒(田中俊夫高久昇ほか)で結成された。1960年の伊映画「太陽の誘惑」よりバンド名をテンプターズとする。ヴォーカルは女子(複数いたのかも)、オルガンもいた模様。ダンパ(ダンスパーティ)主体で、練習は大宮駅東口側の東光寺。ここでのリハを大宮工業高校の松崎由治が見に来てメンバーとなる。楽器は家が金持ちの田中俊夫から貸し出されており、コンポーザーでヴォーカルもする松崎が一見リーダーのように見えるが、実質的には解散まで田中が主導していたらしい。
朝鮮高校の番長が仕切るダンパが大宮のダンス・ホール「大蔵」で行われた際、ハウス・バンドだったテンプターズをバックに番長の友人萩原健一が「マネー」「悲しき願い」を歌い(女子ヴォーカルは病欠のち脱退)、バンド加入。66年頃にはドラム市川がやめ、ジュニア・テンプターズの大口ヒロシが一軍入りしてラインナップが揃う。
田辺昭知がスカウトした場所が2説あって、ひとつは中川五郎のディスコ(『ショーケン』や黒沢進の著作など)、ひとつは銀座のディスコ「ステップ・ヘブン」(『Cutie Morning Moon』など)。スパイダクション入社早々楽器を新調し、小僧のくせに松崎=ギブソンES335、田中=ギブソンファイアーバードなど使っている(松竹映画『濡れたあいびき』「テルミー・モア」演奏時に確認できる。大口ヒロシはパール、高久昇のバイオリンベースは不明)
デビューシングル「忘れ得ぬ君」B面「今日を生きよう」は伊でヒットしたROKESがオリジナルで、テンプスのはグラス・ルーツ版が話に出るがこれは当時日本でポピュラーだったヴァージョンに過ぎず、テンプターズが参考としたのはリビング・デイラトのシングル(同じフィリップスだし)。
http://parlophone.blog.so-net.ne.jp/2007-04-27およびhttp://60spunk.m78.com/liveforjp.htm参照)

Rokesじたいはイギリス人のバンド。ロケット型ギター・ベースはルイズルイス加部、柳ジョージを思い出さずにはおれない。
http://www.youtube.com/watch?v=F1TBziCY3sY